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2.少年の言い分

 この国の南の半島には、勇者である初代王が魔王を封じた森がある。南部の大領主たるウッズワード辺境伯家は、魔の森から溢れる魔物の討伐を任務としていた。


アーサーの実家は、そんなウッズワード家の旗下にあった子爵家だった。領地は海と山に囲まれ辺境にしては長閑な土地だったが、それでも魔物と無関係ではいられない。


ある年、魔の森から大量の魔物が襲ってくる大事件があり、両親は民を守って他界してしまった。


残されたアーサーは平民となり、寄親の辺境伯家に庇護されて育つことになったのだ。


辺境伯は養子になるよう提案してくれたのだが、アーサーはウッズワード家の末娘に思いを寄せていた。


養子の話を「大変ありがたい」としながらも、「姉弟になったらお嬢様と結婚できない」から拒否したのだ。


その気骨を気に入った辺境伯は、アーサーが子爵家を再興し、娘が望むなら結婚を許そうと請け負ってくれた。


魔物との戦いが厳しい辺境では武功を上げることが近道なのだが、生来ひ弱なアーサーには全く向いていないため、王都の学校で勉強して医者を目指すことにした。


両親のように大けがで亡くなる人が減るように、民が傷つくたびに悲しむお嬢様の助けになれるように。




 王立アレクティアナ学園は、今でも名君として尊崇される王国中興の英雄、アレクサンダー王が「民に開かれた学舎を作りたい」と構想し、娘のティアーナ女王が創立した名門校だ。


学園名の由来となった二人の君主の理念から、貴族だけではなく平民にも門戸を開いており、アーサーは特待生制度を利用して高等部から入学した。


亡き両親の話では先祖がティアーナ女王の義理の伯母で教育学に長けていたらしく、学園創立にあたっていろいろと助言をしたらしい。


そんなご先祖様ともちょっぴり所縁のある学園での学びは、一年生のころは楽しかった。ただ、学費無料の特待生を維持すべく猛勉強をこなしたアーサーにとって、授業はすでに知っている内容も多かった。


(手っ取り早く医者になるには、大学部の医学科に進まないと)


学園には飛び級制度もあったので、彼は学年末に大学部への進級試験を受けた。手ごたえもあった。ところが予想に反して試験は不合格で、アーサーは高等部の二年生になった。


それだけならまだしも、配属されたクラスが更におかしかった。


学園では学生同士の軋轢を防ぐため、クラスが上級貴族、下級貴族、平民の身分ごとに分かれている。


一年のころは平民クラスだったアーサーは、なぜか第二王女も所属する上級貴族のクラスに編入されていたのだ。


(昔、一応貴族令息だったから?だとしても編入するなら下級貴族のクラスだろう!!?)


絢爛豪華な上級貴族クラスで、アーサーは異物だった。


そばを通るだけでも緊張する高価な調度品に囲まれて、周囲の生徒たちからは些細な所作の違いを声高に嘲笑われた。


それでいて授業内容は一年生の平民クラスよりも低レベルで、アーサーは内心首をかしげたものだ。


実際、王女のクラスとは別にもう一つある上級貴族用クラスの授業を伝え聞くところきちんとした内容だったし、他クラスにはアーサーを面と向かって侮辱するような幼稚な生徒もいなかった。


(平民クラスへの移籍を直談判しよう。それが駄目ならせめて下級貴族のクラスか、最悪、隣の上級貴族クラスでもいい)


