17 家族奉仕
オススメのお店があるんだ、とノアは、わたしをカジュアルなレストランに連れて行ってくれた。
白を基調にした綺麗な内装とクラシックな雰囲気で、メニューに載っているご飯も美味しそう。
学生は安くて良いお店を知ってるんだなぁ。
わたしがお店を気に入っている一方で、ノアは、お店に向かって歩いている時も、オーダーを頼み終えた後も、どことなく元気がなかった。
やっぱり、さっき絡まれたのを気にしているんだろうか。
「……ノア、さっきの人たちのことなら、気にしなくていいわ。ただの災難だもの、事故よ、事故」
わたしは殴られてまだ熱を帯びているノアの頬に、冷たいおしぼりを当てた。
ノアは素直にそれを受け取る。
「…………いや、ボク、アンちゃんに助けられて、情けないなって……」
情けない?
わたしはノアが何に気を病んでいるのか、さっぱり分からなかった。
「どこが情けないの? ノアはわたしのことを守ろうとしてくれたじゃない。簡単にできることじゃないわ」
わたしのフォローにも、ノアの苦い表情は変化せず、小さく首を横に振った。
「……でも、結局あの場をなんとかしてくれたのは、アンちゃんじゃないか」
「別に誰が解決したっていいじゃない。それとも、ノアがどうにかしなきゃいけない理由でもあるの?」
お冷に口をつけながら問いかける。
「あるよ! だって……」
ノアはテーブルの上に置いていた拳を、ぎゅっと握りしめた。
「ボク、お兄ちゃんなのに……!」
「…………は?」
まただ。
長男だから?
長男だから、誰かに守られるのは情けないって?
そんなことで落ち込んでいるのか、この子は。
わたしは呆れたため息が出るのを必死で抑え込んだ。
…………しょーもない。
心底、どうでもいい。
やっぱり、二十三歳は理解できないことだらけだ。
「あのね、ノア」
わたしが静かに口を開くと、ノアの肩がびくりと震えた。
「困っている人を助けるのに、生まれた順番は関係ないでしょ」
「…………っ!」
ノアはハッとしたように顔を上げた。
紫色の瞳が、小さく揺れている。
「それとも、ノアは、困っている人が『お兄ちゃん』だったら、助けないのかしら?」
「そんなことない!」
ノアが大きな声を出し、店内の視線が一瞬わたしたちに集まる。
ノアもそれに気づいて、小声で「ご、ごめん……」と謝りながら縮こまった。
「……ね? わたしも一緒」
わたしはにこりと微笑んだ。
ノアがそう答えることは予想していたから。
わたしを守ってくれようとしたノアなら、きっと誰だって助けるはずだ。
気を取り直そうとしてか、ノアはお冷を一口飲んで、
「…………ボクは奨学金で入学してるんだ」
ぽそぽそと、遠慮がちに語り始めた。
わたしは頬杖をついて、その話に耳を傾ける。
この世界にも奨学金制度はある。
平民が魔法学院に入学する際は、九割奨学金制度を利用する。
奨学金という名の借金をしてでも魔法学院に入学したい人は多い。
魔法学院を卒業した、という事実はそれだけ今後の就職に価値があるのだ。
「ボクは四人兄弟の長男で、弟たちとも歳が離れててさ……親が結構、ボクを頼りにしてるんだよね」
「え……それって……」
わたしの前世で言う、ヤングケアラーじゃない!?
だってまだノアは二十三歳だから、十代からお世話してたってことでしょ!?
「父さんは出稼ぎに行ってて、あんまり帰ってこないし。母さん一人じゃ大変だと思って、本当は魔法学院なんて行かないで働こうと思ったんだけど、母さんに立派な魔法使いになって親孝行しろって言われて……はは……」
「そんな……!」
ノアの苦笑いに、胸が締め付けられる。
そういえば、ノアも試験で一位にこだわってたっけ……。
家族のために魔法学院に入学して、家族のために魔法使いになって。
それって、ノアの意思はどこにあるの?
『お前は俺の言うことを聞いてればいいんだよ』
『口答えするなよ、頭悪いんだから』
『飯まだ? なんでできてないの? 一日何してたの?』
前世で、旦那に吐かれた暴言が蘇る。
三食ご飯を作って、家事をこなして、終わる毎日。
わたしの意思なんて、どこにもなかった。
考える力すら奪われていたあの頃。
あの日の自分とノアが重なる。
ノアも、二十三年という月日をかけて、そうなってしまっているような気がした。
「長男とかお兄ちゃんとかの前に、ノアはノアでしょ」
「…………!」
「ご家族のために行動することはとても素晴らしいことだと思うわ。でもね、家族のための前に、自分を優先してあげてほしい。これはわたしのワガママだけど、自分がやりたい、と思った方向に進んでいいと思うの。だって将来、これからなんだから」
ノアは小さくうなずいて、お冷をぎゅっと握った。
「あ、ありがとう……」
照れ臭そうに笑うノアに、わたしも笑い返す。
元気が出たようでよかった。
「将来これからなんて、まるでアンちゃんは、もう将来がないみたいだね」
良いこと言ったのにツッコミを入れてくる。
そりゃあ三十歳のわたしは、今がノアで言う将来真っ只中よ。
「あら、そんなつもりで言ってないけどね、そう聞こえちゃったかしら?」
必死でとぼけてその場をやり過ごしていると、
「お待たせいたしました」
ちょうどウェイターが、注文した料理を運んできてくれた。
ナイスタイミングだ。
テーブルの上に二種類のパスタが並べられる。
美味しそうな匂いに、自然と会話はおしまいになった。
「いただきます」
ノアはフォークだけで、わたしはフォークとスプーンを使って、パスタを食べる。
「美味しいね」
ノアが言うので、一応うなずいておいた。
正直、値段通りの味だわ。
「それで、本題なんだけど……」
食べ終わったお皿も下げてもらって、優雅に食後の紅茶を楽しんでいるとき、ノアが切り出した。
彼の鞄から取り出されたのは、一冊の魔法専門雑誌。
……嫌な予感がする。
ノアの手によってペラペラとページが捲られ、あるページを見開きにした状態でストップされた。
ノアは、わたしが見やすいよう、雑誌を逆さまにしてテーブルに置く。
「これ、アンちゃん?」
ノアが指差す先には、わたしが半年前に寄稿した記事があった。
寄稿したライターの名前は、『アン』。
全身の毛が逆立つレベルでギョッとした。
「すごい内容だったよ? アンちゃんって、全属性の魔法が使えるの?」
「え、誰かしら? 知らないわ」
わたしが寄稿した魔法専門雑誌じゃないの!
