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25 主役がいない劇

 目が覚めた。

 視界に広がるのは、白い天井。


 ここは……?

 わたし、一体……?


「っ、劇!!」


 ガバッと起き上がった。

 白いシーツが視界に入る。

 ベッドで寝ていたようだ。

 あたりを見渡すと、わたしが寝ていたものと同じベッドが横に二つ並んでいた。

 正面は長椅子が壁に沿って設置され、その横には薬瓶が収納された棚がある。


 ──ここは、保健室? 


 わたし、どれくらい寝てたんだろう?


 混乱しながらも、ベッド横に揃えてある学校指定のニーハイブーツに足を通した。

「あら、起きたの?」

 中年女性の声がした。


 顔を上げると、近くの机で作業していた先生らしき人が、こちらを見ていた。

 保健室の先生かしら……?

 保健室に用があったことがないから、保健室の先生の顔も名前も知らない。


「王子様みたいな格好した男の子がね、あなたのこと抱えてやってきたのよ」


 ……マークだ。

 わたしをここまで運んできてくれたのね。


 壁にかけてある時計は、まだわたしたちのクラスの劇がやっている時間を示していた。

 そんなに長い時間、意識を失っていたわけではなさそうね。


「……わたし、行かなきゃ」

 ベッドから立ち上がって、保健室のドアへ歩もうとするわたしの手首を、先生が優しく掴んだ。


「まだ寝ていなさい。寝不足ね。演劇祭に向けて、無理をしていたんでしょう」

「無理なんかじゃないです。みんなが頑張ってるのに、わたしだけ寝てるなんて、できないです」

 振り払いこそしなかったが、分かってほしくて、わたしは先生を見据えた。

 先生はしばらく黙って何か言いたげな顔をしていたが、

「……そう」

 と言って、手を離してくれた。


「ありがとうございます」

 先生の気持ちも分かる。

 無理をしている生徒には、休んでほしいわよね。


 でも、大丈夫。

 わたしは大人だから。


 わたしは先生にお礼を言ってから、保健室を飛び出した。


 主役がいない劇を、クラスのみんなはどうやって乗り切っているんだろう。

 わたしが目覚めるまで、他のクラスと順番を変更してもらう?

 誰かが、台本片手に代役?


 ──それとも、棄権?


 みんなに迷惑をかけたくない一心でしていた努力が、みんなに迷惑をかける結果になってしまっている。

 最悪の結末だ。


 もう一人ずつぶん殴ってもらうしか、クラスメイトたちの腹の虫をおさめる方法はないかもしれない。

 頬がパンパンに腫れ上がった未来の自分を想像して寒気がしたが、それくらいは覚悟しておこう。

 それだけのことをやらかしたんだから。


 わたしはホールの裏側へ周り、舞台袖に足を踏み入れた。

「あ!」

 クラスの一人がわたしに気づき、すぐに口を押さえた。


 周りも「静かに!」と怒りながらも、わたしを見て驚いている。

「監督! アンさん来たよ!」

 誰かが小声で、監督係を勤めてくれている生徒を呼んできてくれた。


 監督は急いでわたしのところに駆けつけて来てくれた。

「もう体調は大丈夫?」

「うん、ごめんなさい」

「いや。それより、舞台見てよ」

 促されて、舞台袖から舞台を覗き込む。


「わあぁ! 綺麗な林檎ぉ!」


 ピンクのドレスを着て、赤い髪のウィッグを被ったコリンが、わたしの代役を務めていた。


 とんでもない棒読みで。


「コリンくんが立候補してくれたんだ。自分は林檎姫のセリフを全部覚えてるって。衣装は先生に頼んで、コリンくんが着られそうな別のドレスを引っ張り出してもらった」


 元男子校だから、男子サイズのドレスも過去のものがあったんだろうな。

 林檎姫を象徴する赤じゃなくてピンクになっているけれど、同系色だからあまり違和感はない。

「あぁ、林檎姫。その林檎は猛毒を持っています。食べてはいけません」

 木が喋った。

 デリックだ。

 相変わらず下手くそな演技。

 木のセリフは下手くそでも気にならないから、いいんだけどね。


「……アンさん、主役だから、練習を頑張ってくれてたんだってね」

「え」


 演劇祭準備以外の練習は誰にも言っていないはず……あ、コリンか。

 そうだ、林檎姫のセリフを覚えているということは、わたしの練習に付き合っていたことと同義だもんな。


「確かに、マークくんの演技は上手かったけど、アンさんは下手じゃなかったよ。練習の度に演技力が上がっていて、みんな毎回びっくりしてた。クラスのために頑張ってくれて、ありがとう」


