第30話 カルーアミルク
2学期が始まった。
「おはようございます」
「おはようございます」
名前を呼ばない挨拶の往復が繰り返される。
「榊原先生、少しよろしいですか?」
学年主任の先生と1年3組の山田先生に呼び止められる。
「はい」
「女子バレー部の顧問の話ですけど、山田先生が引き受けてくださいました」
「ありがとうございます」
山田先生に頭を下げる。
「いいえ。陸上部は他にも顧問の先生がいてくださるので、僕を必要としてくれている生徒の手伝いができるなら、それはそれで嬉しいです」
20代後半の独身で男の先生。やりがいと思いやりをまだ持たれている、素敵な教師だと思う。
「榊原先生も一応、サブという形で顧問についていただきますが、よろしいですね?」
「はい」
納得がいってなさそうな学年主任の先生は、口を尖らしたまま、そう言い残して行った。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
山田先生には言っておく必要があるだろう……
「介護が必要な母の面倒を見ているんです。施設への入居待ちでして、母のことが無ければ午後の部活をみれるのですが、当面は放課後、長く残ることが出来なくて……」
「はい。大丈夫ですよ。屋外の陸上部に比べれば、体育館のバレー部の顧問は楽って、そんなこと顧問が言ったら駄目ですよね。ははは」
優しい人で良かった。
学校帰りにTITANICの側を通り過ぎる。夜、ほんの少し、自分の時間を取ってここに来るのが楽しみだったのに、それを奪われてしまった。残念でならない。
「心愛さん」
振り返ると友弥君がいた。
「あいつに出禁くらったって本当ですか?」
「そうなの。嫌われてるみないで……お恥ずかしい」
「いや。あいつの頭がおかしいんだよ。気にしないで来たらいいよ」
「そうもいかないわよ。龍二さんに迷惑かけたくないし」
もう暗くなったとは言え、まだ8月末、じめっとした空気に立っているだけで汗が吹き出してくる。
「呼び止めちゃって、すみませんでした」
「いいえ。お話しできて良かったです。龍二さんによろしくお伝えくださいね」
「はい。言っときます」
友弥君と別れて、家に向かう。
「ただいま」
しんとした部屋に恐怖を覚える。いつもならテレビを見ている時間帯だ。
「お母さん……?」
寝ていてくれと願いつつ、母の部屋を見に行く。暗くて何も見えないので、電気をつける。寒気がして、額から汗が流れる。
「どこ?」
二階の自室で大きな声を出す。
「お母さん!いるんでしょ!返事をして!」
言いながら鞄を放り投げて靴を履く。
キョロキョロと見回しながら、駅に向かって小走りをする。駅前に交番がある。
「お願い……誰かに見つかってて……」
***
優子のせいで心愛さんが来なくなってしまった。友弥が店の前で心愛さんに会ったと言っていた。優子が来ないと分かれば、誘っても構わないだろうか……
「心愛さん、呼べばいーじゃん。あのババア、まじでムカつく」
「おい。もうその辺にして帰れ」
酔っぱらってしまった友弥を追い返そうとカウンターの向こう側に行ったとき、扉が開いた。
「「いらっしゃいま……」」
俺と中田君の声が重なり、同時に息を飲む。
「どうしましたか?」
髪を振りみだし、息を切らしてる心愛さんだった。
「母が!いなくて!」
「えっ!」
中田君が心愛さんに水を出した。
「ありがとう」
すぐには飲めず、一口含んで、ようやく飲み込んでいた。
「まさか、とは思うんですけど、見かけたりしませんでしたよね?」
「はい。今日は……いつからいないんですか?」
「家に着いたのが7時頃で、その前は分からないんですけど……」
もう10時を回っている。
「警察には?」
「真っ先に交番に届けました。すみません。お店の邪魔して、もう少し、周辺を探してみます」
心愛さんがペコっと頭を下げて、扉に手を掛けた。
「もう遅いから、マスター一緒に行った方がよくないですか?」
「中田君……」
「この時間からなら、僕一人で大丈夫ですから」
友弥がむくっと起き上がった。
「俺も、一緒に探すよ!」
「お前は邪魔だ」
「友弥さんは……僕とお店の方を……」
「中田君、すまないね」
彼の配慮には敬服する。
「いえ、大丈夫です。龍二さんはお店に……」
「タエ子さんとは友達なんです、俺。すぐに戻るから、水飲んで待ってて」
にこっと笑って、奥の部屋に下がり、着替えて来た。
あれから2時間近く走り続けているが、一向に見つからない。
「警察から連絡は?」
首を横に振る心愛さん。不安そうな彼女を抱きしめてあげたいが、それは出来ない。
「あ」
顔に大粒の雨が当たった。これはヤバイ、と思った途端、ダバダバとスコールが降り出した。
「一旦、家へ」
びしょ濡れになって、心愛さんの家に駆け込む。雫を滴らせながら玄関に立つ。
「使ってください」
心愛さんがバスタオルを持って来てくれた。軽く頭を拭いて、シャツを脱ごうとして躊躇う。タトゥーを見せても平気だろうか。
「あ、父のでよければ着替えありますよ」
心愛さんが行きかけて、呼び止める。
「見てもらいたいものがあるんです」
「へ?」
背中を向けて、一気に服を脱いだ。
「あ……へ?はん、しゃ……?」
「いや。反社じゃない」
心愛さんが背中に手を置いた。温かくて柔らかいそれが、下の方へ滑っていく。
「すご……」
龍をなぞっているのだろうか。心愛さんの手が脇腹に来たとき、思わず言った。
「それ以上は……!」




