3.偽りで糊塗されたお姫様
スノーレイク神聖王国国王オーガストは全てにおいて凡庸な王だった。
ただ一つ彼を誉められる点があるとすれば、優秀な王妃を信頼し、妻に余計な口出しをしなかった事に尽きる。
二百年ほど前には自分の無能を棚に上げて有能な妻を冷遇し、後世まで続く禍根を残した愚王もいたというから、そいつに比べればまだましな王だといえた。
一方で、完璧な才女と謡われた王妃にも欠点はあった。
彼女は王の期待に応えようと、妃の執務に加えて本来王が行うべき仕事、果ては臣下に任せても良いような雑事まで抱え込んでしまったのだ。
加えて毎晩のように王の相手をし、第一王女メイジェーンと第一王子ジュリアスを年子で出産。
過労で体を壊すのは当たり前のことだった。
ジュリアス王子の誕生時、医師は「これ以上の出産は命にかかわる」と進言した。
オーガストは一応その言葉を守って避妊していたのだが、妻を愛するがゆえに夫婦の営み自体を控えるという発想には至らなかった。
そして、現代の避妊技術は完璧ではない。
王子出産から五年後、王妃は第三子を身ごもった。
周囲、とりわけオーガストは王妃の身を案じて堕胎を強く勧めたが、なるべく夫の意向に沿ってきた王妃がこればかりは猛反発した。
激務でボロボロの体で難産に挑んだ末、彼女は第二王女エイプリルを産み落として命を散らした。
死の間際、夫に「どうかこの子を幸せにしてあげて」と言い残して。
妻の死を嘆き悲しんだオーガストは、三きょうだいで最も王妃に似た容貌の末娘を溺愛した。
エイプリルの望みは際限なく何でも叶え、末娘より優れている令息、令嬢は遠ざけられた。
本来ならば、長子であり母の優秀さを受け継いだメイジェーンこそ次の女王になるべきだったのに、王は色合いだけは自分に似た姉姫を「エイプリルが目立たない」という理由で疎み、美しく聡明なメイジェーンを敵対する隣国へ嫁がせてしまった。
それでいて、「かわいいエイプリルに王の重責など負わせられない」と王太子の座はジュリアスに押し付けるのだから、姉ほどの才気はないと自覚しているジュリアスはたまったものではない。
(……いや、母上は、あの時、ああ言うしかなかったはずだ)
どうしてこうなってしまったのか、思考の渦に呑まれていたジュリアスは、母上は悪くない、と頭を振った。
何しろ王妃の妊娠中、オーガストが腹の子へ向ける憎悪は当時五歳のジュリアスにもわかるほど強いものだった。
王妃がとっさにああ言わねば、最愛の妃を殺した大逆人としてエイプリルは誕生と同時に縊り殺されていただろう。
しかしながら、偽りの名声でエイプリルを塗り重ね続けた結果が、目の前の茶番劇だ。
「もうよろしい、わかった、アーサーよ、そなたはエイプリルにパジェット公爵家へ嫁してほしい、そういうことだな。よかろう、叶えてやるからこの話はもう終いだ」
オーガストが強引に話を切り上げようとしたのは、娘への助け舟に他ならない。
「ちょっと待ってお父様、話はまだ終わってないわ!こんなの私、納得できないよ!」
しかし当のエイプリルが、その助け舟を粉砕した。
「だそうですよ、陛下。こうなったら、エイプリルが納得できるまで話し合おうではありませんか」
表向きエイプリルの肩を持つようなふりをして、ジュリアスは宣言した。オーガストは苦り切った顔で、
「う、うぅむ……」
と否定とも肯定ともとれる返事をよこす。ジュリアスはそれを都合よく肯定と受け取って、妹へ話しかけた。
「そもそもエイプリル、君はアーサー殿が褒美に何を願うと思っていたのだい?」
「えっ?えっと、それはぁ……私の口から言うのは、ちょっとはしたないというか……」
頬を赤らめてもじもじくねくねとしている妹を、ジュリアスは無の表情で眺めた。エイプリルの代わりに、隣の侯爵令嬢がクラスメイトを代表して声を上げる。
「畏れながらわたくしが申しあげますわ、王太子殿下。その平民は身の程もわきまえず、我が国の至宝たるエイプリル様に懸想しているのです!」
「も、もう、そんなにはっきりと言われたら、恥ずかしいよ……!」
「ごめんなさい姫様、でもはっきりさせておかないと。エイプリル様に結婚を申し込むとばかり思っていたのに、土壇場になって取りやめるだなんて」
