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エリオットの忠誠

 スペンサー男爵家の長男エリオットは、生まれた時からアーサー・キャロルの側近になるため育てられた少年だった。


(なんでだろう)


親から「アーサー坊ちゃんによくお仕えしなさい」と言われるたび、エリオットの脳裏によぎるのは純粋な疑問だった。


(なんで生まれた家の違いだけで、俺が坊ちゃんの家来になるんだろう)


両親だって、家ではエリオットのことを可愛がってくれる。ただ、二人の仕事場であるキャロル家では常にアーサーが優先だった。


アーサーは生来虚弱体質で、体調を崩しては多忙なキャロル夫妻に代わってスペンサー夫妻が面倒をみてきた。そのたびにエリオットは寂しい思いをして、


「二人とも俺と坊ちゃんどっちが大切なんだ!」


と憤った。


キャロル家が王家とか公爵家なら、まだ我慢ができた。だが、キャロル家とスペンサー家の家格はほとんど変わらない。


(なんで男爵の中でも金持ちのうちが、子爵家の家令なんかやらなきゃいけないんだ)


キャロル家がウッズワード辺境伯の配下でも一目置かれているのはエリオットも知っていた。でもそれは、百四十年くらい前に王家へ嫁いだ大聖女様の実家だからだ。


それを言うなら、スペンサー家のはじまりは大聖女様の実の弟だ。むしろスペンサーのほうが偉いんじゃないのか、なんて言った日には父の拳骨が落っこちるだろうから口には出さないけれど。


(俺の方が坊ちゃんより強くて、足が速くて、しゃこーてきで、女の子にもモテるし)


勉強だけはアーサーに及ばないと認めるけど、エリオットの学力だって別に悪くはない。


(俺なら絶対にアーサー坊ちゃんより活躍できるのになぁ)


日々溜まっていく鬱屈した気持ちは、二人が五歳の新年に爆発した。


「どういうことだよ、父ちゃん!宴に行けないって!!?」


辺境伯家の宴は、娯楽の少ない辺境では一大イベントだ。初参加の日を心待ちにしていたエリオットは、当日になって今年は不参加だと言われ激怒した。


「仕方ないだろう、アーサー坊ちゃんが風邪をひいてしまったんだ。臣下だけ遊びに行くわけにはいかない。今度好きなおもちゃを作ってやるから、今日は我慢してくれ」


「また、坊ちゃんの病気かよ!!!」


「エリオット。坊ちゃんだって好きで体が弱いわけではないのだぞ!」


はじめは申し訳なさそうにしていたスペンサー男爵も、聞き分けの悪い息子にだんだん口調が強くなる。


「父ちゃんなんか知らない!」


エリオットは居間の果物籠の中からリンゴを掴むと、家を飛び出した。門を出て十歩も走れば、キャロル家の屋敷につく。


顔見知りの門番に軽く挨拶して子爵邸へ入り、アーサーの部屋の前に行くと、キャロル家の侍女長をしている母親と鉢合わせた。


「エリオット、こんなところでどうしたの?」


「別に。坊ちゃんが風邪ひいたって聞いたから、おみまい」


証拠のようにリンゴを突き出して見せれば、母は少々疑わしそうにしながらも、


「風邪がうつるといけないから、あまり長居をしてはだめよ?」


と言って息子に入室を許した。エリオットが扉を開けると、窓際に置かれたベッドの中で、真っ赤な顔をしたアーサーが咳をしている。


「あっ、エリオット。遊びに来てくれたの?」


「遊びじゃなくておみまいだよ」


嬉しそうなアーサーにリンゴを放ると、アーサーは「わっ、わっ!」と慌てながら、布団の上で転がるリンゴを鈍くさく持ち上げた。


「ありがとう。……ごめんね、スペンサー男爵には、こほっ、僕のこと気にしないで、けほっ、エリオットと一緒に宴に行ってきて、って言ったんだけど……」


見舞いと引き換えに両親の説得をアーサーに頼もうとしていたエリオットは、それを聞いて渋面になった。


「本当に、ごめん……」


しょげかえるアーサーに、エリオットは首を横に振った。


本当は、エリオットだってアーサーが悪いわけではないとわかっている。悪いどころか、友達としてならアーサーはいいやつなのだ。ただ、へなちょこすぎて仕える気にはなれないだけで。


