22 主役の責任
「……ふわぁ」
登校したは良いものの、あくびが止まらない。
……体が重い。
わたしの負担になっているのは、演劇祭だった。
暗記は得意だったので、すぐにセリフは覚えられたのだが、王子役のマークの演技が上手すぎて、姫であるわたしの演技が浮いてしまっている。
このままじゃ、クラス全員の足を引っ張っちゃう……。
クラスメイトからそう指摘されたわけではない。
他人から言われなくても自覚するくらい、浮いているのだ。
結果、わたしはここ二週間毎日、放課後行われる演劇祭準備の後は、コリンに演技の練習に付き合ってもらい、夜は女子寮の自室で自主練に励んでいるのだ。
……ちょっとだけ、眠い。
「具合悪そうだな」
机に突っ伏しているわたしの頭上から、デリックの声が降ってきた。
わたしはゆっくりと重い体を動かして、顔を上げる。
……いやいや、大人たるもの、疲れを顔に出しているようでは、まだまだだ。
これでは『子ども大人』の称号が外れてはくれない。
わたしは気合を入れるために、自分の両頬を軽く叩いた。
「デリックに心配されるようじゃ、わたしもダメね」
そう言って、背の高いデリックに笑いかけた。
わたしは元気、と目で訴えたが、デリックは眉間に皺を寄せた。
「何と戦ってんだよ」
「何って、自分よ、自分! いつでも最大の敵は己自身ってね!」
わたしは何も持っていない両手で拳を作り、前に突き出す。
甘ったれた自分にパンチ、パンチ。
「……自滅すんなよ」
「なんか言った?」
「何も」
デリックはそれだけ言い残して、自分の席に戻って行った。
放課後の演劇祭準備中。
「アンちゃん、調子はどう〜?」
手が空いたらしいノアが、役者の練習ゾーンにやってきた。
ちょうど休憩時間だったわたしは、ノアに台本を手渡す。
「全然ダメ。セリフは完璧なんだけど、演技力が足りない気がするの。ちょっとノア、相手してよ」
「いいよ〜。この、『わたしも、もう一度お会いしたかったです、王子様』ってとこからかな? いつでもどうぞ〜」
見て欲しいと頼んだのは、林檎姫が王子様のキスによって目覚めた後、王子様と両思いになるという、劇の最後のシーン。
終わりよければすべてよし。
クライマックスだけでも、完成度を高めようという作戦だ。
「わたしも、もう一度お会いしたかったです、王子様」
「……うーん」
「どう?」
ノアは台本を持ったまま、首を捻らせていた。
「アンちゃん……恋したことないでしょ?」
「えっ」
そんなことない、ちゃんと前世では旦那がいた。
しかし、思い返してみれば、あれは恋だったか?
周りの結婚ラッシュで焦って、マッチングアプリで出会った優しいふりをしていた旦那と、あれよあれよと結婚して。
あっという間にモラハラ夫となってから、恋だの愛だのいう感情は薄れてしまった。
「……ちょっと、もうそういう気持ちは思い出せないかも」
ノアは「え〜」と苦笑いした。
「だって、この話、冒頭で出会って一目惚れしていた同士が、偶然再会して運命を感じるシーンでしょ? たまたまぶつかった時から気になってた人に、もう一度会えたんだから、もっと溢れ出る感情がありそうなものじゃない?」
「う……」
確かに、ノアの言うことは正しい。
反論する余地がないくらい。
「アンちゃんは、大切な人に『もう一度会いたい』って気持ちが必要かもね」
それが嘘でもさ、とノアは笑った。
「おーい、ノア! さっきお前が作ってたやつどこー?」
「あ、今行く〜! じゃあ、頑張ってね、アンちゃん」
ノアは同じ裏方のクラスメイトに呼ばれて去ってしまった。
残されたわたしは、ノアに言われたことを口の中で繰り返す。
大切な人にもう一度会いたいって気持ち、ねぇ……。
演劇祭まで、あと一週間。
「おーい、お前らー、もう寮に帰る時間だぞ〜」
「えっ」
ルノウ先生が教室に顔を出し、帰るよう催促してきた。クラスメイトたちが口々に返事をする。
「もうそんな時間なの?」
わたしは窓の外に目をやる。