侯爵令嬢は憎悪を滾らせて、アーサーを睨みつけた。
「エイプリル様がこの平民に嫁がなくてもよいのは喜ばしいことですが、意気地のない男だこと」
睨まれたアーサーは震える声で言い返した。
「自分が、第二王女殿下に、懸想?求婚?とんでもないことでございます!ぼ、僕は、クラスメイトの中で、いや、この世のあらゆる生物の中で最も第二王女殿下が嫌いなのです!嫌でございます無理でございます第二王女殿下と結婚するくらいなら魔の森に放逐されたほうがマシでございます!!!」
最初は弱々しかった声は、恐慌のあまり最後は絶叫になっていた。
「……は?」
あまりにも悲痛な叫びを聞いて、エイプリルの口からドスの利いた声が漏れた。聞き間違いかと隣を二度見するパジェット公爵令息や友人たちに、エイプリルは慌てて可憐な笑みを張り付けて見せる。
「や、やだなー、マジメガネ君ったら照れちゃって」
「そうだ、噓をつくな!貴様はいつもエイプリル様と行動を共にしていたではないか!」
エイプリルが取り繕い、パジェット公爵令息が責め立てる。
アーサーが青ざめていると、ラルゴが大きな手を背中に当ててさすってやった。
「大丈夫だ、アーサー君。ここには君の味方も大勢いる。我々が今度こそ助けるから、落ち着いて」
アーサーは頷き、深呼吸を繰り返すと、意を決したように顔を上げた。
「陰湿ないじめの首謀者である王女殿下を嫌悪こそすれ、どうして恋慕など抱けましょうか。僕から王女殿下に近づいたことなど、一度たりともありません」
「彼の言うことは本当です。映像を確認した私が保証しましょう」
ラルゴが頷くと、クラスメイトの一人が声を上げた。
「映像はしょせん、教室の中だけでしょう!?放課後、姫様に付きまとっていたかもしれないじゃないか!」
「それはあり得ませんわ」
貴族たちの中から新たに進み出たのは、中年の貴婦人だった。ウッズワード辺境伯家の遠縁にあたる王都の貴族で、アーサーの王都での生活を面倒見てくれている人だ。
「アーサー君は特待生だから学費はかからないけれど、生活費はアルバイトで賄っている苦学生ですの。わたくしや知人の子供たちの家庭教師をしてくれていますのよ。放課後や休日のアリバイはわたくしが保証しますわ」
そう言って、貴婦人はアーサーの一年間の勤務記録を高らかに掲げて見せた。アーサーは頼もしい雇い主に、ほっとした笑みを見せる。
「ありがとうございます、夫人」
「ほほほ、いいのよ。そもそもどこかの誰かさんがアーサー君の学用品を壊したりしなければ、この子は働き詰めにならなくて済んだのにねぇ」
貴婦人は颯爽と証拠品の中に勤務表を置いていった。
「そんな、馬鹿な……あいつが姫を好きじゃない……!?」
「でも、私、見たわよ!マジメガネが、姫様のことを見つめていたのを……!」
女生徒が苦し紛れにそう言うのを、アーサーは否定しなかった。
「そりゃぁ、僕だって王女殿下のことを道端の石か何かだと思って無視したかったですよ。でも、ダメなんです、どうしても目で追ってしまって」
「マジメガネ君、それって……」
「誰だって、石と間違えて馬糞を踏みたくないじゃないですか」
「えっ……」
遠回しに馬糞呼ばわりされたエイプリルが絶句する。先に声を上げたのはパジェット公爵令息だった。
「きっ、貴様!!!あまりにも、不敬だぞ!!!」
「あっ、そうですね!馬糞は第二王女殿下と違って肥やしになるし、こちらがわざわざ避けているのに近寄ってきたりもしませんね。第二王女殿下と同列に語るだなんて、馬糞に対して大変失礼な発言だったと認め、謝罪いたします」
「なっ、なっ、なっ……!!!」
馬糞さんごめんなさい、と虚空に向かって真剣に謝るアーサーを、クラスメイトも国王オーガストも怒りで赤黒く染まった顔で見ていた。
そんな中、エイプリルは一瞬表情の抜け落ちた顔をして、それからうつむいて肩を震わせ始めた。
「そ、そんな言い方……ひどいよ、マジメガネ君。私のことが好きじゃないなら、どうして私を助けてくれたの……?」
何も知らなければエイプリルの方こそ被害者だと信じてしまいそうな、か弱く儚い姿だった。
「私、噂で聞いたことがあるの。君がお医者さんを目指したのは、平民のままだと結婚を許してもらえない高貴な女性に求婚するためだったって……」
