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アーサーの初恋

 子爵家に帰還してからというものの、アーサーは植物図鑑を片手に以前にも増して庭に入り浸るようになった。


遊びに誘ってもあまり乗ってこないので、エリオットが退屈そうにしている。


以前から息子たちの相性が微妙によろしくないのでは、と危惧していたキャロル子爵は、庭で熱心に植物を観察している息子に声をかけた。


「やぁ、アーサー。何をしているんだい?」


「フララハブヘヨモギの葉っぱの数を数えているんだよ、父さん」


「ふらら……何だって?」


「フララハブヘヨモギ。図鑑によると、傷薬の材料になるんだって!」


大真面目な顔で図鑑のページを開いて見せる息子を見て、子爵は我ながら親馬鹿だと思いながらも感心した。


「すごいな、もうこんなに難しい本が読めるようになったのか。それで、どうしてその、なんとかヨモギの葉っぱを数えているんだい?」


「フララハブヘヨモギだってば。何枚葉っぱがつくのか調べたら、一株から作れる薬の数もわかるでしょ」


えっ、そんなことまで考えつくなんてうちの子、天才じゃない?と内心で親馬鹿を爆発させながら、キャロル子爵はさらに尋ねた。


「アーサーは、大きくなったら薬を作る人になりたいのか?」


父親の質問に、アーサーは気まずそうに目を反らす。


「そういうわけじゃないよ……大きくなったら父さんみたいになりたいって、思ってる」


「アーサー、父さんに遠慮しなくてもいいんだよ。君がなりたいものがあるなら、言ってごらん」


「遠慮なんかしてないよ!本当に父さんみたいな立派な子爵になりたいんだ。でも、お医者さんにもなりたくて……子爵をしながらお医者さんもやるのって、難しい?」


顔色を窺うような息子の視線に、子爵はふむ、と顎を撫でた。


「そうだね、簡単ではないかな。……どうしてお医者さんになりたいんだい?」


「シルフィーネ様が怪我をしたときに、すぐ治してあげられるように!あっ、もちろん父さんや母さんや、領民のみんなも!」


とってつけたように自分たちが加えられたことに、子爵は苦笑した。それをどう受け取ったか、アーサーがしょんぼりする。


「シルフィーネ様は強くなるって言っていたのに、疑ってるみたいかな……」


「そんなことはない。どんな強い人でも、怪我をするときはするよ。アーサーがお医者になればきっとお嬢様の役に立てるさ」


子爵はアーサーの頭を撫でながら、どうしたものかと考えた。


当初はもっとエリオットと遊んだらどうかと勧めるつもりだったが、息子なりに将来を真剣に考えているらしい。


父としては息子の夢を後押ししてやりたいが、実際問題、当主と医者の兼業は激務と言わざるを得ないだろう。


(阿吽の呼吸で政務を助けてくれるような、敏腕家令がいれば叶うかもしれないが……)


子爵がそんなことを考えていた時だった。


「旦那様、火急の用件にて失礼いたします!」


家令のスペンサー男爵が緊迫した面持ちで家から出てきた。


「ウッズワード家より招集令が届いております。旦那様、すぐに出発のご準備を」


「なんだと!?……わかった」


大人たちの物々しい空気に、アーサーも立ち上がった。


「父さん、ウッズワード家に行くの!?僕も行く!」


「アーサー、父さんは遊びに行くわけではないんだよ?」


「わかってるよ!何か大変なことが起きたんでしょう?シルフィーネ様や辺境伯家の皆が大丈夫か知りたいんだ!」


「しかし、危険はないのか?」


子爵が家令に尋ねると、スペンサー男爵は詳細の書かれた書状を差し出した。


「こちらによると喫緊の危険はないそうですが……」


書状に目を通した子爵は、しばらく躊躇したのち、首肯した。


「わかった。一緒に行こう、アーサー。ただし、父さんの言うことをよく聞いて、帰れと言ったら絶対に帰るのだぞ。この間のように柱にしがみ付いて嫌がったりしたら、二度と連れて行かないからな」