アーサーなりに気を遣って教室の隅で埋没しようとしているのに、わざわざ攻撃しに来る品のない同級生たちにも、復習にもならない授業にもうんざりだった。


クラスの移籍を求めるべく担任教員の研究室を訪れたアーサーは、先客に気づいて立ち止まった。


わずかに開いた扉の隙間から話し声がする。


誓って立ち聞きなどするつもりはなかったのだが、中の話し声があまりにも大きくて聞きたくなくても聞こえてしまったのだ。


「王女殿下、本当に伝えなくてよろしいのですか?もうあと一年も寿命がないなど、突然あなたを失ったらクラスの皆はどんなに悲しむか……」


「だからこそ余計な気を遣わせたくないんです。残された時間を、腫物扱いで過ごすなんて。だから先生、よろしくお願いしますね!」


はつらつとした少女の声がそう言い置いて、扉が開いた。


ふんわりとした薄紅色の長い髪、快晴の空のような青い瞳、亡き王妃に生き写しだという可憐な美少女。


学園のアイドル、第二王女エイプリルだ。


二人はほんのひと時無言で見つめあい、先に動いたのはエイプリルだった。


「今の、聞いた?」


「えっ、あの……」


「ちょっと来て」


エイプリルはアーサーの手を取ると、返事も聞かずに廊下を歩き始めた。


二人は人気のない中庭にやってきて、アーサーは大木の下のベンチに座らされた。その横へ、どさりとエイプリルが行儀悪く腰掛ける。


「ええと、確か同じクラスのマジメガネ君だよね?」


いつも教室の隅で勉強ばかりしている陰気で真面目な眼鏡男だからマジメガネ。クラスでのアーサーの蔑称である。


スクールカーストの最上位に在らせられる姫様に口答えなどできるはずもなく、アーサーは不承不承頷いた。


「さっき先生との話を聞いたと思うけど、私、十八になる前に死んじゃうんだって。心臓の難しい病気でね」


寿命の話など「魔道具のことだった」とでもごまかせばいいのに、エイプリルは自分の病気のことをぺらぺらと話し始めた。


心臓の筋力がだんだん弱って最後には止まってしまう奇病で、現代の医学でも、聖女の癒しの力でも治せないらしい。


「まぁ、私の力は擦り傷を治せる程度だから、もっと癒しの力が強い聖女だったら話は別かもしれないけどね」


そういって肩をすくめるエイプリルに、アーサーは納得した。


聖女とは、スノーレイク神聖王国が崇める泉の女神の加護を受けた女性だ。聖女の力は治癒、豊穣、結界、破魔の四つがあり、力の性質は持主の心の在り様を反映する。


例えば人に対する慈愛の心を持てば治癒や豊穣の力が、他者に対して拒絶の心が強くなれば結界や破魔の力が強くなる、という具合だ。


このお姫様は「クラスメイトに余計な気を遣わせたくない」と他人を気遣っているようで、自分のことしか考えていない。


治癒の力が低いのも当然だろうな、とアーサーは思った。


「……どうして自分に、こんな話を?」


「だってキミ、私に興味ないでしょ?私があと一年の命って聞いても同情しなさそうだったから」


おもしろいひと、と笑うエイプリルに、アーサーはますます渋面になった。


王女殿下に興味がないのはその通りだが、もっと言えば「面倒くさいので関わり合いになりたくない」が正しい。


「というわけで、お願い。みんなには病気のこと内緒にしていてほしいの」


王族の「お願い」は平民にとっては命令だ。


「かしこまりました」


「ありがとう!」


アーサーが頬を引きつらせながら言うと、エイプリルは花の咲くような笑顔で彼の両手を手にとった。


今更ながら、王女殿下は婚約者のある身で別の男と二人きり。いいのだろうか、とアーサーは思う。


近頃はずいぶんと近代化も進み、身分やしきたりが緩くなってきたとはいえ、権威の頂点にある王女様が平民男に触れるなんて軽率すぎやしないだろうか。


そもそもウッズワードのお嬢様以外の女に触れられるなんて不愉快だから早く離してくれないだろうか、もうこちらから振り払ってもいいかな。


そんな風に考えていた時だ。


「貴様、何をしているッ!!!?」


横合いからぬっと男の手が伸び、アーサーの襟首をつかんだかと思うと、ベンチから引きずり降ろされ殴られた。


見上げれば、エイプリルの婚約者パジェット公爵令息が、端正な顔を悪魔のように歪めてアーサーに馬乗りになっていた。