「ええ、それは本当です。ただ、僕の求婚したい女性が王女殿下ではないというだけで」
「そんな、好きな人がいるならどうして言ってくれなかったの……!?」
「は?どうして、親しくもない殿下にそんな個人的なことを教えなくてはならないのですか?」
心底わからない、という顔でアーサーは続けた。こんな頭のおかしい女を一年間も恐れていた自分が、だんだん滑稽になってきた。
「大体、僕は殿下こそがいじめの首謀だと思っているのですよ?嫌がらせの一環で、僕の愛する人を害されたらたまったものではありません」
「おや。私が第二王女殿下の嫌がらせくらいで、へこたれると思ったのかい?」
背後から声をかけられて、それまで王女への嫌悪感とおぞましさに歪んでいたアーサーの表情が一変した。
瞳は生気に輝き、恋慕わしさに頬を染めて、最愛の人を振り返るアーサー。
「シルフィーネお嬢様!!!」
尻尾をブンブン振る犬のように、アーサーは一人の令嬢に駆け寄った。
ウッズワード辺境伯家の末娘、シルフィーネ。アーサーが心から崇拝する、気高く愛しい人。
しかし、その人をご令嬢だと見抜いた中央貴族は稀だった。
何しろシルフィーネは見上げるほどの身長に丸太のような筋骨を備え、たくましい顔つきには大小の古傷も残る、むくつけき武人だったからである。
例えるならば少女漫画の中に一人だけ作画の違う劇画調の益荒男が紛れ込んだような、恰好だけは上級貴族令嬢にふさわしいドレスが大変浮いていた。
しかしアーサーはそんなことはお構いなしに、シルフィーネに手を差し伸べた。シルフィーネが獰猛な笑みを浮かべてごつい手を重ねると、その硬い手の甲に口づける。
「もちろん、シルフィーネお嬢様が王女のちんけな嫌がらせに屈するとは思いません。けれども好きな人に嫌な思いをしてほしくないって、当たり前のことでしょう?」
「ふふ、そうだな。ごめんな、せっかく守ってくれようとしたのに、あまりにもお前が格好いいから出てきてしまったよ」
「いいえ、久々にお会いできて光栄です……!」
見つめあう二人は、アーサーが平民ゆえに正式な婚約を結んでいないだけの、どこからどう見ても相思相愛で幸せな恋人たちの図だった。
「は……?」
目の前の光景が信じられずに、エイプリルは瞠目する。そして次の瞬間には可憐な唇から絶叫を上げていた。
「はあああああああああああああああああああっ!!!?ありえないありえないありえないぃいいいいっ!!!!わたし、これに、ま、まけて、マジメガネなんかにふられたわけ!!!?キモイキモイありえないいいいいいいいいいいいいっ!!!!いやぁあああああ!!!!きいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
まさに発狂物の絶叫だった。
パジェット公爵令息やクラスメイト達が驚愕の表情で後ずさり、アーサーが「五月蠅いな」と言わんばかりの顔でエイプリルを振り返る。
「そうそう、僕が殿下を助けた理由でしたっけ?僕、これでも医者を目指しているので。死んでくれたほうが都合いいからって、救える人間を見捨てたりしませんよ」
「死んだほうが都合いい!!!?」
「そりゃぁ、一年とはいわず今すぐにでも暗殺者か通り魔にでも刺されてくれないかなって夢想したことは数え切れませんけど」
「はああああああああっ!!!?」
「でも、嫌いだからといって助けられる人間を見殺しにする卑劣な男、気高いシルフィーネお嬢様の夫にふさわしくないので、仕方なく助けました」
「仕方なく助けた!!!?」
「さっきから何を驚いておられるのですか、第二王女殿下。殿下だって汚らわしい平民である僕が目障りだから、クラスを先導して排除したのでしょう?」
「そ、そんな、私、そんなつもりじゃぁなくてっ……!」
いかにも傷ついたといわんばかりの被害者面をするエイプリルに、アーサーは特大のため息をついた。
「実のところ、はじめ褒美には家の再興と爵位をお願いしようと思っていたのです。しかし、ある方に『地位を要求したら付きまといがもっと激しくなるぞ』と助言いただきやめておきました」
「う、嘘よ……!だって、その人のことが本当に好きなら、褒美はその女と結婚したいって言えばよかったじゃない!!!」