「もういいよ。母ちゃんにあんま長居するなって言われてるから、帰る」


「うん。リンゴ、ありがとう」


エリオットは子供部屋を出て、肩を落とした。いっそ、アーサーがエリオットに威張り散らす嫌な奴だったら、両親もかわいそうに思って宴に連れて行ってくれたかもしれないのに。


「ちぇっ。なんだよ、もう」


エリオットはつまらなそうに屋敷を後にした。




 それから一年して、ようやくエリオットは念願の新年祭に参加することができた。


「いやっほぅ!!!」


前日に両親から、くれぐれもアーサー坊ちゃんの側付きとしてしっかりやるように、と言われていたが知ったことではない。エリオットは未知のおもちゃ目指して走り出した。


「こらエリオット!アーサー坊ちゃんのお傍を離れるんじゃない!」


後ろから父親が追いかけてくるが、エリオットはすばしっこく大テーブルの下に隠れてやり過ごすと、子供たちの輪の中に入っていった。


「おーい。俺、エリオット!初めて宴に来たんだ、仲間に入れてくれよ」


「おう、いいぜ!これ知ってるか、打ち合うと魔石が光る剣のおもちゃ!」


「うぉおお、すげぇ!」


「しかも変形する!」


「かっけぇえええ!!!」


カラッとした気質が多い南部戦士の子息らしく、子供たちは少々荒っぽいが気のいいやつばかりで、快活なエリオットはすぐに打ち解けた。


はじめは都で流行りのボードゲームやカードゲームを楽しんでいたのだが、やんちゃな彼らがそれだけで満足できるわけがなく、ボールの投げ合いが始まり、おもちゃの剣を振り回し、壁の凹凸をよじ登る子まで出る始末。


「お前ら、それ以上暴れるなら外に出ろ!」


堪忍袋の緒が切れた戦士たちにどやされて、子供たちはわぁきゃぁと叫びながら庭に飛び出した。


エリオットが仲良くなった子とボールを追いかけまわしていると、辺境伯に連れられたアーサーも庭にやって来る。


仲間に入れてやらなきゃいけないかな、と思ったがアーサーも意外とすんなり溶け込んでいた。なら放置でいいか、と思い直したのもつかの間だ。


「俺と勝負しろ!」


アーサーが、ガキ大将っぽい少年に絡まれていた。


(何やってんだよ……)


両親の言いつけを守るなら、すぐに助けに行くべきだとわかっていた。しかし相手は体の大きな年上で、とても敵いそうにない。


助けを求めるようなアーサーの視線に気づかないふりをして、エリオットはボールを追いかけその場から逃げた。




 その後、アーサーはシルフィーネという辺境伯家の娘に助けられ、彼女の後をついて回るようになった。


家に帰る時もアーサーは泣いて嫌がり、領地に帰ってきてからもエリオットの誘いを断って庭で植物観察するばかり。最初はアーサーの世話から解放された、と喜んでいたエリオットだが、だんだんつまらなくなってきた。


今日も図鑑を片手に庭へ出ていこうとするアーサーに、エリオットは声をかけた。


「なぁ坊ちゃん、たまにはかくれんぼしようぜ」


「悪いけど、今日はフララハブヘヨモギの葉っぱを数えに行きたいんだ」


「葉っぱなんか数えて何が楽しいんだよ」


「楽しいというか、フララハブヘヨモギは傷薬の材料だから、研究したくて。……あのね、エリオット。僕、お医者さんもできる子爵になりたいんだ」


とっておきの秘密を打ち明けるみたいに声を潜めるアーサーを、エリオットは内心で小馬鹿にした。


(子爵と医者を両立できるわけねーだろ。いや……坊ちゃんが医者になって、俺が領主になると考えたら、案外悪くないのか?)