すでに日は沈み、外は真っ暗だった。
「アンさん、今日はこのくらいにしておきましょうか」
ずっと練習に付き合ってくれていたコリンが、困ったように微笑む。
「……っ」
焦っているのが、自分でも嫌なくらい分かる。
どれだけ時間をかけて練習しても、寝ずに頑張っても、クラスメイトからの評価は変わらず、マークとの差ばかりが強調されてしまっている有り様だ。
このままじゃ、醜態を晒す羽目になってしまう。
何より、クラスのみんなに迷惑をかけてしまう。
それだけは避けたい。
裏方のみんなも、役者のみんなも、演劇祭のために一生懸命頑張っている。
その努力を、わたしの下手くそな演技一つで、観客から低く評価されるのだけは嫌だ。
みんなの内申点にだって関わってくるのに。
「そうね、帰り支度をしましょうか」
「はい」
わたしは台本を机に置いてあるカバンにしまい、女子寮に帰るべく、カバンを持った。
「──っ?」
ぐらり、と視界が揺れた。
景色が反転する。
「アンさん!?」
床に倒れる寸前、コリンがわたしを抱き止めてくれた。
「アン!?」
「アンちゃん!?」
「アン……!?」
何事かと、クラスメイトたちの視線が集まる。
まずい、発作が……!
よりによって、みんながいる前で……!
心臓がバクバクしている。
荒くなった息が整わない。
手足は震えて力が入らず、起き上がれない。
──苦しい。
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
──怖い。
「アンさん、落ち着いて、ゆっくり息を吐いてください」
コリンは幼い子どもに言い聞かせるように、優しい声音でわたしの背中をさすった。
息が上手にできず、とてつもない不安に襲われたわたしは、年甲斐もなく、彼の背中に腕を回して抱きついた。
涙が止まらない。
彼の肩に顎を乗せ、言われた通りにゆっくり息を吐こうと心がける。
「そう、そうです、上手……」
「はっ……、はぁっ……!」
段々息が整ってきた。
涙が頬を伝う。
体を離してコリンの顔を覗き込む。
彼はわたしを安心させるように微笑んでから、ズボンのポケットからポーションの入った小瓶を取り出した。
「これ、飲んでください。落ち着かせる効果のある薬です」
渡されたのは、見慣れた薬。
いつも主治医からもらっているやつだ。
「は、ん、んくっ……」
それを受け取って、喉に流し込む。
激しかった動悸が、徐々に収まっていく。
手足の震えも止まり、恐怖心も消えていった。
──しばらくして、ようやく完全に呼吸が通常通りに戻った。
「ありがとう、コリン……」
わたしは立ち上がって、再びカバンを持つ。
なんともない。
「みんな、ごめんなさい、驚かして。もう大丈夫よ。寮に帰りましょう」
動揺するクラスメイトたちに振り返って、なんでもないふうに笑ってみせる。
それでも、彼らはあまり納得できていないようで、ざわめきは収まらなかった。
コリンが一歩近づいてきて、言う。
「アンさん、女子寮までお送りします」
「平気、一人で帰れるわ」
「アンさん」
「……っ」
こんなに引かない意思を見せてくるコリンは初めてかもしれない。
「わかったわ……途中までね」
わたしが了承すると、クラスメイトたちの中から、手が上がった。
「俺も送る」
「ボクもボクも〜!」
「オレも。……なんか、オレのせいみたいだし」
……気にしなくていいのに。
こうして、デリック、ノア、マークも参加して、五人という大所帯でわたしは女子寮に向かうことになった。
「アンさんは、頑張りすぎです」
有無を言わさず荷物を奪われた女子寮までの道のり。
コリンはわたしを叱った。
隣でノアがうんうん、とうなずいている。
「寝る間も惜しんで練習していますよね? 隈、すごいですよ」
「だ、だって……、クラスのみんなが頑張ってるのに、主役のわたしが下手くそなんて……」
「アンちゃんは別に下手じゃないよ。マークくんが上手すぎるだけで」
ノアがフォローを入れてくれる。