「シルフィーネお嬢様は物ではないのですよ?王命で無理やり妻にするなどとんでもない。お嬢様の自由意思で夫に選んでいただいてこそ、意味があるのではありませんか」
正論で叩きのめされたエイプリルは、悔しさに歯ぎしりした。そんな王女に対して、アーサーは侮蔑を込めて吐き捨てる。
「まさか命の恩人をいじめ続けるほど恥知らずではないだろうと思っていたのに、『そんなこと望んでない』と言われたときは、心底見下げ果てました」
「ひ、酷い……!」
「もう、僕の人生をおもちゃにするのはやめていただけませんか。お願いします、もうかかわらないでください」
「……っ!」
ここにきてエイプリルはようやく、アーサーが照れているわけでも遠慮しているわけでもなく、心の底から自分を嫌悪し迷惑がっていたのだと理解した。
自分はただ、誰もがエイプリルを完璧な妖精姫と持ち上げるクラスの中で、一人我関せず飄々としていたアーサーのことが、ちょっと気に入っていただけなのに。
傷つけられた乙女心を慰めてもらおうとエイプリルはあたりを見回すが、周囲には誰もおらず、クラスメイト達ですらこちらを遠巻きに見つめていた。
そのほか大多数の貴族は、醜態を曝したエイプリルを冷ややかな目で見つめている。
視線をさまよわせたエイプリルは、最後に玉座の父親を見上げた。
「お父様……!」
「おお、エイプリル、可哀そうに……!!」
助けを求めて呼びかければ、父王はいつものように両腕を広げてくれた。エイプリルは玉座へと駆け上がり、オーガストに抱き着いた。
そうだ、お父様はいつだって私の味方だった。こんな酷い誕生日祝いなんて絶対に認めない、今からでも素敵な日にしてくれるはず……そんなエイプリルの思考に水を差すように、発言する者があった。
「ところで王太子殿下、一つご報告がございます」
アーサーの恩師ラルゴだ。ジュリアスが「聞こう」と促すと、ラルゴは頷き返して一枚の資料を手に取った。
「此度の事案は、アーサー君が上級貴族クラスに編入させられてしまったことに端を発します。なぜこんなことが起きたのか、調べて参りました」
それを聞いた一人の貴族が、ぎょっとした表情で顔を上げた。高等部の学部主任をしている初老の男で、ラルゴの上司にあたる上位貴族だ。
「ラ、ラルゴ君、それは今必要な話なのかね?何もこんな目出度い席で話さなくともいいのではないか?」
「いや。そもそも平民のアーサー殿がエイプリルと同じクラスになってしまったが故に起きた悲劇だ。原因が分かったなら明らかにしておくべきだろう」
王太子にこう言われては、主任は押し黙るしかない。ラルゴが話を続けた。
「一年生のころ、アーサー君は大変優秀な生徒でした。そこで私は彼に、大学部への飛び級を勧めたのです。彼ならまず試験に受かるだろうと思っていました」
試験結果を聞いて、ラルゴはアーサー本人よりも驚いたくらいだった。
「もちろん試験に絶対はございません。アーサー君から上級貴族クラスに入れられたと相談を受けるまで、彼は緊張して解答欄でも間違えたのだろうと考えておりました」
相談を受けたラルゴは、飛び級試験の問題とアーサーの解答を調査した。
平民クラスを担当する下級貴族にすぎないラルゴが試験を調べるのは困難で、時間をかけ上司の目を盗みながら、何とかアーサーの解答を手に入れた。
「結果を見て驚きました。どの教科も満点に近く、大学部への飛び級に問題がないと明らかでしたから」
「なっ……!解答は確かに破棄したはずだ、何かの間違いだ!」
思わず、といったように叫んだ上司を、ラルゴは白けた目で一瞥した。
「私だけでは握りつぶされる可能性がありましたから、写しを取った後は教育査問会を通じて学園長に提出しておりますよ」
教育査問会は学園が健全に運営されるよう監査を行う第三者組織である。査問会の委員長を務める貴族が重々しく頷いて、ラルゴの言葉を認めた。
「試験結果を捏造したのはそなたじゃな。なぜこんなことをしたのか、申し開きを聞こうか」
白いひげの学園長が尋ねると、学部主任はわなわなと震えだした。
「わ、私は悪くない!私はむしろ、そこの平民の生徒を助けてやったのです!」
彼は破れかぶれに叫んだ。