エリオットの母はキャロル子爵のはとこなので、エリオットにもうっすら子爵家の血は流れている。アーサーが自主的に爵位を譲るなら、一応、簒奪にはならない。


だが、エリオットはわかっていなかった。自分のほうが領主にふさわしいと考えてしまう、その思考がどれだけ危ういことなのか。


「ふーん。ま、がんばって」


「うん、ありがとう」


エリオットの気のない返事にも、アーサーははにかむような笑顔で庭に出て行った。


(なんか面白いことねぇかな)


エリオットが屋敷の中をあてもなくぶらぶらしていると、なんだか慌てた様子の父親がやってきた。


「エリオット!旦那様を見なかったか?」


「旦那様?そういえば、アーサー坊ちゃんの後から庭に出ていくのを見たような」


「庭だな。わかった」


「……?」


ほどなくして、父親がどうしてあんなに慌てていたのかが判明した。魔の森で魔物の大群が現れ、大損害が出たのだという。


隊長をしていたシルフィーネの母も亡くなったとかで、キャロル子爵とアーサーが急いでウッズワード家の葬儀へ向かった。


続報で魔物の大群は更なる大発生の予兆かもしれないと聞かされ、屋敷は俄かに慌ただしくなっていく。


「な、なぁ、父ちゃん、魔物って、キャロル子爵領までは来ないよ、な……?」


「わからん」


「わからん、って……」


「もう何百年も大昔、破魔の力を持たない聖女様が続いて魔物の討伐数が減った時代に、魔物の大発生があったそうだ。今回はその時の様子に酷似しているらしい」


その頃の文献だろうか、古い書物をめくりながらスペンサー男爵は息子に答えた。


大聖女ステラの逝去以来、破魔の力が使える聖女は空位だ。現在は聖女を虐げることが固く禁じられているので、人に対して拒絶心のある聖女が生まれにくいせいだ。


ウッズワード家は懸命に魔物討伐をこなしてきたけれど、聖女の破魔には及ばない。討伐数は大聖女の現役時代に比べると確実に落ちていた。


「でも、確か王家に聖女様がいなかったっけ?」


「エイプリル姫はお前やアーサー坊ちゃんと同い年で、聖女の力が発現して間もない。力が安定していないだろうし……そもそも陛下が辺境によこすと思えん」


国王に謁見したことのあるスペンサー男爵は、苦々しい顔で言い切った。


「辺境伯閣下は王都に援軍を要請したそうだが、おそらく望み薄だろう」


「そんな、こんな時に国民を守るのが王族の役目じゃないのかよ」


「国王陛下は少々……保守的な方だからな。せめて王妃陛下や先代の聖女様がご存命であれば、あるいは年長のメイジェーン姫が聖女様であれば、希望があったろうに……」


思わず王を批判してしまった男爵は、はっとして息子に向き直った。


「いや、今の話は忘れてくれエリオット。とにかく、迎撃準備を進めなくては」


スペンサー男爵の指示で子爵家の支配下にある村には避難命令が出され、城壁のある領都や港町に続々と村人が集まってきた。


農閑期の冬場だったのが不幸中の幸いで、移動は比較的スムーズだ。


領民を収容しがてら食料の備蓄を運び込み、魔物除けの柵や飛び道具、城壁から投げるための石、油などを手配する。


エリオットも父の伝令であちらこちら駆けずり回り、あっという間に一日が終わった。


翌朝、キャロル子爵とアーサーが辺境伯家から戻ってきたが、アーサーは夜中に庭へ出ていたとかで熱を出して帰ってきた。


「こんな時に何やってんだよ、坊ちゃん」


母親にアーサーの看病を言いつけられたエリオットは、部屋で寝ているアーサーの額に冷水で絞った布を押し当てた。


「ごめん、エリオット。でも、シルフィーネお嬢様のことが心配で……辺境伯家の砦は、大丈夫かな……」


「あのお嬢様なら殺しても死にそうにないし、砦も立派だし、大丈夫だって」


「シルフィーネお嬢様のこと、悪く言わないで」


エリオットとしては励ますつもりで言ったのだが、アーサーはむっとした表情で言い返してきた。


寝込んでいるときは特に穏やかで物静かなアーサーがこれほど強く反論するのは珍しい。エリオットは正直、


(シルフィーネ様ってブスとまではいわないけど、町の女の子のほうがよっぽどかわいくねぇか?)


