6 執事とお嬢様
前世の記憶を取り戻し、お父様に入学宣言をしたあと──寮生活に向けて、わたしは部屋にこもって準備をしていた。
「あれ、下着はまだ洗濯中かしら」
お気に入りの下着がクローゼットに入っておらず、洗い場へ向かうためにドアを開ける。
「あだぁっ!」
「え?」
開けたドアに強い手応えがあった。
ドアの向こう側を覗くと、コリンが額を押さえて立っていた。
どうやら、タイミングよくドアに正面からぶつかったようだ。
「ちょ、え!? 大丈夫!?」
さっきもわたしとぶつかったばっかりなのに!
慌ててコリンに駆け寄る。
コリンはその大きな両目に涙をうっすら浮かべながらも、ゆっくりと上体を起こした。
「大丈夫です……、すみません、僕の不注意で……」
「突然ドアを開けたわたしが悪いから、謝らないで……ごめんね」
彼の黒い前髪をかき分けて、赤くなっている額にハンカチを当てる。
「お嬢様……本当に人が変わったようです……」
ぎくっ。
まさか前世の記憶を思い出したなんて言えないし……。
「ええ、心を入れ替えたって言ったじゃない。今までの横暴を許してくれ、なんて都合のいいことは言えないけど、謝らせてちょうだい。本当にごめんなさい」
前世云々の話は伏せたまま、心を込めて謝ったが、
「…………」
返事は返ってこなかった。
やっぱり、謝罪すらも横暴だっただろうか……?
コリンの返事をドキドキしながら待つ。
長い沈黙の後、コリンが口を開く。
「確かに今まで、殴る蹴る暴言などを受けてきましたが……」
「…………」
「実は、そんなに痛くなかったんですよ」
「……へ?」
「僕だって鍛えていますから」
コリンは力こぶを見せるポーズをするが、燕尾服を着ているので何も見えない。
「持病があるお嬢様が興奮状態になって、発作を起こすほうが一大事なので、いつも怯えるふりをしていました。そうすると、お嬢様は比較的早く興奮がおさまるので」
「……怯えるふり?」
「はい」
けろり、とコリンは言い放った。
「だから、あまり気にしないでください」
「…………!」
泣きそうになった。
なんて優しい心の持ち主なんだろう。
自分は暴言や暴力を振るわれているのに、わたしの発作の心配……?
この子、将来大物になるんじゃないかしら……!
「ところで、コリンはどうして部屋の前にいたの?」
溢れそうになる涙をグッと堪えて、コリンに尋ねる。
「あ、そうなんです。僕、挨拶に参りました。魔法学院でお付きの者として、一緒に通わせて頂けることになったんです」
コリンはぺこりと頭を下げた。
……そうか。
コリンは今年で二十三歳。魔法学院に入学する年齢。
確か、庭師のジョンさんと仲が良くて、土いじりをしている時に、土属性の魔法に目覚めたんだっけ。
正直、魔力はお世辞にも強いとは言えないけれど、学院で学べばそれなりに使いこなせるようにはなるかもしれない。
「そうなの、よろしくね、コリン」
「…………」
なぜか、コリンが俯いたまま黙ってしまった。
「……コリン?」
顔を覗き込むと、唇をキュッ噛み締めている。
「やっぱり、お付きの者は僕じゃないほうが……兄のほうが、良かったですか……?」
兄?
「兄って……カリン? どうしてカリンが出てくるの?」
突拍子もなく話題に上がったコリンの兄の存在に、わたしは首を傾げた。
「……カリンのほうが、優秀、なので……。僕は魔法、全然だし……体術、しか取り柄がなくて」
コリンには六つ年上の兄、カリンがいる。
カリンもまた使用人で、魔法学院を主席で卒業したエリート。今はお父様のボディーガードとして、外出時は付き添っている。
つまり、なんでもできるカリンと常に比べられて育ってきたのが、コリン。
コリンの瞳は不安に揺れていた。
「今回、魔法学院に通うのはコリンでしょ」
「……そう、ですが」
「コリンには、コリンにしかない良さがあるわ。わたしのことを許すどころか、心配してくれていた優しさに、わたしはとても救われているのよ」
「……!」
「魔法学院のお付きの者なら、あなたじゃなきゃ嫌よ、コリン」
コリンの両手をギュッと両手で包み込む。
コリンは花が咲いたような笑顔になった。
「……はいっ! 精一杯、努めさせていただきます!」
つられてわたしも笑顔になる。
この子は、周りを明るくする力があるわね。
「お嬢様、入学準備手伝いますよ!」
途端にやる気が満ち溢れたのか、コリンが鼻息荒く部屋に入ろうとする。
「いいわよ、それぐらい自分でやるから……」
「お付きの者ですから!」
「……これから、下着を取りに行くんだけど、ついてくる?」
なかなか引かないコリンにそう言ってやると、
「い、いえっ! 失礼しました!!」
顔を真っ赤にしてそそくさと退散して行く。
わたしはコリンの後ろ姿を見送ってから、洗い場に向かうのだった。
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