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ファミリアへ花束を

作者: くりまん

 その日、僕は久しぶりの成田へのドライブを楽しんでいた。

ちょっと不安と期待の入り混じった複雑な気分ではあったが。


 ことの始まりは三年前、突然僕の前を去ってアメリカに留学した彼女から一週間前にかかってきた一本の電話だった。

終日の残業に疲れ果てていた僕は、深夜にかかってきた電話を取るなり不機嫌に答えた。

「こんな時間に誰だ。」

「誰だとはご挨拶ね。」

僕はその聞き覚えのある懐かしい声に一瞬で眠気が覚めてしまった。

「久しぶりね、来週帰るから空港まで迎えに来てくれる?」

「・・・・・・・」

「隆、聞いてるの?」

「ああ。なにせ三年ぶりだろ。」

「なによ。たった三年で私の事忘れた。それとも新しい彼女とデートの約束でもあるの。」

「いや、そういう訳ではないけど・・・なにせ突然だし仕事が・・・。」

「相変わらずね。仕事と私とどっちが大事なの。どうせあなたのことだから一カ月くらい休んでないんでしょ。有給くらいとったって誰も文句は言わない筈よ。」


 そんな半ば強制されるような形で久しぶりに休みを取った僕は、友人のガレージで埃をかぶっていたファミリアのエンジンに久しぶりに火を入れたのだった。

思えば今の会社に何とかもぐりこんだ僕に仕事のイロハを叩き込んでくれた先輩が、会社を辞める際、餞別代りといって半ば強制的に結構な金額で引き取らされたクルマだった。

当時かおりと付き合い始めていた僕は、デートに使えるクルマが必要だったこともあり、なんとなくこの申し出を受けてそれ以降、これまたなんとなくこのクルマに乗り続けていたのだ。


 そんな事をとりとめも無く考えながら空港に着いた僕を待ち受けていたのは、思いもかけない辛らつな彼女の言葉だった。

「呆れた!まだそのクルマに乗っていたの。おまけに遅刻・・・」

三年ぶりのメロドラマをちょっと期待していた僕は、返す言葉も無く唖然と立ち尽くした。

更に追い討ちをかけるように彼女が言う。


「私の荷物ちゃんと積めるの?そんな小さなクルマで!」

確かに大きなトランクケースが二個もある。昔は旅行は身軽が一番とか言っていた筈なのに、人間変われば変わるものである。

「多分大丈夫だと思うよ。確か後ろの席は畳めた筈だから。」

そんな事を言いながら一度もやったことのないリアシートの格納に手間取りながら、僕は先輩の言葉を思い返していた。

「このクルマお前に譲るけど、ひとつだけ言っておく。彼女とのデートには使うなよ。」

 その時は先輩のその言葉の意味がわからなかったが、かおりとのデートにこのクルマを使うようになってから、徐々にその意味がわかってきた。

果たして先輩は僕たちの関係を知っていたのだろうか。


 当時社内恋愛がご法度だった事もあり、かおりと付き合っていることは社内はもとより

かおりと同期の先輩にも内緒だった。

ましてや、一年後輩の僕が男勝りな彼女と付き合うなんて誰が想像しただろう。



 あの頃、先輩の影響で一人で仕事を進めることが多かった僕は、その日も深夜まで一人で黙々と仕事を続けていた。翌日のプレゼンの資料集めに手間取った為に、こんな時間になってしまったのだ。

ようやく翌日の仕事の目処が立った時、僕は不意に人の気配を感じ、驚いて振り向いた。

「何よ。お化けでも見たような顔をして。」

目の前に腕を組んで立っていたのは、先輩の同期で社内でも有名なかおり先輩だった。話をするのは初めてだ。

「すいません。てっきり一人だと思っていたので。正直心臓が止まるかと思いましたよ。一体何時からそこにいたんですか。」

「そうね、大体三十分位前かしら。あんまり集中してたから声をかけそびれたわ。驚かして悪かったわね。」

そんな言葉とは裏腹に、あまり申し訳なさそうでもない顔で僕に話しかけてくる。

「ところで君があの有名な隆君?。」

「えっ。あっ、はい。確かに僕は隆ですけど。でも決して有名ではない筈ですよ。

どちらかといえばかおり先輩の方が有名ですよ。」

かおり先輩の目が光る。

「あら。どんな風に有名なのかしら。気になるわね。」

そう言いながら、何やら不敵な笑みを浮かべている。

「私たち同期の間では君は有名人なのよ。飲み会とかで、あいつが嬉しそうに君のことを話すから。なかなか面白いやつがいるってね。普段他人とつるまないあいつがやけに褒めるもんだから、ちょっと気になって覗いてみたわけ。ところで仕事はもう終わったの?」