エイプリルより目立つ人間を、国王が忌み嫌っているのは公然の秘密であること。
もしも王女と同年齢の平民が飛び級などしたら、消されかねないこと。
優秀な生徒が殺されるのは忍びないので、試験結果を捏造したこと。
そのお詫びに、妖精姫エイプリルと同じ上級貴族のクラスへ入れて一年間の青春を楽しませてやろうとしたこと。
主任の話を聞けば聞くほどアーサーの顔からは表情が抜け落ちていき、最後には無表情で呟いた。
「……頼んでいません」
「何を、平民ごときが私の配慮に対して生意気な……!」
「試験結果の捏造までは、まぁいいです。理不尽だけど、今の僕は平民だから仕方ない。でも、だったら、平民クラスでよかったじゃないか!僕は早く医者になって、故郷で戦う民や辺境伯家の皆様の役に立ちたかったんだ!夢を邪魔した元凶と同じクラスに入れられて喜ぶだなんて、本当に思ったんですか!」
アーサーの震える肩に、ラルゴが手を置いた。
「アーサー君……すまなかった。私が飛び級など勧めたばかりに」
「わしからも謝らせてくれ。わしの監督不行き届きが原因で、このような不祥事を引き起こしてしまったこと、申し訳なかった」
ラルゴばかりか学園長までもが平民の一生徒へ謝罪したことに、周囲がどよめいた。
「……いいえ。ラルゴ先生は、なるべく早く夢がかなう道を示してくださっただけです。学園長先生も、同じことがもう二度と起きないようにしてくだされば、それでいいです」
アーサーは強い視線で、学部主任や壇上の国王、父王に慰められているエイプリルを見やった。まるで、「お前たちは許さない」とでも言うように。その視線をたどって、王太子ジュリアスが嘆息する。
「学部主任を擁護するわけではないが、国王陛下がエイプリルより優れた人間を排除してきたのは確かに事実だ」
「何だと?そんな事実はない!エイプリルが素晴らしい娘だからこそ、周りがかすんで見えるだけだ!」
話の矛先を向けられたオーガスト王が、ぎろりと長男を睨みつけた。幼いころはその視線に委縮するばかりだったジュリアスは、堂々とした態度で言い返した。
「本当にそうでしょうか。ならば、どうして女王になるべき長子である姉上を隣国の妃に出したのです?」
「そ、それは……優秀なメイジェーンであれば、両国の懸け橋になれると……」
「外に嫁ぐなら次女のエイプリルのほうが適任ではありませんか。本当にエイプリルが優秀であれば、の話ですが」
ジュリアスが皮肉気に肩をすくめると、騎士王が苦り切った顔をした。
「おいおい、義弟殿。そんな甘ったれ娘を俺の妃になど、冗談でもやめてくれ。俺の愛する妻はメイだけだ」
「失礼。わかっていますよ、義兄殿」
愛する娘を愚弄されたオーガストは、わなわなと震えた。
「黙れ!どいつもこいつも、こんなにも優しく愛らしく賢いエイプリルを馬鹿にしおって!!!」
「そっ、そうよ、お兄様方。私、テストはいっつもクラスで一番なんだよ?何も知らないくせに、私が頭悪い子みたいに言うなんて」
父親に支えられていつもの調子を取り戻した妹を、ジュリアスは冷めきった眼でちらと見た。
「では聞いてみようか。皆の者、エイプリルが世間で言われている通り、本当に頭脳明晰な姫に見えるだろうか?」
ジュリアスの問いかけに、アーサーが真っ先に首を横に振った。学園の生徒も、エイプリルのクラスメイトたち以外はひそひそとささやきを交し合う。
「あの映像、いじめの内容がひどすぎて、さっきはそれどころじゃなかったけど……板書の内容、やけに低レベルじゃなかったか?」
「思った。あれって、初等部で習う範囲だったよな」
「あれでクラス一番の成績とか、何の自慢にもならないような……」
生徒たちの声を聴いたジュリアスは、学園長の方を見た。
「どういうことか、説明してもらえるのだろうな?」
学園長は観念したように頷いた。
「第二王女殿下のクラスは、上級貴族の中で本来ならば落第させるべき成績不良者を集めた学級なのです」
それを聞いたクラスメイト達が悲鳴を上げた。
名門校に在学する王女の同級生、エリート中のエリートだと自認していた自分たちが、学園長公認の愚者だと突き付けられたのだ。受け入れられないのも当然ではある。
