第34話 カルーアミルク
龍二さんにコーヒーをお出しした。
母が流れる涙をそのままに、一生懸命お菓子を出してもてなそうとしている。
「先生、よく来てくださいました。危うくここちゃんが……」
「もう、泣かないでよ。大丈夫だから」
龍二さんは無表情で、うんうんと頷いていた。
「タエ子さん、怖かったでしょう?明日から毎日、往診に来ますからね」
「えっ?」
一瞬きょとんとして、母の涙が止まった。喜ぶ母とは裏腹に、私は無言で首を横に振る。そんなことお願いできる訳ない。龍二さんには龍二さんの生活がある。私たちに関係していい事なんてひとつもないのよ。
「先生、なんとお礼を言っていいか……」
「お母さん、駄目よ。先生はお忙しいの。毎日なんて来られるわけないのよ」
「心愛さん」
母を説得しようとする私の肩に手を置き、龍二さんが優しく微笑む。
「状況が落ち着くまでです。困ったときはお互い様と言うでしょう?」
断れない。龍二さんのこのテンションに私はめっぽう弱い。どうか、母がこのことをすぐに忘れてしまいますように。なんて病気を利用するようなことを祈る不謹慎な気持ちを、この二人に知られたくない。
「心愛さん、どこかに行こうとしてたんですか?」
「あ、はい。お昼ご飯を買いに……」
「僕が行ってきますよ」
「そんなことまでお願いできません!」
これ以上、私を困らせないで欲しい。こんなに沢山、返せないほどの恩を……どうすればいいって言うの?
「私、今、行ってきますんでっ。あ、のっ、ちょっと母と待ってていただけますか?」
走って家から飛び出る。龍二さんは誰にでもああなのだろうか……勘でしかないのだけど、たぶん誰にでもじゃない、と思う。だって、そんなに時間ないでしょ?じゃあ、なんで?私だけ?急に耳が熱くなり、期待をしてしまっている自分に恥ずかしくなる。
「あんな醜態晒しといて……」
今さっき、幸太郎に組み伏せられて半べそをかいていた恥ずかしい姿を思い出す。龍二さんは……龍二さんの元奥さんは……今でこそ、関係はいまいちのようだけど、結婚されて友弥君を産んだその関係性を考えると……あまりにも私と違う。龍二さんは自分というものをきちんと持たれていそうな、ご自身に厳しい感じがしたあのような女性が好みなのよね。……私への親切は……暇つぶし?可哀想だから、施し?哀れで見てられない?いずれにせよ、やっぱり私のところに頻繁に来ていい人じゃない。これ以上接触が増えれば、私はもっと好きになってしまう。のめり込んで抜けられなくなったら困る。幸太郎のこともあって、私はもう傷つきたくない。これ以上、私に近付かないで。
「ただいま」
「ここちゃん、お帰りなさい」
「お帰り、心愛さん」
口角だけを上げる、学校でよく見せる作り笑顔。
「チンするだけだから、少し待っててね」
お皿に冷凍のシュウマイを並べ、ラップをかけて温める。ご飯は今朝、タイマーで炊いたのが手付かずで残っている。サラダも汁物も無い。好感を持たれる必要はない。むしろ、失礼な奴だと、礼儀知らずだと、嫌われるくらいがいい。
「どうぞ」
さすがに冷蔵庫にあったお漬物や、残り物のひじきの煮物などをテーブルに並べた。
「「「いただきます」」」
飲み物は淹れたての緑茶で、質素な昼食が始まった。
「温かい昼飯は久しぶりです」
ほんのり顔を赤らめ、嬉しそうに食べる龍二さんに、胸がズキンってなった。
「昼は外に出るのが億劫で、パンとか麺とかそんなのが多いので」
「先生、そんなのお体に良くないですよ。医者の不養生って言うのよね?ここちゃん」
「そうね」
「でも、明日からはここで、温かい昼飯が一緒に食べられますから」
「まあ、先生!嬉しいわぁ」
駄目だ。二人は完全に仲良しになってしまっている。
***
心愛さんに迷惑がられている気がする。俺だって年季の入った客商売だ。作り笑顔、ピリピリした空気、面と向かって話をすれば相手が苛立っていることくらいすぐに分かる。だけど、俺は俺のできることをやりたい。
「タエ子さん、明日は僕が作りますよ。心愛さんはお仕事に行かなくちゃだから」
「うふふ。楽しみね」
「お母さん、ちょっと……」
「リクエストはありますか?」
「ナポリタンが好きよ、私」
「いいですね。得意ですよ、俺」
「もう……」
心愛さんには悪いが、ここはタエ子さんを抱きこむ作戦でこの家への出入りの権利を勝ち取ろう。
「俺が来れるのは10時頃で、16時には出なければなりません」
「龍二さん……だから、それは……」
「普段その時間、俺は暇つぶしに携帯見たり、ただゴロゴロしたりして、そんな人生の無駄遣いをしてる自分を呪ってる、嫌いな時間なんですよ」
「え……」
「いい歳して、まったく嫌になります。早く店が開かないかなって、なかなか進まない時計の針を見ながら情けなくて、悲しくなります」
心愛さんなら分かってくれる。俺が本当のことを言っていると。
「だから、ここでタエ子さんと過ごせたら、それは俺にとって無駄遣いしてた時間を有意義なものに変えることができる。どうか、お願いだから、俺のことを拒絶しないで」
「拒絶だなんて……」
ズルい言い方をして申し訳ない。だけど、君の弱みに漬け込んででも近くに居たいと思ってしまう。