などと思うのだが、それを口にするとアーサーの逆鱗に触れる予感がしたので軽く謝っておいた。




 二日後、アーサーの熱が下がったころに辺境伯から恐れていた知らせが来た。魔の森から、大地が轟くほど無数の魔物が出現したという。


辺境伯家では砦に立てこもって応戦せざるを得ず、可能な限り魔物の数を削ぐつもりだが、取り逃した魔物が南部の各地に散開すると予測されること。


砦周辺の魔物の盗伐が完了したら速やかに援軍を送るので、それまで各領地で耐え忍んでほしいこと。


「シルフィーネお嬢様を助けに行く!」


「馬鹿、坊ちゃんが行っても足手まといだよ!!!」


報告を聞いて転移の魔法陣に飛び込もうとするアーサーを、エリオットは羽交い絞めにして止めた。キャロル子爵も頷いて、アーサーを窘める。


「エリオットの言う通りだ、アーサー。まずはキャロル領の防衛に専念しなくては、かえって他領の足を引っ張ることになる」


子爵の言葉通り、辺境伯の知らせからほとんど時を置かず、各地の被害状況が鳥文で飛んでくるようになった。


とある集落が壊滅した、避難の間に合わなかった村が滅んだ、あちらの領地では被害が甚大だ。そんな知らせが毎日のように飛び込んできて、魔物との戦線はどんどん子爵領に近づいていく。