「別に、オレだって、アンタが下手だと思ったことはないよ」
あのデリカシーのないマークすら、気を遣ってくれている。
暗くなった自然の中、寮へと続く舗装された道を歩く。道に沿って等間隔で設置された外灯が、わたしたちを照らしていた。
「でも……」
「でもじゃねえ。それでさっき倒れたんだろ。今日はさっさと寝ろ」
ピシャリ、とデリックに諭されてしまう。
あれは『成長止め』という持病の発作だったが、デリックは寝不足とストレスで倒れたと思っているらしい。
……まぁ、それも原因の一つだから、あながち間違いではない。
もうどっちが大人なんだか分からないわね……。
「わかったわ……。今日はもう休むことにする」
わたしは蚊の鳴くような声で返事をした。
女子寮への分かれ道に到着して、コリンは荷物をやっと返してくれた。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
デリックが手を振る。
わたしも作り笑顔で手を振り返した。
……情けない。
マークに差をつけられて、デリックに心配されて、ノアにダメ出しされて、コリンに助けられて。
本当にわたしは三十歳なんだろうか?
──『大人』なんだろうか。
「ねぇ」
俯いてため息をついているところに、声をかけられた。
慌てて顔を上げると、マークが走って戻ってきていた。
「どうしたの? 何か忘れた?」
「……アンタは『女扱いしなくていい』って言ってたけど……」
わたしより頭一個分は背の高いマークが、わたしの頭にポンと手を置く。
「【リカバリー】」
そして、水属性魔法【リカバリー】を唱えた。
回復魔法だ。
倦怠感がなくなっていくのを感じる。
「……少しは、目の隈も薄くなったね」
屈んで、わたしの顔を覗き込むマーク。
「なんで、わざわざ……? このために戻ってきたの?」
「オレのせいで、アンタが体調崩したら後味悪いでしょ、それに……」
マークは屈んでいた姿勢を戻して、そっぽを向く。
「『女扱いしなくていい』なんて言ってる女、放っておけないんだよ。……ママに怒られちゃう」
ママ?
「『女の子は全員お姫様』っておっしゃっていたお母様よね? そんなことで怒るかしら?」
「怒るよ。女の子を全員、ママも含めて、お姫様扱いしないと、怒られる」
ママも含めて?
もしかして、マークはお母様の『小さな彼氏』扱いされてきたんじゃないの!?
「だから……お前も女らしく、守られててよ」
「マーク……」
お母様以外の女の子も姫扱いさせることで、お母様自身の異様さをマークが気づかないように誤魔化している不気味さに気づいてしまった。
この子を、呪いから解放してあげたい。
「いい? マーク」
わたしはマークの目を見据える。
「この魔法学院にいる限り、お母様の目は届かないわ。ここでくらい、女を守る、なんてルールは捨てて、あなたはあなたらしく振る舞っていていいのよ」
「……でも」
「あなたが自分の意思で行動しても、お母様には分からない。もし怒られたら、わたしのせいにしていいから」
この女に唆された、とでも言えばお母様のヘイトはわたしに向くだろう。
なんだか、この学院の子たちは、年相応じゃない子が多いわね。
「……オレの、意思」
マークはわたしの言葉を頭の中で反芻しているようだった。
「わたしが練習いっぱいしてるのも、マークのせいじゃない。わたしの意思よ。だから気にしないでね?」
「……わかった」
ようやくマークは納得したのか、男子寮への道へ戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、わたしは爪が手のひらに食い込むほど、強く拳を握りしめる。
……こんなんじゃ、ダメだ。
わたしはもっともっと、頑張らないと、いけないんだ。
だって、わたしは──立派な大人なんだもの。
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