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あなたがいい  作者: あおあん


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第38話 チャイナブルー

 土曜の朝、弁護士の博子先生から連絡があった。


『協議離婚に応じて頂けました。直接お話したいのですが、お時間を頂けますか?』


 え?本当に?というのが、私の第一印象だった。


『いつでも大丈夫です』そう送ったら、

『これからご自宅に伺ってもよろしいですか?』と返事が来た。


 ご足労をおかけするのは申し訳ないと思ったが、母を置いて行くのは心配だったので、お言葉に甘えることにした。




「お茶しかなくてすみません」

「お気遣いなく。突然伺ってごめんなさいね。早い方がいいかと思って」


 そう言って、署名された離婚届をテーブルに出してくれた。


「幸太郎が離婚してもいいって言ったんですか?」

「そうよ。あの時、心愛さんからお電話をいただいて、急がなきゃって思ったの。暴力はエスカレートする傾向が強いというのを経験上、知っているからね」


 涙が目に溜まる。


「でもね、ローンの件は私にはどうにもできないの。あれは銀行との契約だから、お二人で銀行に掛け合って頂くしか無いのよ。売るにしても同じ。現状、銀行が返済を求めるのはあくまで契約者である心愛さんなの」


 目の前が真っ暗になった。


「だからね……」


 テーブルを跨いで私を励ますように腕を摩りながら、先生はいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「慰謝料を払わせることに成功したわ」

「あ?」


 バカっぽい声が出てしまった。


「ペアローンはそもそも双方がお互いの保証人となっているでしょう?だから心愛さんの支払いが滞れば、自動的にあちらが負担せざるを得ないのよ。ご存じと思うけど、滞納は銀行にとって印象が良くない。先方の様子から察するに、どうしたってあの家を手放したくないのは見てて分かったわ」


 先生は別の用紙をテーブルに出した。幸太郎の署名がしてあった。


「だから、慰謝料の分割という形で、毎月9万円、心愛さんが今、支払っているローンの金額よね?これを振り込むと約束させましたので、月々の返済に当ててね」

「せんせ……」

「これだけじゃないわ。今のローンが完済するのはあと、12~13年よね?」

「はい」

「まずはローン返済分として毎月9万円を支払うことを約束したわ。それから、ローン完済後もさらに12年間、同額を慰謝料として支払い続けることにしてもらったの。それで、これまで心愛さんが支払った分を返してもらおうと思うのだけど、どうかしら?」

「どうかしら、って……」

「どうにかして一括でもらえないか交渉してはみたのだけど、あまり貯金をしてらっしゃらないみたいで、ない袖は振れないものね……」


 感謝しかない。


「ありがとうございます」


 もう、涙を堪えることが出来なかった。


「リスクはあるのよ。慰謝料の支払いそのものは給与口座から自動で振り替えられるように設定を済ませたから、払い忘れは無いはずだけど、先方が仕事を辞めたり、やっぱり家を売りたいと申し出た場合には心愛さんはその話し合いに応じなければならないわ」

「大丈夫です。その時は、きちんと話し合いに応じます……たぶん、また先生にご連絡を差し上げる事になるかと思いますが……」

「そうね。その時が来たら、またお会いしましょう」


 博子先生は立ち上がると私の背中をバシバシと叩いた。そして、


「よく頑張ったわね!もう自由よ!」


 そう言って、振り向かずに玄関を出て行った。




 ***




 土曜は心愛さんが在宅しているから、俺が行く必要が無いことは分かっている。だけど「タエ子さんと約束したから」そう言えば、許してくれるだろうか。


 昼飯はオムライスにしようと、卵を買って来た。心愛さんの家から、中年の女性が出て来る。条件反射で会釈をしてしまう。ふっと足を止めたその人は、俺の頭の上からつま先まで、ゆっくりと視線を一往復させた。そして、にやっとして「お待たせしたわね」と言った。


「はあ……」


 店に来たことがあっただろうか。知っている人の顔リストに照らし合わせながら、心愛さんちのチャイムを鳴らす。


 あまりにもすぐに扉が開いたので驚いたが、心愛さんが泣いているようだったので、両手が勝手にあわわと動き出してしまった。危うく卵を落としそうになる。


「龍二さん、どうしてここに?」


 涙目できょとんと見つめられ、抱きしめたい衝動にかられる。


「心愛さんこそ、なにかあったんですか?」


 心愛さんは「あっ」と言って手の甲で涙を拭い、てへっと笑った。


「離婚が成立しました」

「え!」

「今、弁護士さんが離婚届にサインを貰ってきてくれて……ふぇ……」


 また泣いてしまった。もういいだろう?いや、今なら、今だけならいいだろう?自分の欲求に逆らえないほど若造ではないはずだが、我慢できなかった。心愛さんをそっとぎゅっと抱きしめる。


「龍二さん……」


 右腕でぐっと胸に引き寄せ、左腕で心愛さんの頭を包む。鼻を髪に押し当て、匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「良かったですね」

「はい」


 折りたたまれていた心愛さんの両腕が、恐る恐るといった風にゆっくりと俺の背中に回ってきた。さらに強く抱き寄せる。心愛さんの涙で、俺のシャツが濡れた。




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