その背後では、エイプリルの親友だとかいう侯爵令嬢とその取り巻きが


「姫様!ご無事ですか!?」


などと王女が悪漢に襲われでもしたかのように騒いでいる。エイプリルはそんな同級生たちに、困ったように小首をかしげた。


「乱暴はやめて?私たち少しお話していただけよ」


「姫様、こいつをかばうことはありません!下賤の者が尊き御身に触れるなどあってはならないことです!話してもわからない下等生物は痛めつけてわからせてやらなければ!」


パジェット公爵令息はアーサーの頬を殴りつけ、眼鏡が草むらに転がった。


第二の父とも慕うウッズワードの旦那様にいただいた、大切な眼鏡。アーサーが思わず手を伸ばすと、


「やっだ、この状況で眼鏡拾おうとしてるなんて」


「眼鏡が本体なんじゃないの、ウケるぅ~」


「さすがはクソキモメガネ!」


などと令嬢たちが囀りながら、眼鏡を側溝へ蹴り飛ばした。


「もう、みんなやりすぎだよ~」


それを見たエイプリルが頬を膨らませると、パジェット公爵令息が舌打ちして立ち上がった。


「エイプリル様の優しさに免じて今回だけはこのくらいにしておいてやる。もう二度と姫様に近づくなよ!」


「ごめんね、マジメガネ君、またね!」


口先の謝罪で済ませる王女のどこが優しいのか。立ち去っていく一同の背中を眺めるアーサーは本気で不思議だった。


あんな厄災のような人物、頼まれたってもう二度と近寄りたくもない。


ふらふらと立ち上がり、側溝の汚泥の中から手探りで眼鏡を拾い上げて見ると、かろうじてレンズは無事だがフレームはひしゃげていた。


井戸水で丹念に眼鏡と王女に触れられた手を洗い清め、ゆがんだフレームを何とか曲げ戻すと、アーサーは担任の研究室を再訪した。


「平民クラスに移籍したい?」


アーサーの申し出を聞いた男性教師は驚きに目を丸くしたかと思うと、冷ややかな目で睨んできた。


「駄目だ。パジェット君に聞いたぞ、王女殿下を中庭に引き込んで不埒な真似をしていたと。殿下の秘密を盾に脅したのだろう?」


「違います!そんなこと、自分はしていません!」


「焦って否定するところがますます怪しい。平民の巣に戻って、殿下の秘密を暴露するつもりか?そうはさせん。私のクラスで監視してやるからな」


本気でアーサーがエイプリルに何かしたと思っているのなら、クラスの移籍どころか退学になってもいいところだ。


つまりこの教師もアーサーが気に入らないだけ、と気づいて絶望した。


一瞬、こちらから退学してやろうかとも考えたが、すぐに思いとどまる。


下宿先の世話をしてくれたのはウッズワード家だ。「がんばれよ」と温かく送り出してくれた旦那様たち家族の心を無下にしたくなかった。




 それから、アーサーの本当の地獄が始まった。


それまでもすれ違いざまに「うざい」「きもい」と言われるくらいは日常茶飯事だったが、エイプリルの秘密を知った日から実害を伴うようになった。


机は常に汚され、罵詈雑言を落書きされ、私物を壊され、ものを投げつけられ、担任は黙認どころかこれらを推奨している。


エイプリルを害さないか監視するという名目でアーサーの席には映像記録の魔道具も取り付けられ、プライベートも何もあったものではない。


しかし、そんな教師ぐるみのいじめよりも耐え難かったのは、元凶のエイプリルが何かにつけてアーサーの元へやって来ることだった。


「マジメガネ君、一緒に課題やろ」だの「私たちとグループ組もう」だの、どうでもいいことで話しかけてくるのだ。


もちろんアーサーは、いじめがひどくなるので自分にかかわらないでほしいという趣旨の話を、平民に許されるギリギリの表現で何度もエイプリルに訴えた。


しかし頭に花が咲いているとしか思えないこの王女様は、「遠慮しないで」「かわいそうなキミにお友達を作ってあげたいだけ」「みんな優しいのに、壁を作ってるキミもよくないと思うなぁ」とズレたことばかりを言うのだ。


それを聞いた担任やクラスメイト達は「姫様はなんとお優しい」とエイプリルを褒めたたえ、「平民風情が殿下に気に入られて調子に乗っている」とアーサーに憎悪を募らせいじめがエスカレートする悪循環。


せめてエイプリルが醜女だったらつきまといに同情してくれる同級生もいたかもしれないが、「鼻の下のばしやがって」と事実と異なることを言われ、あの可憐な顔立ちすら嫌悪の対象だ。