「わしとてそこの学部主任と同罪です。ほかの生徒たちを守るためには、王女殿下が一番になれるクラスを作って隔離することが最適だと判断したのでございます」
「確かに姉上の扱いを見れば、生徒がエイプリルより目立ってどんな目にあわされるか、危惧する気持ちはよくわかる」
「しかし、罪は罪です。エイプリル殿下は卒業後パジェット家に嫁ぐのだから、学生の間だけしのげればよいなどと浅はかな考えでした。事態が収束したのちは、わしは責任を取って辞職いたします」
ジュリアスは学園長を引き留めなかった。かわりに、まるで他人事のような顔をしている父王に向き直る。
「国王陛下。陛下の言動が原因で、栄えある王立学園の長が辞職する事態にまでなったのですよ。貴方様も少し、おやすみになるといい」
息子の言葉に、はじめオーガストは怪訝そうな顔をした。
「ちょうどパジェット公爵領近くの王領に、風光明媚な離宮がございます。パジェット家に嫁ぐエイプリルとも頻繁に会えることでしょう」
離宮への移動を進められてやっと、自分が譲位を迫られているのだと察したオーガストが憤怒の表情を浮かべた。
「ジュリアス、貴様!!!初めから謀反が目的だったか!!!」
玉座を蹴倒さんばかりに立ち上がり、唾を飛ばしながら長男へ指を突きつける。
「反逆者を捕らえよ!!!」
その声とともに武装した近衛が広間に入ってくる。近衛兵たちはジュリアスの前を素通りし、ぐるりとオーガストとエイプリルを取り囲んだ。
「なっ、お前たち、何をしている!早くジュリアスを捕らえぬか!」
近衛兵たちは決してオーガストへ武器を突き付けたりはしていない。見ようによっては護衛にも見える位置取りだ。しかし、彼らが王の命令に従う気がないのは明白だった。
物々しい様子に、エイプリルがおびえたように父親へ身を寄せる。
「お、お父様……ねぇ、嘘だよね、私がパジェット君と結婚しなきゃいけないなんて、冗談よね?私は好きな人と結婚していいんだよって言ったじゃない、お父様……!」
この期に及んで、譲位を迫られている父親ではなく自分の将来を心配している妹に、ジュリアスは大きなため息をついた。そんな兄を、エイプリルは涙目で睨む。
「お兄様、馬鹿な真似はやめて……!お姉様、助けて!」
エイプリルが今度は姉に手を伸ばすと、メイジェーンは楚々とした笑みを浮かべた。
「大丈夫よ、エイプリル。パジェット公爵家のお屋敷も、お父様の入られる離宮も、とても良いところよ。素敵な場所で優しくしてもらえる、今までと何も変わらないわ」
「……っ!二人とも、好きでもない人と結婚させられたからって、お父様に愛されている私に嫉妬して、こんな仕返しひどいわ!」
気に食わないことが起こるとひどいひどいと馬鹿の一つ覚えみたいにわめくエイプリルに、ジュリアスは首を振った。
「エイプリル。私も姉上も、嫉妬などしていない。父上の執着を押し付け、傲慢になっていく君を正してやれなかったこと、ふがいなく思っているくらいだ」
「そんな事をおっしゃらないでください……!殿下もメイお義姉様も、精一杯のことをしてきたではありませんか」
ジュリアスの傍らで、それまで黙っていた王太子妃が思わずというように声を上げた。
彼女はジュリアスとは政略結婚で、特別美しいわけでも秀でた才があるわけでもなかった。
しかし、王太子妃として研鑽を積んできた努力家なところ、王から「エイプリルに嫉妬するな!」と怒鳴られるたびに寄り添ってくれたこと、ジュリアスにとってはかけがえのない大切な妻だ。
「ありがとう。父上からいただいたものの中で、君との結婚だけはかけがえのない宝だ」
「殿下……」
ジュリアスが妻を抱き寄せると、王太子妃は頬を染めてはにかむ。
「嘘よ……お父様に嫌われているお姉様やお兄様が、私より幸せになるだなんて、何かの間違いよ……!」
それぞれの伴侶と睦まじく寄り添う姉と兄を睨むエイプリルこそが、今や嫉妬の塊のような表情をしていた。
シルフィーネ様は中身イケメン・外見ゴリラのシャバーニ系令嬢ですが、アーサーにとっては絶世の美女です。
別にアーサーの美的感覚がおかしいわけではなく、メイジェーンのことは普通に美人さんだと思っていますし、エイプリルだって顔立ちは可愛らしいと認めています。
ただ、愛する人は誰よりも美しく見えるものなのです。