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3 前世の記憶

 旦那のために作った料理は、目の前でゴミ箱に捨てられた。

「俺、残業帰りで疲れてんのに、どうして魚料理なの?」

「ごめんなさい……」


 時計は夜十時を示していた。

 彼の帰りを待つために、わたしもまだ夕ご飯に手をつけていなかった。そんな気持ちも知らずに、彼はイラついた態度を見せつけるように、指でトントンとテーブルを叩いた。


「普通さぁ、会社にずっといて疲れてきた旦那のために、肉料理を作ってやろうって思わない? 気がきかないよなあ、ほんと」

「ごめんなさい……」

「誰のおかげで東京に住めて、毎日飯が食えてると思ってんの?」

「ごめんなさい……」

「ごめんなさいじゃなくて。もっと生産的な話はできねえの? これだから女は……」

「…………」


 彼は何も言わなくなったわたしに嫌気がさしたのか、特大のため息をついて、自室に戻って行った。

「……やっと終わった……」

 わたしは冷めた焼き鮭に、ようやく手をつけ始めた。


「……様! お嬢様!」


 誰かがわたしを呼んでいる。

 どこから聞こえるんだろう、この声。


「お嬢様! お嬢様、目を覚ましてください! お嬢様!」


 目を覚ますと、特大のドアップのコリンが、目に涙を溜めてわたしを呼んでいた。

「お嬢様!」

 お父様もコリンの後ろから、心配そうにわたしを見つめていた。


「申し訳ありません、お嬢様……! 僕の不注意で……! ごめんなさい、叩かないでください……!」

「叩かないわよ……」

 ぼんやりとした頭のまま、わたしはコリンの涙を指で拭う。


 あぁ、そうか、あれはわたしの前世……。


 日本で生まれ育ち、三十歳で結婚したものの、付き合っていた頃は優しかった旦那が、結婚と同時にモラハラへ変貌。

 心身が疲弊したわたしは、スーパーの帰りにフラフラと赤信号の横断歩道に飛び出して、そのまま……。


 それで、こんな魔法が使えるファンタジーな世界の伯爵令嬢に生まれ変わったってわけね……。


 なんて都合がいいんだろう。

 神様、ありがとう。


「お嬢様……?」

 わたしはゆっくりと起き上がる。

「わたし、コリンに今まで酷いことをしてきたわね。謝るのはわたしのほうだわ」


 何かイライラすることがあると、全部コリンに八つ当たりをしていた。

 コリンがドジをすると、手を出すのは日常茶飯事だったことを思い出す。

 なんて、ダメな令嬢だったんだろう。

 こんな年下にあたるなんて。


「ごめんなさい、コリン」

「どうしたんですか、お嬢様!? 頭をぶつけて、おかしく……!?」

 わたしは座ったまま深々と頭を下げる。

 コリンは大慌てだ。


「……わたし、心を入れ替えたの」


 もう恋愛なんてしたくない。

 そのために、この生活を壊すためにはいかない。


 こんな……独身で好きなこと(魔法の研究)に没頭できる実家暮らしの生活を、なんとしても守り抜かなくてはならない!!


「お父様……」

「な、なんだ……?」


 頭を打って様子がおかしくなった娘に戸惑いながらも、お父様が返事をする。


「わたし、魔法学院に行きます」


 友達の作り方すら忘れた三十歳のわたしが、歳の離れた友達なんて作れるわけがない。

 そんなことは火を見るよりも明らか。


 でも魔法学院に三年も通うなんて嫌。

 わたしは早く仕事に戻りたい。


 そのための作戦はこう!


 クラスメイトの人の良さそうな女の子を騙くらかして、お父様の前で『友達宣言』をしてもらう……!


 そして、退学手続きをしたのち、わたしはまた書斎に引きこもる!

 引きこもり令嬢なんて、どうせ貰い手つかないでしょ!


「あぁ、励んできなさい」


 お父様はわたしに異常がないと思ったのか、ホッとしたように胸を撫で下ろした。

 わたしは、心配するコリンを置いて自室へ戻り、入学式のための準備を始めたのだった。

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