アーサーにはエイプリルこそがいじめの首謀者、邪悪なクラスの支配者としか思えなかった。


これでクラスの外に味方ができなければ、アーサーは心が折れてしまっていただろう。


そう、エイプリルはアーサーをクラスで孤立させた元凶でありながら「キミにお友達を作ってあげたい」と頓珍漢な発言をしているが。


アーサーには、友人がちゃんといるのだ。同郷の幼馴染や、一年のころ平民クラスで知り合った友人たちが。


迷惑をかけたくないので表面上は彼らとの接触は控えていたが、魔法の鳥文を使って愚痴や相談は何度も聞いてもらった。


中でも幼馴染の親友は下級貴族クラスで、彼はアーサーの身を案じて自分の寄親の貴族子息に相談をした。


その子息がまた、自分より少しだけ身分の高い友人にことを伝え、アーサーの不遇は伝言ゲームのように上へと広がっていく。


それに、一年生のころの担任ラルゴ先生もいい人だった。クラスも学年も違うので頻繁に相談はできなかったが、親身になってくれた。


下級貴族のラルゴは上級貴族である今の担任にすぐには対処できないことを詫びながらも、彼にできる範囲で手を尽くしてくれた。


さらには、アーサーのバイト先の雇い主も、とある協力をしてくれた。


彼らのおかげで、アーサーは王都の王侯貴族すべてに絶望せずに済んだのだ。




 「余のかわいいエイプリルを、酷く卑しいだと!!?」


場面は再び誕生祭に戻る。


アーサーの言葉を聞いたオーガスト王は憤怒の表情で叫んだ。


王家に多い銀の髪に、かつて王家に嫁いだ大聖女と同じ、金にも見える琥珀色の瞳。色合いだけなら神秘的だが、顔を真っ赤にしてわめく中年男に威厳は皆無だ。


「国家に著しく不利益を与える言動でなければ不敬には問わぬ、とおっしゃったのは父上です。王ならば一度口にしたことは違えることのなきよう申し上げます」


そう言って王を制したのは王太子ジュリアスだった。父親譲りの銀髪に、妹と同じ青い瞳、凛々しい面立ちの英俊である。彼は厳しい表情で父王に進言すると、アーサーには穏やかな眼差しを向けた。


「アーサー殿、父と妹が失礼した。君に与えられた褒美は君自身のために使われるべきだ。王太子の名において保障しよう」


「ジュリアス……貴様、何を勝手なことを!」


「お父様、わたくしもジュリアスと同感ですわ」


激昂するオーガストに、涼やかな声が割って入る。貴賓エリアにいる隣国王妃、第一王女のメイジェーンだ。髪と目の色合いだけなら父親によく似た、怜悧な美女である。


「わたくしもジュリアスも幾度となく申し上げてきたはずです。エイプリルの我儘をかなえるだけでは、決してあの子の幸せにならないと」


「メイジェーン……!」


オーガストは妹を貶めようとする長女を睨みつけた。


素直で愛らしいエイプリルと違い、ことあるごと賢しげに反抗してきたメイジェーン。


歴史的に緊張関係が続いていた隣国レガリア騎士王国へ嫁がせたというのに、関係の良くなかった夫をいつの間に篭絡したのか、夫婦で仲良く寄り添っている。


メイジェーンの肩を抱く赤毛の美丈夫、騎士王の視線に気づいたオーガストは、さすがにこれ以上の醜態はさらせないと言葉を呑み込んだ。


そんな舅を意に介さず、騎士王が口を開く。


「俺は義妹殿の結婚がどうして褒美になるのか気になる。話してみよ、小僧」


「前提からお話しすると、長くなりますがよろしいでしょうか」


「かまわん、言ってやれ」


隣国王陛下のお望みならば、木っ端平民のアーサーが断る道理もない。少年は頷いた。


「そもそも私は、医学の勉強をするために学園へ入ったのです」


アーサーは訴えた。


二年生になって、なぜか第二王女と同じクラスになったこと。


王女の病を知ってしまったことをきっかけにはじまった、嫌がらせ。


とても勉強に集中できる環境ではないのでクラスの移籍を申し出たのに却下され、教師ぐるみで行われたいじめ。


元凶の王女へ、自分にかかわるのをやめてほしいと訴えてもまるで取り合ってくれなかったこと。


「いじめだなんて、証拠はないじゃない!」


エイプリルの親友である侯爵令嬢が声を上げると、クラスメイト達がそうだそうだと騒ぎだす。


「証拠ならありますよ」


そこへ声を上げたのは、一年のころの担任ラルゴだった。


「私はアーサー君が一年生のころ担任を務めていた学園の教師です。アーサー君に頼まれて、これらを預かっていました」


ラルゴは祝宴には不釣り合いな大きな鞄から、アーサーの私物を取り出した。汚水で汚されたと思しき本、びりびりに破かれたノート、へし折れた筆記具など、いじめの物証の数々である。


