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亜理子 IN DOLLYLAND  作者: 血止め粘土
1/3

おはよう


 歯車、肌色のかけら、赤色。毛髪。蒸気。

 鉄と焼け焦げるような悪臭は吐き気を誘発し、思わず口元を押さえる。一瞬でも気を抜けば吐瀉物が溢れそうだった。

 鼓膜を貫く耳障りな女の悲鳴と、それに混じる嬌声、下衆な男の笑い声。


「ああ、嫌だ、嫌だ……」


 いっその事、意識を取り戻す事なく死ねたら良かったのに。

 傍らのマネキンから眼球がごろりと落ちて、同時に私の意識も泥のなかへ落ちて行く。





 十五歳で父に売られた。母が死んでから一年後の事だった。

 私が産まれてからずっと酒浸りだった父が、母を何度も殴っていたのをよく覚えている。

 母の笑顔を、物心ついてから見た記憶がない。

 母が結婚する前からこつこつ貯蓄していたお金は、本来であれば私が不自由なく大学を卒業出来る額はあったと言う。

 その貯蓄も、とっくに父が酒と博打で融かしてしまった。

 きっと父は私の事が邪魔だったんだろうと思う。

 学校から帰って来ると、父がリビングで知らない男の人と話し込んでいた。丁度そのタイミングで話が纏まったのか、まだ鞄を置いてすらいない私に父が言った。


「亜理子、良かったなあ。」


 数年ぶりに見た、父の笑顔だった。



 薬か何かを飲まされたのか、それとも麻酔でも打ち込まれたのか。

 混濁する意識のなかで目を醒ますと、硝子越しに病院のような白い天井が見えた。

 病院のような—―というのは少し語弊があるかもしれない。太さの様々な配管が縦横無尽に走り、小さく換気扇が廻る音が聞こえて来る。硝子越しでこれなのだから、きっとこの透明のガードをどけてしまえばかなりうるさいのだろう。

 ぼんやりと音を聞きながら天井を眺めていると、徐々にぼやけていた意識も明瞭としてくる。それにつれて、腕や足、身体中の関節、果ては今までに感じた事のない、血管のなかの痛み……太い蚯蚓みたいな蟲が這いずり回っているようなそれを感じて、私は身体を跳ねさせた。


「い、ッ……あ、ッ!?」


 身体を起こそうとしても、上手く動けない。

 首と腕、腰と足が、金属製の輪のような器具で固いベッドに固定されている。満足に動くのは手首から先と足首から先、眼球だけだ。気持ちの悪い痛みと違和感に耐えながら何とか少しでも現状を把握しようと、荒くなる呼吸を抑え、周囲の様子を伺う。


 視界は非常に狭い。ベッドをドーム状に覆う硝子の左右は白い布が張られ、向こう側がよく見えない。上は天井、聞こえるのは換気扇の音。それから、先ほどより頭がすっきりとしてきた所為で、最初は聞こえなかった音が耳に入るようになってきた。

 人の足音。

 ハイヒールで固い地面を歩く音、きっと女性だろうか。

 学校の帰り道、友達と駅前のお店で、高校生になってアルバイトを始めたらこういう靴が欲しい、と何度か話した事がある、十センチ以上の高さがある綺麗な大人の靴。


「助けて!!」


 思わず口をついた言葉は悲鳴混じりで、恥ずかしくなってしまうぐらい陳腐な言葉。

 両手が自由に使えていたなら、目の前の硝子を何度も何度も強く叩いていただろう。身体を固定する金属から何とか逃れようと身を捩りながら、私は同じ台詞を何度も九官鳥みたいに何度も繰り返した。


「助けて、お願い、助けて!!」


 足音が私のベッドの前で止んだ。

 ここはどこ? 私は何をされているの? これから私はどうなるの? お父さんはどこ?

 あなたはだれ? 私のことを知っている? なぜ私は拘束されてるの? どうして、どうして。


「随分早いお目覚めね」


 ハイヒールの音と喋り方は完全に女性のもので、硝子に置かれた手の爪にも銀色の派手なマニキュア。けれど、聞こえたのは紛れもない男の人のもので、驚いた私は叫び声を飲み込んだ。

 聞きたい事があまりにも沢山ありすぎて、まず何を訊ねたら良いのか分からない。いやそれよりも、ここから出して欲しい。

 この人は、味方だろうか。


「あ、あの、」

「あんまり喋らない方が良いわよ、まだ安定してないんだから」


 ドアをノックするように、その人は硝子を軽快に叩いて笑う。

 安定? 何を言っているのかまるで分からない。


「ま、何はともあれ……おはよう、アリス。」



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