「わ、わかった」


本当に連れて行ってもらえるとは思っていなかったアーサーは、緊張で汗ばんだ手を握り締めた。




 それから親子は慌ただしく出立の荷物を整え、黒を基調とした礼服に着替えると、転移の魔法陣で辺境伯領に向かった。


到着した先では、ほんの一か月前の楽しい宴が嘘のような光景が広がっていた。


壁には死者の魂が女神の御許で眠る様子が描かれたタペストリーが掛けられ、葬送の香が焚かれている。


黒い礼服に身を包んだ参列者たちが、あちらこちらですすり泣いていた。


辺境伯家では、合同葬儀が執り行われていたのだ。


「書状では読んだが、これほどの被害だったとは……」


祭壇に並ぶ棺の多さに子爵が眉根を寄せた。


日常的に魔物と戦っている辺境伯家では、残念ながら死者が出ることは珍しくない。


とはいえ年々戦い方のノウハウが蓄積され、戦術は洗練されていく。近年では一度の戦闘で十人を超える死者が出る事態は稀だった。


ところが祭壇に並べられた戦士の棺は、ざっと二十を超えていた。


「キャロル、来てくれたか。アーサーも、よく来たな」


弔問客の中からキャロル親子を見つけた辺境伯が挨拶にやってきた。平素は明朗で豪快な辺境伯も、さすがに憔悴の色が濃い。


「閣下、この度はまことに残念なことで……」


「痛み入る。爺さんの代にさかのぼっても、一度にこれほどの被害が出たことはないのだがな」


ことのあらましはこうだ。


魔の森へ入った定期討伐の隊が、魔物の群れに襲われた。


通常の五倍はあろうかという大群で、一匹一匹も妙に強い。


それでも辺境伯家の戦士たちは人の領域に奴らを通すまいと果敢に戦い、何とか全滅させた。


しかしながら被害は甚大で、五十人小隊の半数近くが帰らぬ人となってしまった。


隊を率いて戦死した隊長は、側室ながら歴戦の猛者である女性。シルフィーネの母親だった。


つまりアーサーは、母を亡くしたばかりのシルフィーネを慰めるため同行を許されたのである。


「文献によると、これは魔物の大量発生の予兆に過ぎない恐れがある」


「これ以上の被害が出るというのですか……!?」


大人たちが頭上で深刻そうに話し合う間、アーサーはきょろきょろとあたりを見回した。そして、一つの棺の傍らで弔問客に挨拶をしているシルフィーネを見つけた。


「シルフィーネ様!」


父親の了承を得て彼女に駆け寄ると、軍服に似た造りの礼服を身につけたシルフィーネが片手をあげた。


「アーサー、来てくれたのか。よかったら、母様に最後のお別れをしていってくれ」


母親の亡骸が納められた棺の傍で、シルフィーネは最後に会った時と同じように威風堂々としていた。大人の弔問客にも毅然と対応し、涙を流すこともない。


アーサーは恐る恐る棺をのぞき込み、シルフィーネの母の死に顔を見下ろした。


宴の時、アーサーを豪気に可愛がってくれた女性だった。


ところどころ血の滲んだ死装束は遺体の損傷の激しさを物語っていて、あの明るくて優しい女性にもう会えないのだと思うと、アーサーの目から自然と涙が零れ落ちた。


「しる、ふぃ、さま、ご、ごめんなさ、シルフィーネさまのほうが、つらいのに、涙、止まんな、い」


「謝らないでくれ。母様のために泣いてくれてありがとう、アーサー」


しゃくりあげるアーサーにシルフィーネは微笑みすら浮かべて、頭を撫でてくれた。これでは一体どちらが慰めているのかわかったものではない。


アーサーはふがいなさでいっぱいになりながら、母親から託されてきた花を棺の中に供えた。




 その日は辺境伯家に滞在し、アーサー達親子は翌日子爵家へ帰宅することになった。


英気を養うため晩餐は豪勢だったが一月前のような陽気さは皆無で、戦士たちは魔物への憎しみに静かな戦意を滾らせていた。


「魔物の大量発生が次に起こるとすれば――」


「王都に援軍の要請を送ったが――」


「予想される被害は――」


大人たちは夜遅くまで話し合いを続けており、父を待つアーサーは食堂の片隅でいつの間にか寝入ってしまったらしい。


真夜中に目覚めたものの、辺境伯やキャロル子爵たちは未だ険しい顔で話し合っている。アーサーは魔物の毛皮と毛布の上に寝かされていて、ほかにも同じ境遇の子供たちが寝転がっていた。