ついにある朝、見張りの兵士が街道の彼方に魔物の群れを発見した。


「敵襲!魔物が、魔物が来たぞぉ!!!」


警鐘がけたたましく打ち鳴らされ、キャロル家の兵や近隣住民の中から志願した若者たちが子爵邸の前に集まってくる。


エリオットとアーサーは屋敷の最上階に設えられた露台で、その様子を見た。


「な、なんだよ、あれ……!」


二人とも南部の辺境っ子だ、魔物を見るのは初めてではない。魔物素材の日用品はありふれているし、時には辺境伯家が討ち漏らした魔物が町の外で発見されることもあった。


だが、街道が蠢く黒い帯に見えるほどの大群などはじめてで、エリオットの声が恐怖に震える。


キャロル子爵領は海と山に囲まれた天然の要害だ。


領都は切り立った高台にあり、北部へ延びる街道沿いには農村地帯が広がっていて、その反対側は魔物が嫌う海になっている。


農村部は避難が完了しているので主に北面の防衛だけに注力すればいいのだが、それにしても数が多すぎた。


屋敷の前庭に続々と集まる兵士の中にそれぞれの両親を見つけたエリオットとアーサーは、顔を見合わせて階段を駆け下り屋敷を飛び出した。


「父さん、母さん!」


「母ちゃんまで、行くのかよ!?」


二人が各々の母親にしがみつくと、丈夫なローブと魔法の杖で武装した夫人たちは痛みをこらえるような顔をして、息子を抱きしめた。


「あの魔物の数を見たでしょう?戦えるものは一人でも多く戦場に出なければ」


「戦わずに貴方に何かあったら、そのほうが恐ろしいのよ、エリオット。わかってちょうだい」


母親たちの言葉に、二人とも涙をこらえて頷いた。母子のもとに、武装したキャロル子爵がやってくる。


「二人とも、よく聞きなさい。町には戦えない老人や子供、魔力の少ない女性が多く残る。屋敷は好きに使っていい、もしもの時は二人で協力して民を守るのだぞ」


「はい、父さん……!」


子爵に付き従うスペンサー男爵が、無言でエリオットの頭を撫でた。


大丈夫、みんな無事に帰ってくると自分に言い聞かせて、二人は出陣する親たちを見送った。




 戦いは長く、激しかった。


事前に堀に海水を引いておいたのだが、魔物が多すぎて気休めにしかならなかった。


堀の中に魔物が落ちて瞬く間に埋まり、死体の上を渡って襲い来る魔物。


城壁の上からは矢を射かけ、油を浸みこませた布に火をつけたものを魔物に向かって投げつける。


港町では子爵家が所有する唯一の軍船を出して海からも攻撃し、魔物の群れに爆撃魔法が撃ち込まれた。


「泉の女神様、どうか皆をお守りください……!」


露台で祈るアーサーの横で、エリオットは青い顔をして戦場を見つめていた。


(父ちゃん、母ちゃん、みんな、がんばれ、がんばれ!!!)


子爵軍は規模と練度の割には善戦していた。


だが、無限に湧き出ているのではないかと錯覚させるような魔物の大群は、体力を、戦意を、物資を容易く消耗させていった。


これが人間同士の戦なら、悪天候時や夜間は休息をとることもできる。


だが、魔物は状況も昼夜も関係なく襲ってくるのだ。


少年たちが祈っていられたのは初日の数時間だけで、怪我人の収容と手当て、食事の用意、武器の補充と毎日朝から晩まで動き続けた。


手を動かしていなければ余計に恐ろしい考えに囚われそうだった、というのもある。


毎日、顔見知りの兵士が死んでいく。


親に会えない日が何日も続いた。


体が薄汚れても風呂なんて入る余裕もなく、病院代わりの教会の床へ転がって仮眠をとる。


けれども町の城壁に魔物が体当たりする音が耳にこびりついて、夜も眠れなかった。




 そんな日々がどれほど続いたころだろうか。


キャロル子爵夫妻が瀕死の重傷を負い、教会に運び込まれた。


「申し訳ございません、アーサー坊ちゃま……!」


子爵夫妻の手当てが終わると、満身創痍のスペンサー夫妻がアーサーの前に平伏した。


「お二人は我らの隊をかばって……主君に守られるなど、なんとお詫び申し上げればよいか……!!」


スペンサー家はほんの百四十年ほど前は、姓も持たないただの貧しい漁師だった。何世代にも渡って高い魔力を持つ者同士で婚姻を繰り返した貴族に比べ、魔力が低い。


魔力切れを起こした配下たちを、キャロル夫妻が囮になって助けたのだ。そう説明を受けたエリオットは、恐る恐る隣のアーサーを盗み見た。


「顔を上げてください、二人とも。無事でよかった」


アーサーは恨みがましさなど欠片も感じさせない静謐な目で、スペンサー男爵夫妻を見下ろしていた。


「それに父さんたちだって、死んでしまうと決まったわけではありません。あきらめないで、今日は二人とも休んでいてください」


アーサーはそう言うと、教会の炊事場に足を向けた。なんとかという薬草で傷薬を煎じている途中だったから、作業に戻るのだろう。


エリオットも手伝いのために後を追いかけ、ふと思いついて声をかけた。


「なぁ坊ちゃん、辺境伯様に、被害を大げさに報告してみないか?もしかしたら、いい薬を送ってもらえて、旦那様たちが助かるかも」


その言葉を聞いたアーサーは立ち止まり、エリオットを振り返ると、静かに首を横に振った。


「だめだよ、エリオット。親が大怪我をした子なんて南部にいっぱいいるのに、自分の親だけ噓をついて助けてもらおうだなんて」


いい子ぶるなよ、と言おうとしてエリオットは口をつぐんだ。アーサーの握りしめた拳が震えている。今、両親を一番に助けてほしいのはアーサーなのに、必死に耐えている。


「一度噓をついたら、本当に大きな被害が出たときに、助けてもらえないかもしれない。父さんたちが命懸けで守ったものを無駄にしてしまうよ」


「……ごめん」


「ううん。父さんたちのこと、心配してくれてありがとう」


このときエリオットは誰に言われるまでもなく、私利私欲で動く自分は領主の器ではなかったのだと思い知った。


(そうだ、アーサー坊ちゃんは、友達を見捨てて逃げた俺みたいな卑怯なことはしない)


