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あなたがいい  作者: あおあん


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第31話 カルーアミルク

 絵画とは違う、写真でもないし、なんとも形容しがたいその息遣いが聞こえてきそうな龍を目の前に、触れずにはいられなかった。今にも動き出しそうな輪郭をなぞっていたら、不思議な感覚に陥った。視覚的にはざくざくとした鱗を想定しているのに、実際はすべすべと心地よい手触りで、五感にズレが生じていた。


「それ以上は……!」


 龍二さんの声で、ハッと我に返る。


「すみません。私ったら……」

「いいえ。驚かせてすみません。友弥が彫ったんです」

「え?友弥君が?」

「自分じゃまじまじと見られませんが、どうですか?少しはまともな作品でしょうか?」

「はい!すごく上手です!綺麗です!」


 振り返った龍二さんはいつも通りで、背中のイメージとのギャップに軽く混乱する。


「あ、服をお持ちしますね」


 何年も前に出て行った父のTシャツなんてお出しして大丈夫だろうかと不安になる。でも、他に選択肢はなさそうだものね。黒い、アメリカの野球チームのロゴが入ったTシャツを手に取った。


「上がってください」

「いえ。帰ります」


 残念に思うなんて間違っている。母を一緒に探してくれて、雨に濡れてしまって、秘密にしていたかもしれない背中のタトゥーを見せて、きっととんだ厄日だと思われているに違いない。


「ご迷惑をおかけしてすみません……」


 ポケットに入れていた携帯が鳴った。急いで取り出す。


「はい……」


 警察からだった。母を保護したので、引き取りに来て欲しいという要請だった。ホッとして足の力が抜けた。龍二さんが黙ってしゃがみ、私の顔を覗き見ている。


「見つかりました」

「よかったですね」


 腕を捕まれて立たせてもらう。あまりの力強さに圧倒された。


「さあ、タエ子さんを迎えに行きましょう」

「え?いいんですか?」

「なに言ってるんですか。いいところだけ俺を除け者にする気ですか?」

「そんな……ははは」


 笑ってしまう。こんな優しさに触れたことが無くて、こそばゆい。


「駅前の交番ですか?」

「はい」

「どこに居たって?」

「商店街の八百屋の前で座り込んでいたらしいです」

「そっか、無事で何より」

「はい」


 龍二さんと並んで歩く。深夜をとっくに回った夜の町は、明かりこそないけれど、まだ熱が残っていてポカポカしている。


「ここちゃん!どこに行ってたの?!探したのよ!」

「ごめんね。私も探したんだよ」

「あら、先生!こんなところで何していらっしゃるの?」

「散歩です。そこで心愛さんに偶然会ったんですよ」

「そうなの?早く帰りましょう!もう真っ暗よ!」


 簡単な手続きを済ませ母を連れ帰った。




 ***




 心愛さんがTシャツを貸してくれて助かった。よりによって白いシャツを着て来ていたから、濡れて張り付いた背中に昇り龍が透けて浮かび上がってしまう。さすがにそんな格好で警察に行く勇気はない。


「お騒がせしてすみませんでした」

「いいえ。どういたしまして。おやすみなさい」


 家まで送り届け、小さな声で挨拶をする。びしょ濡れの白シャツを手に持ち、家路につく。スマホには閉店が完了した旨が、中田君から連絡が来ていた。


「心愛さん……」


 背中に触れられた手の感触を思い出すとぶるっと身震いが出た。きっと珍しかっただけだ。触られた手に性的な意味は込められていなかったと思う。ただ、俺の身体が勝手に火照っただけだ……これ以上、心愛さんの事を考えていたら、頭がおかしくなってしまう……


 友弥に電話する。あの後、どうやって帰ったのか、はたまた帰れたのかどうか確認しようと思った。ルルルルル……出ないので、諦める。


 今日はいろんな心愛さんが知れた。髪を振り乱して走っている姿、張りつめた顔でタエ子さんを探す姿、俺の背中をうっとりと撫でる顔つき、ホッとしてへたり込む仕草、立たせてあげようと掴んだ腕の華奢だったこと……思い出したらキリがない。どうにも心を持って行かれる。さっきまで一緒に居たのに、もう今すぐ顔が見たい。


 家に着くとドアの前で友弥が寝てた。


「こっちにいたのか」


 ご近所迷惑になっていなかったか気になるが、とりあえず友弥を起こして部屋に入れる。


「おい、大丈夫か?しっかりしろ」

「ん、んー……」

「まったく」


 友弥は酒に強くない。こんな見てくれで、よく友達と遊び歩いているようだが、すぐにこんな風になったんじゃ楽しめないだろう。


「ほら、水飲め」

「あ、ん……」


 ちっとも起きる気配がないので、思い切って言ってみる。


「心愛さんに背中見せたぞ」

「……!」


 パチッと目を見開いて、両肩を捕まれる。


「なんだって?!」

「だから、心愛さんに背中の龍を見せたんだ」

「裸になったのか?」

「ああ、雨で濡れてな」


 あ、もしかして、勘違いさせたか?


「で、なんだって?」

「え?」

「なんて言ってた?背中……」

「すごい上手って言ってたな。あと、綺麗だって」


 友弥は無言で握りしめた拳を振り上げた。




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