「それを我々がやったという証拠はあるのか!?」


「そうだ、クソキモメガネのことだ、自演にきまってますよ!」


「騙されちゃって、馬鹿じゃねぇの先生」


あざ笑うクラスメイト達に、ラルゴは心底軽蔑した目を向けた。


「愚かなのは君たちだ。君たちの担任が、とびきりの証拠を残していたのを忘れたのかい?」


そういってラルゴが最後に取り出したのは、アーサーの席に取り付けられていた映像記録の魔道具だった。


「それは……!ラルゴ、貴様、やめろ!!!」


担任教師が恫喝するがもう遅い。ラルゴが魔道具を発動させると、大広間の空中いっぱいに立体的な映像が浮かび上がった。



『マジメガネ君、一緒に課題やろ!』


自らアーサーに近づいてくるエイプリル王女。それに対してアーサーはビクッと怯えるように身を引き、


『下賤の自分になどお構いなく、どうかご友人とお過ごしください、王女殿下』


と目も合わせずに頭を下げる。そんな彼の背中を、エイプリルはバンバンと叩いた。


『嫌だなぁ、そんなに卑下したら感じ悪いよ?私たち友達じゃない。ね、みんな、マジメガネ君も仲間に入れてあげようよ!』


エイプリルに呼ばれて、彼女の取り巻きが周りに集まってくる。しかし、アーサーに対して好意的な表情をしている者は誰もいなかった。


『おい、貴様!姫様に近づくなと言っただろう!!姫様は俺の婚約者なのだぞ!!!』


パジェット公爵令息がアーサーの髪をつかみ、頭を机に叩きつける。


その机には、「死ね」「消えろ」「うざい」「きもい」その他もっとひどい罵詈雑言まで、びっしりと落書きされていた。


『エイプリル様が優しいからって、平民風情がわたくしたち上級貴族のお仲間に入れてもらおうだなんて。つけあがらないでちょうだい』


目の前の暴行をいい気味だといわんばかりに眺める侯爵令嬢。


『うわっ、汚ねっ、こいつ鼻血吹きやがった!』


『やだぁ、姫様や私たちがかわいいからって興奮してんの、このエロメガネ!』


『ちょっとパジェット君やめてよ、ばっちい血が私たちのほうに飛ぶじゃない』


あざ笑うクラスメイト達。


そんな彼ら彼女らに、クラスのお姫様が可愛らしく頬を膨らませた。


『みんなやめようよ、そういうの!かわいそうだよ』


ぷりぷりしているエイプリルを振り返り、クラスメイト達はしかたないなぁという苦笑を浮かべた。


『エイプリル様はなんてお優しいのかしら』


『さすが、この国で最も心清らかな聖女様なだけはあるよな』


『だけどこいつが聖女様の優しさに付け込まないように、何か見せしめはしないと』


『あっ、俺いいこと考えた!』


侯爵令息の一人が魔法で学園の池の水を呼び寄せ、泥水をアーサーの机にぶちまける。広げていた勉強道具が泥水で汚れ、アーサーが小さく息をのんだ。


『や、やめ、その辞典は……』


『あ?大事なモンなんだ?へぇ~、じゃぁ見せしめにちょうどいいな!』


侯爵令息はアーサーがわずかに反応を見せた医学辞典を汚いものでも触れるようにして、机から引きずり落した。


『ほら公開処刑!』


『こーかい処刑!!』


クラスメイト達がはやし立てる中、ぐちゃぐちゃに踏みつぶされていく辞典。


『やめてください、お願いします!!!……助け、父さん、うぅ……!』


辞典を取り戻そうともがくアーサーを、男子生徒たちが数人がかりで押さえつける。


『パパたちゅけてぇ~、だってよ!!!』


『親に助けを求めるとか、だっせぇ!!!』


教室にげらげらと笑い声が響く中、大切に使い込まれた辞典は無残に引き裂けた。


『姫様が暴力はダメっていうから、辞典君に身代わりになってもらいましたぁ!』


『あはは、ひっどぉい』


うっぷんを晴らして飽きたのか立ち去っていくクラスメイトたち。


その様子を「あーあ」と言わんばかりの顔で眺めていたエイプリルが、アーサーにたしなめるような視線を向けた。


『ほらぁ、ホントはみんな優しいのに、マジメガネ君が素直にならないから怒らせちゃったよ?そうやって壁を作るの、よくないと思うなぁ。私と一緒にいたいなら、もっと上手に立ち回らないとダメだぞっ?』