勉強以外は自分のほうが優れているだなんて、とんだ思い上がりだった。公益と私欲を天秤にかけて迷わず前者を選べるアーサーこそが、本当に為政者になるべきだ。


「じゃぁさ、坊ちゃん、俺たちで薬を作って領主様たちを助けようぜ!」


「うん、もちろん」


しかし、二人の作った薬は軽傷の民の役には立ったが、奇跡を呼ぶ秘薬ではない。


その夜、キャロル子爵夫妻は相次いで息を引き取った。




 両親を看取った時も、辺境伯の援軍が到着した時も、魔物の襲来がようやく落ち着いた時も、手続きの末に平民になった時も、アーサーは涙を見せなかった。


むしろ、エリオットの方が憤慨したほどだ。


「なんでだよ、坊ちゃんはキャロル家の跡継ぎなのに、なんで平民にならなきゃいけないんだよ!」


アーサーがウッズワード家へ引き取られる日、エリオットは父親に食って掛かった。


「未成年は爵位の継承ができないからだよ、エリオット。何度も説明しただろう?それにお前は、自分が領主になると言い出すのかと思ったが」


自分のほうが領主にふさわしいと思っていたのが父親にばれていたと知り、エリオットは羞恥で真っ赤になった。


「い、今はそんなこと思っていない!」


「……そうだな。お前は私の自慢の息子だ。私よりいい家令になれるさ」


スペンサー男爵は苦い笑みを浮かべて、エリオットの亜麻色の髪を力強く撫でつけた。それから傍らの小包を手に取ると息子の背中を押す。


「さて、坊ちゃんのお見送りに行こう」


二人が転移の魔法陣の部屋に入ると、荷物を背負ったアーサーとウッズワード辺境伯が並んでいた。


「閣下、お待たせして申し訳ありません。坊ちゃんをよろしくお願いします」


「おう、アーサーのことは我が家が責任をもって預かる」


話し合いの結果、アーサーは辺境伯の砦で暮らすことになったが、ウッズワード家の養子になるわけではない。


養子の話も出たそうだが、アーサーは「光栄なお話ですが、シルフィーネお嬢様と姉弟になったら結婚できないから嫌です!」と断ったそうだ。


「坊ちゃん、最後にこちらをどうぞ。旦那様からのお誕生日プレゼントでございます」


スペンサー男爵が抱えていた包みをアーサーへ差し出した。いつの間にか七歳の誕生日を迎えていたことに気が付いたアーサーは、驚きながら包みを受け取った。


包みを開けてみると、


『君の将来の道しるべになりますように』


と子爵の字で書かれたカードと、分厚い医学辞典が出てくる。


「これ、父さんが……?」


「旦那様、戦いの直前に都の書店へ注文していたんだってさ。子爵様にもあの夢、話してたんだな」


エリオットがそう伝えると、アーサーは辞典を大切そうに抱きしめて頷いた。


「父さんに話した時は、お医者さんにもなれたらいいな、くらいだったけど……今は違うよ。絶対に医者になって、キャロル家も再興させる。これ以上、魔物に傷つけられて泣く人が出ないように」


「うん。アーサー坊ちゃん、俺、たくさん勉強して絶対にすっげぇ家令になるから!坊ちゃんの夢、一緒にかなえような!」


「……!ありがとう、エリオット」


アーサーの目から一筋涙がこぼれたような気がするけれど、エリオットは見なかったことにした。


二人は別れのあいさつ代わりに拳を突き合わせ、それぞれの夢をかなえることを誓ったのだった。

本編にて、家柄しか取り柄のないパジェット君をボコボコにするエリオットですが、同族嫌悪で必要以上にボコった感があります。

クソガキだった幼少期の自分と重なったんですかね。


それにしても子爵パパの息子を思う気持ちが詰まった大切な医学辞典をぼろぼろにするなんてひどい奴がいたもんですね!人の心がないわー!

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