「はい。なんとか目処は立ちました。そろそろ帰ろうかと思っていたところです。」

「じゃあ、せっかくだからちょっと私に付き合わない。美味しいつまみを出すお店があるのよ。さっきの私が有名な訳もじっくりと聴きたいしね。」

そう言いながら、僕の返事も聞かず振り返った彼女はさっさと一人で歩いてゆく。


 もちろん僕に異存が有る訳も無かった。たまに先輩と話している彼女を見るたびに、僕はちょっとドキドキしていたからだ。

慌てて後を追いながら僕は突然の幸運に感謝していた。


 その時をきっかけに僕たちは度々食事をするようになり、やがて二人で過ごす時間が増えていったのだった。

 

 ようやく荷物を積み込んだ僕を待ちかねたように、慣れた手つきで助手席に乗り込む彼女。

何となく気まずい雰囲気のまま、空港を後に彼女の実家に向かう。

 暫くすると、彼女がつぶやいた。

「相変わらずね、この国は。小さい世界でひしめき合ってる。大して実力も無いのに虚勢をはって、自分達は幸せだと信じ込もうとしてる。」

「そんな事は無いと思うよ。確かに国土は狭いし、人間がひしめき合っているけど、みんなそれぞれの生活の中で必死に生きている。そのことは誰にも否定出来ない筈だけど。」

「・・・・・・」

暫くの沈黙の後、彼女は続ける。

「あなたは変わらないのね。いえ、変わらないのはあなただけではなく、このクルマもよ。

あなたは相変わらず頑固だし、このクルマは狭くてうるさくて乗り心地が悪いわ。」

 彼女は吐き捨てる様にそう言うと、プイと窓の外に顔をそむけてしまった。


 僕は軽い既視感に襲われた。

そうだ、彼女とこのクルマでドライブする度によく言われた言葉だ。

「このクルマ、やたらエンジンは元気がよさそうだけど、音楽は聴けないし、乗り心地は悪いし、エアコンも効かないし、あいつがあなたに譲ったのはもう寿命だったからじゃないの?」

そんな会話が脳裏をよぎる。

 確かに先輩に言われたように、デートに使えるクルマでは無かったようだ。

だからといって僕はポンコツを押し付けられたとは思っていない。

ちょっと調子が悪かった時に見てもらった工場のおやじが言っていた。

「このクルマ、見かけはボロだけどよく手が入ってる。相当の時間と愛情と金が無いとこうはならない。あんた大事にしなよ。」

 それからの僕は、少々不便だったけど友人に頼み込んでガレージの隅に置かせてもらい、時折ワックスなどかけて一人悦に入っていた。

しかし、それも三年前彼女が突然会社に辞表を出し、僕に何の相談も無くアメリカに留学する事にするまでの間だった。 


「私、今日会社辞めたの。」

「えっ。どうして。」

「もう何もかも嫌になったの。入社してからずっと努力してきたし、それなりに結果も出してきた筈なのに・・・・・。結局この国では、女はいつまでたってもどれだけお茶を上手く入れるかでしか評価されないのよ。」