まるでアーサーに非があるような言い方をして、友人たちの後を追うエイプリル。後には嗚咽を漏らしながら辞典を拾うアーサーだけが残された。



 そこで映像の再生をやめたラルゴが、目に涙を浮かべて告げた。


「私はすべての映像を確認させていただきましたが、この場での再生に耐えられる映像を厳選してこれです。私にも幼い息子がおります、あの子がこんな仕打ちをされたらと思うと……アーサー君を助けてやれなかった自分が、教師として情けなくて……」


「ひどい……」


別のクラスに所属する生徒たちを中心に、映像を見ていた人々の中から小さなささやきが広がった。


アーサーはジュリアス王太子の許可を得て壇上を降りると、ラルゴのもとへと向かった。広げられた証拠品の中から医学辞典を手に取り、持ち上げる。


「これが映像の中で汚損させられた辞典です。見比べていただければ、破損の具合が同じであると、わかっていただけるかと思います」


もはやクラスメイト達は針の筵だ。辞典を汚損させた侯爵令息が、いらいらとした様子で声を上げた。


「わ、わかったよ、弁償すればいいんだろ、弁償すれば!まったく、ちょっと私物を壊されたくらいで、下民は卑しいったらない……」


「弁償なんてしていただかなくて結構」


ぶつぶつ言う侯爵令息に、アーサーははっきりと告げた。


「お金で解決なんて、できないのです。これは、医者になりたいと言った幼い僕に、亡き父が買ってくれたもの。たとえ同じ辞典を購入していただいたところで、それは父さんの形見じゃない!」


血を吐くような訴えだった。


「辞典だけじゃありません。両親亡き後、僕を保護してくださった辺境伯ご一家から頂いた眼鏡も、制服も、文房具も、替えなんて一つもない宝物です。同じものを買って解決だなんて思われては困ります」


「だったらどうしろというのだ!」


耐えかねたように、今度はパジェット公爵令息が叫んだ。


「そもそも、平民風情が婚約者になれなれしく付きまとっていたら誰だっていい気はしない!なぁ、君だってそう思うだろう!?」


隣の上級貴族クラスに所属する公爵令嬢に訴えかけると、名指しされた彼女はパジェット公爵令息をゴミでも見るような目で一瞥し、口元を扇で覆った。


「確かに平民が婚約者に付きまとっていたら、わたくしとて排除はします。けど、なれなれしいのも付きまとっていたのも、王女殿下ではなくて?わたくしならアーサー殿を保護しますわ」


「なっ……!」


「百歩譲って付きまとっていたのがアーサー殿の方だとして、あのように自ら手を汚す必要があるかしら?わたくしたちの立場なら一言、排除せよ、と言えばすむことではないの。いじめを楽しんでいたようにしか見えなかったわ」


味方だと思っていた令嬢から嫌味を言われ、パジェット公爵令息がぱくぱくと口を開く。


その横でエイプリルが、こてんと首をかしげた。


「ねぇ、貴女、ひどくない?」


エイプリルは鈴を転がすような可憐な声で、公爵令嬢に話しかけた。


「酷い?わたくしが、でしょうか。第二王女殿下」


「そうよ、私がマジメガネ君になれなれしく付きまとってたなんてひどいよ」


仮にも成人した王女が国内外の要人も同席する公の場で発するには、あまりにも幼稚なしゃべり方。毅然としていた公爵令嬢も驚きに目を見開いた。


「確かにクラスのみんなはちょっとやりすぎだったかもしれないけど、私はマジメガネ君のことかばってあげたのよ?みんな、私のこと優しいって言ってくれたじゃない」


自分の何が悪いのか全く分からないみたいな態度で、エイプリルはクラスメイト達を振り返る。


「ね、そうだよね、みんな?」


さすがのクラスメイト達も、この場でエイプリルに同調すればますます非難の目を浴びることはわかっていた。


賛同を得られなかったエイプリルが、ぷくりと頬を膨らませる。


良識のある貴族ほど、エイプリルを化け物でも見るような唖然とした目で見つめていた。


可憐で愛らしく、文武両道で、聖女の力を持つ完璧な妖精姫。


そのメッキが、音を立てて剥がれはじめていた。

巷で人気のざまぁというものを自分も書いてみたくなった。

というわけで前作主人公の子孫だろうと忖度せずにざまぁしていくスタイルだぜ!!!

お、お姉ちゃんとお兄ちゃんはまともだから……(震え声)

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