 監督が、ペコリと頭を下げた。

「いや、そんな、わたしは……」


 目頭が熱くなる。

 怒られる未来を想像していたのに、努力を認められて。

 七個も年下のクラスメイトたちに迷惑をかけたのに、逆にお礼を言われて、大人として情けないはずなのに。


 この込み上げてくる熱い気持ちは、なんなんだろう。


「もし、元気があるなら、今からでもコリンくんと交代してもらえないかな? 見た通り、セリフは完璧だけど、演技は酷いからさ」


 クライマックスだけでも、と監督は苦笑する。

 それは嫌そうな笑顔じゃなかった。

 代役を引き受けてくれたコリンに感謝しつつも、わたしが交代しやすいように向けられた笑いだった。


 わたしは目尻に溢れた涙をぐい、と拳で拭う。


「……任せて」


 舞台上では、毒林檎を食べたコリンが倒れ、暗転していた。


「なんと言うことでしょう。林檎姫は、毒林檎を食べ、永遠の眠りについてしまったのです」

 ナレーションが入り、コリンが舞台袖にやってくる。


「え、え、アンさん!? もう体は大丈夫なんですか!?」


「大丈夫よ。だからコリン──脱ぎなさい」

「え、え、うぇぇ!?」


 コリンの身ぐるみを剥がし、ドレスを持って舞台袖の奥の方、人目のつかないところで着替える。

 正直周りにいるのはどうせ二十三歳だけなので、見られても問題ないんだけど。


「え、あ、アンちゃん!? 戻ったの? ってか、服!」

「あ、ノア! コリンに何か着るもの持っていってあげて! わたし、着ていた衣装、全部奪っちゃったから!」


 制服を思いっきり脱いでいる場面に、裏方のノアと鉢合わせた。

 ノアは目を両手で覆いながら「分かった!」と答えて、どこかへ向かっていった。

 コリンの制服を取りに行ってくれたのかもしれない。


 ドレスに袖を通し、赤髪のウィッグを被り、完成。

 コリンが着ていた男子用のドレスは少しブカブカだったが、コリン自身も小柄だったおかげで、ずり落ちるほどではなかったのが幸いだ。


 わたしは暗転中の真っ暗な舞台へと足を踏み入れる。


 林檎姫が毒林檎を食べて倒れているシーンから。

 暗闇の舞台の真ん中に寝そべる。

 準備が整うと、一気に瞼に光を感じた。


「……おや、あれは……」


 王子様が通りかかる。

 倒れている林檎姫を見つけ、立ち止まる。

「一度お会いした、赤髪の美しい方……。また会えるなんて……!」


 倒れている林檎姫の髪を手に取り、キスを落とす。

 それを合図に、わたしは目を覚ますのだ。


「……あれ、わたし……」


 上半身を起こす。

 王子のマークが片膝をついた姿勢で、わたしを見つめていた。


「お目覚めになりましたか? 前に一度会った者です。……覚えてはいませんか?」

「あ、あなたは……、王子様……?」

「はい。もう一度出会えて、嬉しいです」


 マークの優しい微笑み。

 彼がわたしを保健室まで運んでくれたのよね……。


 一生懸命、裏方作業をしてくれたノア。

 木の役でもちゃんと演じていたデリック。

 そして、わたしの代役を務めてくれたコリン。


 たくさん迷惑も心配もかけてきたみんなと、また馬鹿なことでも言って笑い合いたい。


 この子たちと、友達になりたい。


「わたしも……、わたしも、もう一度お会いしたかったです──王子様」


 マークの手を両手で握り、微笑みかける。

 マークは目を見開いた。

 壊れものを扱うかのように、ゆっくり力強くわたしを抱きしめる。


 エンディングの音楽が流れ、幕が閉じていった。

 観客席からは大きな拍手が上がった。


 劇が大盛況で幕を閉じた後。

「最後のハグは台本にねーけど?」

「いや……」

 デリックの問いに、珍しくマークが言葉を濁す。


 自分たちの劇が終わったので、みんな制服に着替えてから、一列になって観覧席に座っていた。

 舞台上は、前のクラスと次のクラスの入れ替わりの最中だ。


「そうだよ、なんでアンちゃんにハグしたのさ〜?」

「だって……しょうがなかったんだって……」

「何が〜?」


 デリックに次いでノアもマークを問い詰める。

 尋問みたいだ。


「……本当にオレのこと好きみたいな顔するから……」

「はあ〜?」


 デリックとノアが揃って怒りの声をあげた。

 まぁ、そう思ってくれたなら、わたしの演技は大成功ってことね。

 わたしがマークの回答にホッとしていると、ポカポカとマークの頭を殴り散らす。


「いて、いてて、やめろって」

「気のせいですぅ〜。アンちゃんはお前なんか好きじゃありません〜」

「そうだ、勘違いは恥ずかしいぞ」


 ひとしきり殴って満足したのか、二人はようやく手を下ろした。

「アンさん、僕、どうでしたか?」

 隣に座っていたコリンが、わたしの顔を覗き込む。


「そうね……、酷い演技だったわ……」

「えっ」

 ガーンと効果音が聞こえてきそうなほど、コリンの眉がハの字に下がる。

 それを見て、思わず笑みが溢れた。

「でも、最高だったわ。今回、コリンがお付きの者で、本当によかった。ありがとう、コリン」


 頭をぽんぽんと撫でる。

 コリンは照れ臭そうに笑った。


 他の三人も、主役不在の状況ながら劇を成立させようと努力していた。

 何より、こんな失敗をしでかしたわたしに、優しく接してくれた。

 この三人なら、もしかしたら、なってくれるかもしれない。


 ──わたしの、お友達に。

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