「僕は尊敬してるけど。むしろ先輩が辞めてからの目標は君だったんだけど・・・。」

「泣ける事言ってくれるわね。気持ちは嬉しいけど、今のあなたは私なんかとっくに越えてるわよ。目標はもっと高く持ちなさい。」

「・・・・・・・・・。」

「もうひとつ言っておきたいことがあるんだけど・・・。」

「えっ。まさか僕との事も終わりにするとか言わないよね。」

「そうではないけど暫く日本を離れようと思うの。」

「・・・・・。」

「自分の本当の力を試してみたいの。陳腐な言い訳に聞こえるのは分かっているけど、どうしても自分の気持ちが抑えきれない。気持ちが変わらないうちに日本を離れるわ。」


 そう言ってかおりは、一ヵ月後アメリカに旅立ってしまったのだった。



 それからの僕は、突然の不景気に業績の悪化した会社の中でがむしゃらに働いた。

何かに取り付かれたように休みもとらず、いつしかファミリアも友人のガレージで埃をかぶっていったのだった。


 そんな事を思い出しながら、ふと彼女を見ると、何時の間にか眠ってしまったようだ。

こんな乗り心地のクルマで眠れるなんて、よほど疲れていたのだろう。

 

 向こうで一体何があったのだろうか。

お互いその話題には触れなかったが、なんとなく想像は付いた・・・・。

なんにしても、きっとぎりぎりまで頑張ったに違いない。

僕はそのとき唐突に決心した。急に帰国した理由を彼女が自分から話さない限り、僕からは絶対に聞かないことを。


 軽い寝息を立てながら、彼女はちょっと口を開けて眠っている。眠った顔は昔とあまり変わらない。

いや、少しやつれたか。疲れも溜まっているように思える。

しかし、時間は彼女に聡明さと落ち着いた美しさを与えたようだ。

 決して絶世の美女では無いけれど、不覚にも僕はそんな彼女の寝顔に少しの間

見とれてしまったのだった。


 果たして、今の僕はどんな風に彼女の目に映っているのだろうか。

思えばあれからの三年間、僕が成し遂げたことなんて何一つない。

ただ、目の前の厄介な仕事をがむしゃらにこなしてきただけだ。

 願わくば、ほんの少しでいいから、彼女の焦りや苦しみをすくいとってあげれる様な包容力が僕に備わっていてくれればと思う。


 暫く走った後、パーキングで休憩してクルマに戻った僕を待ち受けていたのは、またしても僕を驚かすに充分な彼女の言葉だった。

少し睡眠を取ったからか、その顔からは疲れが抜けて昔の生気が蘇っている。

「キーを貸してくれる。私が運転するわ。」

「えっ。でも今まで一度も自分で運転するなんて言ったこと無かったのに。」

「何事にも最初はあるのよ。さっさと渡しなさい。」

そう言って、僕から強引にキーを取り上げ、運転席に乗り込んだ彼女は豪快にエンジンをかけて僕に言い放った。

「さっさと乗らないと置いていくわよ。」

慌てて助手席に乗り込んだ僕がシートベルトを締め切らない内に、彼女は走り出す。


 暫くクルマの感触を確かめるかのようにあれこれ試してからは、滑らかに運転をしてゆく

どうやら、三年のうちに運転のイロハを取得したらしい。

確かに、アメリカではクルマの運転は必須だろう。それにしても運転が上手だ。右ハンドルのクルマは久しぶりの筈なのに、巧みに大型車の間をかわしてゆく。

このクルマがこんなに滑らかに走るなんて思いもよらなかった。


 小一時間も走った頃だろうか。それまで無言で運転していた彼女が口を開いた。

「さっきはけなしたけどこのクルマ凄いわ。助手席に座ってる間は分からなかったけど、運転してみたらよく分かる。」

 そう言った彼女は何か感慨深げにハンドルを握り、アクセルを吹かしながら再び無言になってしまった。


 確かに僕も驚いていた。スピードを出すほど乗り心地も気にならなくなるし、むしろ良くなるようだ。

がたがたしていた乗り心地が、今ではしなやかにショックをいなしている。

僕は、かおりの機嫌が悪くならないように、何時もそっと運転していたから、こんなに飛ばした事はなかったのだ。いつしか、一人の時もそんな風にそっと運転する癖が付いていたようだ。

