第33話 カルーアミルク
頭がぼうっとしていて、だらだらと家事をしながら母とのんびり過ごす。
「お昼ご飯どうしようか?」
「あれが食べたいわ、あれ、なんて言ったかしら?餃子じゃなくて、まあるいの、ほら……」
「シュウマイ?」
「そう、それよ!」
「いいね。冷凍のを買ってくるね」
母の衝撃の告白から私は抜けきれていない。父の不貞に気が付かなかったどころか、母が我慢していたことさえ知らずに、母に適当な嘘を言って家出をごまかしてきた。酷い娘だな、とつくづく自分が嫌になる。
帽子を被り、買い物袋を持ってサンダルを履く。玄関のすりガラスの扉に人影が写る。
「はい」
お届け物かなと思い、そっと開けると幸太郎が立っていた。
「え?なに?」
「何って、具合が悪いって聞いて……」
心配してきてくれたのか、と思いつつも、直接話してはならないと言われた弁護士の話を思い出す。
「帰って!」
そう言って扉を閉めようとしたけど、足を入れられてしまった。
「なあ、いきなり弁護士から連絡が来たんだ。こっちの気持ちも考えてくれよ」
「別れて欲しいの!こんなの、幸太郎が不利になるだけだよ!」
「相変わらず自分勝手だな!」
思いっきり扉を開けられ、突き飛ばされて、玄関に尻もちをつく。
「痛っ……」
幸太郎が私の股の間に脚を入れ、両肩を押さえつけてきた。私に馬乗りになったまま、肘で胸元を圧迫してきた。喉が詰まるように苦しい。幸太郎のもう一方の手が私の顎を鷲づかみする。
「舐めたこと言ってんじゃねぇぞ」
生まれ付きの体格差をこんなにも屈辱的だと思ったことは無かった。幸太郎が私に口を押し付けてきたとき、母の叫び声が聞こえた。
「ここちゃんから離れなさい!」
母がものすごい剣幕で、幸太郎にのしかかっている。
「んだよっ!」
幸太郎が跳ねとばして、ドスンと音を立てて母が倒れた。
「お母さん!」
私の両手は自由なのに、どんなに力を入れてどけようとしても、幸太郎の腕はビクともしない。
「放して!やめてよ!こんなこと!」
「お前がそうさせてんだろ!」
「ここちゃん!今、助けてあげるからね!」
足をばたつかせるが、全く効果がない。立ち上がった母が、再び幸太郎に襲い掛かる。二人がかりで抵抗するが、無意味と言えるほど、虚しい抵抗だった。
「なっ!」
幸太郎の声がしたと思ったら、身体がふわっと自由になった。上半身を起こして、少し咳き込む。
「ここちゃん、大丈夫?」
母が背中を摩ってくれて、目の前の大きな人が幸太郎から救ってくれたことに気が付いた。
「おいっ!お前!なんなんだよっ!」
幸太郎が怒り狂って、龍二さんに殴りかかる。龍二さんはひょいっと避けて、幸太郎のお腹にパンチを一発くらわした。お腹を抱えて、へなへなと崩れ落ちる幸太郎。
「心愛さん、大丈夫ですか?」
「はい、なんとか……」
「警察に連絡しますか?」
どうしたものか。
「いえ、一旦、弁護士さんに電話をしてみます」
***
心愛さんが居ても居なくても、タエ子さんを見舞う権利は俺にもあるだろう。そう自分に言い訳をしながら心愛さん家に向かった。
玄関のドアが開いていて、心愛さんが出て来るのかなと思い、足を止めた。急に自分のやっていることが恥ずかしくなり、踵を返したところ、タエ子さんの声が聞こえてきた。
「ここちゃん!今、助けてあげるからね!」
とんでもなく胸騒ぎがして、家に入ると、男が心愛さんにのしかかっていた。怒りで一瞬、前が見えなくなった。男の襟首を掴んで心愛さんから引き放す。起き上がった心愛さんが咳き込んでいる。なんて事をしてくれてるんだ……!殴りたい気持ちを必死で堪えていたら、向こうから殴りかかって来てくれた。かわして渾身の一撃を腹にぶち込んだ。
「心愛さん、大丈夫ですか?」
倒れ込んだ男を軽く蹴とばして、心愛さんに駆け寄る。
「はい、なんとか……」
そうは見えないが……
「警察に連絡しますか?」
「いえ、一旦、弁護士さんに電話をしてみます」
これが心愛さんの旦那か。
「せ、先生!助けてくれて、ありがとうございます」
タエ子さんに抱き付かれた。小さく震えている。さぞかし怖かっただろう。背中を摩っている側で、心愛さんが電話をかけている。
「証人……あ、はい。います、けど……」
「俺なら構いませんよ」
俺をチラチラ見ながら、すまなそうな顔を浮かべる心愛さんの力になりたいと思った。
「どうするって?」
玄関に座らせている旦那を指さして聞いてみる。
「今回は帰してもいいみたいです」
心愛さんが旦那に近付く。俺は警戒を怠らない。
「弁護士を通じてまたお話をさせていただきます。お帰りください」
「……」
旦那は黙って家を出た。
「はぁ~」
心愛さんが深い溜め息をついて、俺にしがみ付いてきた。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
泣いている、よな。そっと頭を撫でる。
その様子を見て、タエ子さんが静かに涙を流していた。




