第50話 マティーニ
怒涛の2週間だった。離婚後にやらなければならない手続きに加え、母の逝去に伴う葬儀と手続きが一気に襲ってきた。弟の正太が久しぶりに実家に帰って来てくれて、二人で手分けして処理を進めた。父の居所は結局、分からず終いだった。
「姉ちゃん、これからどうすんの?」
「しばらく引きこもっていい?離婚したし、仕事辞めたし、もう何もしたくない気分なの」
「いーんじゃね?好きにして。でも、期間は決めといた方がいーと思うよ」
「なんで?」
「癖になるから」
「と、経験者は語る……?」
「そんなんじゃねぇって言いたいところだけど、そうだよ。その通りだよ!」
「「はははは」」
頭を掻きむしりながらぶぅたれている弟が面白い。
「ありがとね」
「しっかりしろよ。まだ37だろ?」
「まだ36です!」
「んな、変わんねーじゃないか」
「そうなんだけど」
「「はははは」」
もうすぐ誕生日だ。幸太郎と離れて暮らしてからも母と一緒に過ごしていたから、一人ぼっちの誕生日は人生初かも知れない。さすがに寂しい。ちらっと正太を見る。いや……さすがに弟と過ごすのは寂しいを通り過ぎて……痛くない?
「いつ帰るの?」
「んー、そろそろな」
在宅勤務が許されているという事で、パソコンを持ち込んで、実家で仕事をしていたけど、正太にはローンを抱えた家がある。もともと自分名義で借りたようで、一人で返済を抱えているらしい。
「一人で寂しくないの」
「寂しいに決まってるだろ」
「再婚とかしないの?」
「出会いが無いんだよ。あと金も」
「ああ……」
「納得すんなよ、なんかムカつく」
「ごめん」
笑ってしまった。
「この家売っちまえよ」
「売ってどうすんの?いくらにもならなくない?」
「金額の問題じゃなくてさ、縛られない?なんつーかさ、身動きが取れない的な?」
「でも、お父さん帰ってきたら……」
「え!帰ってきたら、家に入れんのかよ?」
「それは……その時……」
「ないない」
「ないか」
正太の言う意味が分かる。ここにいる限り、私は龍二にも囚われたままだ。
優子さんとやり直すように見えた。優子さんは最初からそのつもりでTITANICにいらしていた。応じないように見えていた龍二は、心変わりをしてしまった。
私の部屋で過ごした甘いひと時を思い出して、胸が疼いた。
「そうだね。ここにいたらダメかも。悲劇のヒロイン気取って、なにも出来なくなっちゃいそう」
「そゆこと」
***
国産の高級車の乗り心地は、驚くほど快適だ。
「ずいぶん羽振りがいいんだな」
「手塩にかけて大事に育てた会社を売ったのよ。これくらいの見返りは当然よ」
言っている内容の割りには、語気は強くない。
「子育てを……したくなかったわけじゃないの。ただ、どうしていいか分からなくて」
「もういいよ。済んだことだ」
「よかったら……言わせてくれる……?」
黙って運転を続ける。
「私は英二とのことをあなたに知られたと思っていたし、それを承知で夫婦で居てくれるなんて思えなかった。それに、友弥を見る度に、英二の影が思い出されて……だから、子供の代わりに会社を育てることにしたのよ。当時、知り合いが産後の仕事復帰に悩んでるって言っていて、何とかしてあげられないかしらって思って……」
優子らしい動機だ。
「それで、女性が子供を見ながら働ける職場を探し出して、時には会社に掛け合って制度を見直してもらったりしながら、会員登録数と提携してくれる企業の数を増やしていったの。感謝されたし、遣り甲斐のある仕事だった」
「売ったのは……TITANICを買うためか?」
思っていたことを聞いた。
「ええ」優子は溜め息交じりに答えた。
「馬鹿よね。友弥からあなたの所在を聞いて、あのバーについて調べたわ。そしたら少し前まで売りに出ていたことが分かったの。経営者の中では会社の売り買いは珍しくなくて、そういう情報が流れてきやすいのよ。ただ、買い手が付かなくて、閉店が決まった直後だった。どうやらオーナーのご子息が店の存続に反対されて、相続対策の一環で処分を考えておられたようよ」
オーナーのご子息とは一度だけお会いしたことがあるはずだが、顔が思い出せない。
「せっかく見つけたあなたの居場所を手放したくなくて、私はオーナーに売って欲しいと話を持ちかけたの。快諾してくださったわ。それで、私の会社を手放した。気が付けば創立してから20年も経っていて、もう充分に成熟した企業と呼べたから、子離れするみたいな感じよ。たぶんね……あなたと友弥の関係と同じ……と言ったら怒るかしら?」
「いや」
ちょうど家具屋の駐車場に着いた。
「まさかあなたが辞めると言い出すとは思っていなくてね……ほんと、大馬鹿者だわ」
痛々しく笑う優子の顔が、友弥を産んでもいいと言ってくれた時の顔と同じだった。
「気が変わってくれるといいのだけど」
優子の気持ちに応えられるか、俺も今悩んでいるところだ。