その中にシルフィーネの姿がないのに気づいて、アーサーは妙な胸騒ぎを覚えた。


ここはシルフィーネの家なのだから、普通に考えれば自室に戻っただけだろう。


だが、責任感の強いシルフィーネが寄子や親族の子供たちを置いて、一人だけ暖かいベッドに戻ったりするだろうか。


(まさか敵を討ちに行ったんじゃ……?)


そう思うと居てもたってもいられず、アーサーは毛布をマントのように羽織ると食堂を抜け出した。灯火の魔法で手のひらの上に明かりを呼び、薄暗い廊下をおっかなびっくり進む。


明るい時間に保護者と一緒でも恐ろしい砦は、真夜中に一人ぼっちで歩くと尚更おどろおどろしかった。


(でも、シルフィーネ様の無事を確認しなきゃ)


アーサーはシルフィーネを思う一心で震える足を動かした。


庭に出ると、冬の夜の冷たい空気が少年を包み込む。ぶるっと身震いしたアーサーは、庭の中心に立つ大木の根元に人影を見つけて、心臓が止まるかと思った。


「誰だ!?」


人影がアーサーを振り返り、鋭く誰何する。


しかしその声を聞いたアーサーは安心した。大木に背を預けるようにして蹲っていたのは、シルフィーネだったのだ。


「シルフィーネ様!僕です、アーサーです。こんなところにいたら風邪ひいちゃうよ、早く戻ろう……?」


シルフィーネに駆け寄ったアーサーは、びっくりして立ち止まった。子供が使う灯火の魔法のささやかな光でもわかるほど、シルフィーネの目は赤く充血して、その顔は涙に濡れていたのだ。


シルフィーネは気まずそうに袖でごしごしと顔をぬぐい、力ない笑みを浮かべた。


「心配かけてすまない。恥ずかしいところを、見られたな」


アーサーは、首をぶんぶんと横に振った。


シルフィーネのことを強くて格好いい人だと思っていたけれど、それだけが彼女の全てではない。隠れて涙するいじらしさに胸が締め付けられた。


この時アーサーの中で、シルフィーネは憧れのヒーローであると同時に、守るべき初恋の女の子にもなったのだ。


「恥ずかしくなんてないよ、お母さんが死んじゃって、悲しいのは当たり前だよ!」


「だが……私は辺境伯の娘だ。臣下の前で、弱々しく泣いていたら士気が落ちる」


それはアーサーへの反論というより、シルフィーネが自分に言い聞かせている言葉だった。アーサーは羽織っていた毛布を広げると、それをばさりとシルフィーネの頭から被せた。


「じゃぁ、僕が誰も来ないように見張ってる!だから、泣いても大丈夫だよ、シルフィーネお嬢様」


それを聞いたシルフィーネは大きく目を見開き、それからくしゃりと顔を歪ませた。


「アーサー、わ、私、ほんとはっ、母様、しんじゃって、悲しかった……!」


シルフィーネの目から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちた。アーサーはシルフィーネの横に立って、あえて顔は見せずに手探りで彼女の背中を撫でた。


「大丈夫。誰も見てないよ」


「う、う……わたし、もっと母様と一緒にいたかったよぉ!!!うわあああぁあああぁあああ!!!」


毛布に包まって慟哭するシルフィーネの背中を、アーサーはただ黙って、いつまでもさすり続けていた。

案の定アーサーは風邪ひいて、シルフィーネ共々パパたちに叱られます(台無し)

でもキャロル子爵はそのあとこっそり褒めてくれる、アーサー自慢のパパなんだぜ。

あとアーサーはシルフィーネに恋して女の子だと意識してから、微妙に呼び方が変わってます。よかったら読み返してみて!

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