それにしてもこんなに変わるなんて。

 いったい先輩はこのクルマにどんな魔法をかけていたのだろう。


 何時の間にか、僕たちはかおりの実家を通り過ぎ、どこか分からない町まで来ていた。

清水で高速を降りてからは僕にも判らない。

カーナビなんてしゃれたものはもちろん付いていないこのクルマでは、現在位置すら調べる事が出来なかったのだ。

 僕たちは、なんとなくたどり着いた海岸の突堤にクルマを止めて、沈む夕日を眺めていた。


「ねえ。私あなたに謝らないといけない事があるわ。」

「なに。そんな事何ひとつ無い筈だけど。」

「あるわ。突然あなたの前を去ったこと。今までこのクルマを散々けなしたこと。さっきから運転していて気が付いたの、なにもかも見かけ通りではないことに。あなたもそう。一見頼りなさそうだけど、その裏には決して曲がらない強い意志がある。」

「ははっ・・・・・。」

思わず僕は吹き出してしまった。

「何よ。何がおかしいの。人が真剣に話してるのに。」

「だって今まで君が僕を褒めたり謝ったりした事なんて一度も無かったから・・・。」


うっかり口を滑らした僕は、思わず身構えた。きっと殴られる。

「何よその格好。まるでいじめられっ子みたい。」

呆れたように彼女が言う。

なんだか僕は、情けない気持ちになってしまった。


そんな僕の顔を見て、今度は彼女が突然笑い出した。

久しぶりに見る彼女の屈託のない笑いだ。

暫くして彼女が言った。

「馬鹿ね。」

その言葉にちょっと気分を害した僕は、返事もせずに窓の外を眺めていた。


暫くすると彼女が呟いた。


「隆。」


「ん?なに。」


「・・・・・・・・ごめんね。」


そんなはじめて聞くしおらしい言葉に驚いて振り向いた僕は、声をかけることが出来なかった。


彼女の唇が僕の口を塞いだからだ。


どのくらい時間がたったのだろうか。


もう時間の感覚はなくなっていた。


気が付くと、彼女の瞳からは涙が溢れていた。



そして一年後・・・・・・・・。



 徹夜明けの僕を一時の睡眠から引き剥がすように、携帯がけたたましく鳴る。

かおりからだ。

時計の針は朝の五時前を指している。

相変わらず時間には無頓着だ。

「ねえ。招待状は出してくれた?」

そんな彼女の不意打ちに、僕は一瞬うろたえた。

「うっうん・・・。昨日全員に出したよ。」

「さすがにそつが無いわね。頼りになるわ。」

「まあね。」

そう言って慌てて電話を切った僕は、そっとスーツのポケットの中身を確かめた。

今日こそは忘れずに出さないと・・・。

そうそう、間違いなく出席してくれる筈の先輩に、チャイルドシートが付くのかも忘れずに確かめないと。


 そう、僕たちは一ヵ月後に結婚する事になった。

少し通勤が厳しくなるけど、郊外に一軒家も購入済みだ。

僕たちの収入ではそれが精一杯だったけど、どうしてもガレージが欲しかったから。

彼女がどうしても譲らなかったのだ。


 まあ、ドライブに適した峠には近いし、悪い事ばかりでもなさそうだ。


 もっとも、最近僕は運転していない。かおりがキーを持っていってしまったから。

「あなたにこのクルマは任せられないわ。」

彼女に言わせれば、僕には運転の才能は無いらしい。

ちょっと心外ではあるけれど、決して寂しくはない。

むしろ喜んでいるくらいだ。

なにせハンドルを握っている時の彼女はすこぶる機嫌がいいのだから。


 そんな僕だけど、結婚式までに忘れずにしないといけない事がひとつある。

かおりには内緒な事だけど。


 あの日、アメリカから彼女が帰国した日、僕たちの空白の三年間をあっという間に取り戻してくれたこのポンコツ車にお礼をしようと思っている。

 ちょっとキザだけどファミリアに花束を贈るのだ。


 これからも色々なことが僕たち二人を待ち受けているだろう。

でも僕は心配していない。

そんなときはまた一緒に走ればいいから。

タイムマシーンのように、いつでも二人をあの日に戻してくれるファミリアで。

                               完



お読み頂きありがとうございました。

自分にとって初めての短編小説です。

少しでも幸せな気持ちになって頂ければ幸いです。


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