1.王女の生誕祭
スノーレイク神聖王国の第二王女にして癒しの力を持つ聖女、エイプリルは幸福の予感に頬を染めて微笑んでいた。
亡き王妃に似てふんわりとした薄紅色の髪に、透き通る青い瞳の可憐な容姿から桜の妖精姫とよばれ、頭脳明晰、スポーツ万能。誰にでも優しく明るい性格で、在籍している王立アレクティアナ学園の生徒たちから愛される完璧な姫君である。
パステルピンクの華やかなドレスに身を包んだエイプリルの隣では、婚約者パジェット公爵令息が苦虫を噛み潰したようなしかめ面をしていた。
二人の婚約は幼いころから結ばれていたが、政略的な意味は皆無。
エイプリルを溺愛する王は、王女の婚約者が不在では格好がつかないため二人の婚約を命じ、エイプリルが真に愛するものを見つければいつでも解消してよいとしていた。
そんな理由にもかかわらず、公爵令息は可憐な王女に心酔していた。婚約者の座を死守すべくあらゆる手段でエイプリルに尽くしてきたというのに、現在婚約解消の危機を迎えている。
その怒りと屈辱から、彼は一人の少年を睨みつけていた。
否、パジェット公爵令息だけではない。王女の生誕祭に呼ばれたすべての人の注目が、みすぼらしい平民に過ぎない少年に注がれていた。
少年の名はアーサー。第二王女エイプリルを救った王立学園の特待生である。
事の始まりはエイプリルの難病だった。
現代の医学でも、聖女の癒しの力でも治せない心臓の病が発覚したのは、一年前。エイプリルが十七歳になった高等部二年の春だった。王女の主治医は痛恨の極みという顔で、
「姫様はこのままでは、十八の成人を迎えられることはないでしょう」
と宣言した。
嘆き悲しむ父王に、エイプリルは自分の病を同級生の皆には秘密にしてほしい、と頼んだ。
「クラスのみんなに、気を遣わせたくないもの」
そう言って儚げに笑う娘の健気さに心打たれた父王は、水面下で娘の病を治療する方法を探し続けた。
一方で、エイプリルは自分の病を同級生に隠して、残された学生生活を楽しむことにした。聖女の力で症状を緩和することはできたからだ。
ところが彼女の病のことを、ひょんなことから同級生の一人であるアーサーが知ってしまった。
アーサーは辺境の出身でもとは没落貴族の子だったが、魔物との戦いに明け暮れる野蛮な故郷に嫌気がさしたのか王都へやってきた医者志望の少年だった。
そんな彼は姫の病に興味を持ち、エイプリルと行動を共にするようになる。
クラスのアイドルである王女と、勉強ばかりの目立たない平民。
それまでかかわりのなかった二人が秘密の共有をきっかけに急接近したことに、周囲はいい顔をしなかった。
特にエイプリルの婚約者である公爵令息や、親友を自負する侯爵令嬢は苛烈な嫌がらせを行ったが、アーサーは意にも介さなかった。
そして彼は、故郷で使われている魔動義肢の技術に着目して、心臓の動きを補助する魔道具を作り上げたのだ。
おかげでエイプリルは迎えるはずのなかった誕生日を迎えることができた。
今日はそんなエイプリル王女の十八歳の生誕祭である。
王城の大広間は花と宝石で絢爛に飾られ、国王と王太子夫妻に国内中の貴族、エイプリルの友人として学園生徒たち、そして隣国へ嫁いだ第一王女とその夫までもが参加していた。
王太子でもない姫の誕生日祝いに惜しみもなく贅が尽くさた様子は、王の並大抵ならぬ喜びを表している。
ところが、玉座に座る国王オーガストは浮かない顔だった。
(娘を救ってくれたことに感謝はしている。しているのだがなぁ……)
オーガストは憂鬱な表情で、目の前で跪く黒髪の少年を見下ろした。王の傍らでは大臣が朗々とアーサーの功績を読み上げており、それが終われば望みの褒美を取らせることになっていた。
(こんな冴えない男に、かわいいエイプリルをくれてやらねばならぬのか)
王は内心でため息をついた。アーサーは屈強な戦士が多い南部の出とは思えないほど貧相で、ぶ厚い眼鏡をかけた顔にも優れたところのない平凡な少年だ。
もとは下級貴族の出身だと聞いているが、家を復興させてやったところでエイプリルが苦労するのは目に見えている。
しかし当のエイプリルから、アーサーが自分を妻に望んだら断らないでほしいと念を押されていた。
やがて大臣も言うべき事を終え、オーガストは重い腰を上げた。
「皆の者、娘の命があるのはこの若者のおかげだと、よくわかってくれたことだろう。王家はこの恩に報いるため、望みの褒美を取らせる。アーサーよ、面を上げあげよ」
顔を上げた少年の平々凡々とした眼鏡顔に、オーガストは努めて威厳ある笑顔を保ちながら話しかけた。
「そなたの望みを申すがよい」
すると真っ先にエイプリルとの結婚を願うと思われていた少年は、神経質そうな目で口答えをしてきた。
「恐れながら、陛下。私の口にすることが陛下のお心に反する願いでも、不敬を問われはしないでしょうか」
なるほど、とオーガストは思った。この少年は賢い。自分がエイプリルを嫁にやるのが不服だと察しているのだな、と。しかしここは、王の寛容さを見せねばなるまい。
「もちろんだ。国家に著しく不利益を与える言動でなければ不敬には問わぬ」
その言葉に、アーサーは不敵な笑みを浮かべた。長年の苦労が報われたとでも言いたげな、言質はとったといわんばかりの笑顔だった。
「ならば申し上げます。第二王女殿下とパジェット公爵令息の、迅速で確実な婚姻を望みます!」
小柄でやせぎすな少年の声は、不思議と大広間に響き渡った。
しんと静まりかえる大広間。
次の瞬間、金切声じみた少女の絶叫が木霊した。
「なんで!?私、そんなこと望んでない!!!」
叫んだのは、驚愕に目を見開いた王女エイプリルだ。アーサーはゆっくりと声の主を振り返り、聞き返した。
「いや、そんなこと望んでないと言われましても……なぜ自分に与えられた褒美を王女殿下のために使わないといけないのですか?」
心底不思議そうに投げかけられた問いは、彼の本心を如実に示していた。
想像していた成り行きとあまりにも違うので、国王はうろたえながら少年に問いかけた。
「アーサーよ、本当に良いのか?わが国では王族であっても女性が複数の夫を持つことはできぬゆえ、エイプリルが公爵令息と婚姻を結べばそなたは目通りも許されぬ身となるが」
「はい、もう二度と第二王女殿下に会わずに済むなら、大変ありがたく存じます」
まるでアーサーがエイプリルのことを迷惑がっていたかのような言い草に、エイプリルは婚約者に肩を支えられながら涙声で訴えた。
「な、なんで!?なんでそんな酷いこと言うの、マジメガネ君!!!」
「……酷い?」
心外そうに、アーサーはエイプリルへ向き直った。
「公の場で蔑称を投げかけ、命の恩人に与えられた褒美を自分のために使われて当然のように言う方が、酷く卑しいと思いますが?」
アーサーの眼には愛しい人への熱も何もなかった。ただただ、傲慢でわがままな王族への怒りと軽蔑だけがあった。