第42話 チャイナブルー
服を着ずに寝ていた。いつものように横向きに、手を顔の下に置いて寝ていた。軽い羽毛布団を掛けていて寒くはなかったけど、それだけはない熱を背中に感じていた。
そっと振り返る。
「おはよう」
あ、起こしちゃった。
「おはよう」
身体を後ろにいる龍二にくっ付ける。あったかくて気持ちがいい。
「冷たいな」
太ももからお尻、腰へと手の平で温めてくれる。
「いい気持ち」
いつまでもこうしていたいけど、そうもいかない。くるっと身体を反転させて、向き合った龍二の首に腕を巻きつける。チュッ、チュッ、チュッ、と軽いキスを三連続。
「さぁ、起きよう!」
がばっと布団を捲り、ベッドの下に落ちている部屋着を着る。
「ああ、朝だな」
「もう起きるの?」
「昨日は早く寝たから大丈夫。火曜日以外は……もっと寝坊する」
「そっか。覚えとくね」
いつも通り朝のシャワーを浴び、6枚切りの食パンをトースターで焼く。これまでは、母の昼食の準備をして行かなくてはならなくて、てんやわんやだったけど、今は龍二がやってくれるので助かっている。
「いつもありがとうね。母の昼食の心配しなくて良くなって、どんだけ気が楽になったか……」
「どうってことないよ。どうせ自分の分は作るんだし。カップ麺とか減って、健康的になったなって、こっちも感謝してるんだ。タエ子さんとは気が合うし」
「そう言ってもらえると……本当にありがとう……」
目頭が熱くなった。
***
心愛との夜を思い出しながら、一日を過ごした。ずっと鼻の下を伸ばした、だらしがない顔をしていたに違いない。頬の内側を噛みながら店に向かう。
「ごめんなさい」
優子はどうしていつも開店前に来るのだろう。
「なんだよ」
「話があるの」
いつもの威圧的な態度ではない。疲れた様子に、ほんの少し同情してしまった。
「どうぞ」
扉を開けて招き入れる。
「店の準備が終わるまで相手できないけど」
「いいわ」
思いつめたようにカウンターに座っている。氷の入った水だけ出した。
「一体、いつまでそうしてるつもりだ?」
もう店は開き、数名の客を迎えている。優子の前には水滴すら乾いてしまった透明のグラスがポツンと置かれている。
「あ、ごめんなさいね。えっと、ビールを……」
「無理に頼まなくていい。話しって?」
「えっと、何から言えばいいのか……」
こんなに長い時間考えていたのに、出だしすら決まっていないのか?どうした?
「この前……話していて、過去の記憶に齟齬があると感じたのだけど……あなたは私に捨てられたと言ったけど、私はあなたを捨てたんじゃなくて、英二に脅されて、そうするしかいないと思って……」
何を言ってるんだ?
「……友弥の事、お父さんから聞いてないの?」
俺の父、英二は昨年他界した。俺の両親は仕事人間で、ほとんど家にいたためしがない。故に、父とはあまり話したことが無く、正直、顔も正確には思い出せない。ただ、背格好がそっくりで、父親似だとは昔からよく言われていた。
「友弥の何を?」
優子はゆっくりと大きく息をつくと「やっぱりビールを頂戴」と言った。グラスに注いでコースターに乗せて出す。
「友弥のことを一人で育ててきたの?」
「そうだが?」
「実家の援助は?」
「そんなもの無い」
優子はビールを一気に煽った。
「父親の元で一緒に育てるからと言うので、応じたのよ」
「応じた?何に?」
言っていることがさっぱり分からない。
「離婚よ」
「俺、そんなこと言ったか?」
「あなたじゃない。英二よ」
「意味が……分からないんだけど……」
俺の離婚に親父がどう関係してるって言うんだよ。
「友弥は英二の子よ」
「はあ?なに言ってんだよ……」
冗談か嘘かと思いたかったが、虚ろな瞳をふわふわと宙に漂わせている様子を見れば、本当の事なんだと分かる。
「あの頃、よくあなたの家に行っていたでしょう?学生服を着たあなたと外で会うわけにはいかなくて、私は当時、実家暮らしだったし……」
「ああ」
よく覚えている。俺の部屋にしけ込んで互いの身体に夢中になっていた。
「ある週末にね、あなたが友達と約束があるといって先に出て行ったのよ。鍵はその日の予備校の授業で返すことにして、私が預かって……」
いつの事かは正確には思い出せないが、そういう事もあったと思う。
「身支度を整えて家を出る時、英二が帰って来たのよ。その時、初めてお会いして、言い訳をしながら何とか逃げ出そうとしたのだけど……玄関で押し倒されて……その……」
聞きたくない。気分が悪い。
「レイプされたの」
眩暈がした。
「どうして言ってくれなかったんだ」
「言えるわけないでしょう?忘れようとしたのよ」
そう言えば、優子がぱったりと家に来なくなった時があった。振られるのかとビクビクしながら予備校に通っていたことを思い出す。久しぶりに話しかけられたと思ったら、その時、妊娠を告げられたんだった……
「どうして友弥が親父の子だと断言できるんだよ」
「だって、あなたは……避妊してくれてたでしょう……?」
「だからってどうして俺と友弥を置いて出て行ったんだよ」
「英二に……脅されていたの。あなたにこの事を知られたくなければ関係を続けるようにと迫られて……死ぬほど嫌だったわ。私は、それでなくても可愛いと思えない友弥の世話に辟易としていたし、若いあなたの将来を台無しにしている引け目もあって、心が壊れていたのね。そんな時、英二が、あなたと離婚したら、友弥の面倒を見ると言ってくれて、あなたにもまた大学受験をさせるって……自由にするって約束したのに……」
立っていられなくなり、その場でしゃがみ込んだ。
だからその時、心愛が入って来たのに気が付かなかった。