こんなコアなもん、どこで手に入れたのよ!
「アンちゃんと同じ名前だよね?」
追求してくるノアから、わたしは目をそらす。
「さ、さあ? たまたま同じ名前の別人じゃない?」
「ふ〜ん」
わたしの下手くそな誤魔化しに、ノアは納得したような、してないような曖昧な相槌を返して、また別のページを捲り始める。
次はなんだっていうのよ……?
「ここに、そのアンって人の著者近影も載ってるみたいだよ」
ノアの人差し指が示すのは、似顔絵師によって描かれたわたしの顔。
そして、その下にまたしても、『アン』という文字。
逃れられない証拠に、わたしは右手で額を押さえた。
すっかり忘れてた……!
この雑誌、最終ページにライターまとめるって言って、この回に寄稿したライター全員の顔と名前を載せられたんだった……!
そもそも魔法専門誌は対象読者がほぼ学者……!
そんな難しい本、魔法学院の学生が手に取ると思わないじゃない……!
「どこでこれを……?」
「図書室。実技試験の前に勉強してたら、たまたま見つけたんだよね〜」
雑誌の裏表紙には、魔法学院の校章の印が捺されていた。
学院の図書室のものである証だ。
だからデートなんて誘ってきたのか……!
わざわざ二人きりになるために……!
わたしは観念した。
「元々アンちゃんって、年齢不相応に大人っぽいから、おかしいなとは思ってたんだけどね」
「な、何が望み……?」
「待って、待って。そんなエッチな小説に出てくる屈服した女騎士みたいなこと言わないで」
ノアの例えが全く伝わらない。
「違うんだよ。アンちゃんは、年齢や家柄を偽ってまで、どうして魔法学院に入学したのかなって。何か事情があるなら、協力させてよ」
きょ、協力……!?
「……な……な……!」
──なんて、良い子なの……!
そうよね、みんなの前で聞いてもよかったのに、デートに誘ってくれたのは、わたしの事情を配慮してくれたからだわ。
困り眉のノアが、上目遣いでわたしを見つめている。
垂れた犬耳が生えているみたいだ。
わたしはそのあまりのピュアさに目が眩む。
「……わたし、十代の頃に、訳あって魔法学園に通えなかったの……」
今度はわたしが過去を話す番だった。
ノアは雑誌をカバンにしまって、前のめりの姿勢になる。
「だから、お父様から『社会性を身につけるために学院に入学しろ』って言われて……。二十代の中に三十として入りたくないし、貴族だって目立ちたくなかったから、隠していたの」
「その社会性って、どうしたら身につけたって証明できるの? 目に見えるものじゃないよね?」
鋭い。
「うん、友達を三人作るっていう指標があるわ。でも……この学院には、わたし以外、男子しかいないから、もう困っちゃって、困っちゃって」
ただでさえ、友達と呼べる人間がいないっていうのに。
いきなり七個年下の異性の友達を作れというのは、いささかハードモードがすぎると思う。
「…………それさ、ボクをその一人にしてよ!」
「え?」
「ボク、アンちゃんと友達になりたい!」
思わぬノアの提案に、わたしは瞬きを繰り返すことしかできない。
「…………本当に、いいの?」
「あ、アンちゃんさえよければ、だけど……!」
ノアが慌てて言い直すが、わたしが気にしているのはそんなところではない。
「……だって、わたし……」
三十歳だよ?
年齢を再度聞いても、ノアの意思は変わらなかった。
「さっきアンちゃんが言ってくれたよね? ノアはノアだって。ボクにとっても同じ。アンちゃんは、アンちゃんなんだよ。ボク、別にアンちゃんが同い年だと思ったから、友達になりたいわけじゃないよ?」
ついさっき放ったわたしのセリフをそっくりそのまま返されて、言葉に詰まってしまう。
「二十三歳と三十歳は友達になれないなんて、誰が決めたの?」
「そ……れは」
わたしの負い目。
年齢を偽ってないと、学院で友達なんて、できっこないって。
ノアは微笑んで、右手を差し出した。
「アンちゃん。……ボクと、友達になってください」
「……はい」
わたしはその手を取った。
子どもなのに、わたしより大きな男の子の手が、温かい。
二十三歳と握手するのは、これで何度目だろう。
それでも、やっぱり恥じらいは捨てきれなかった。
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