第4話 カイさんの家、可愛すぎ問題。そして晩餐会の招待状──
初めて訪れたカイの家は、ちょっと不思議な“落ち着く匂い”がした。
乙女趣味なインテリアにドキドキしていたら、届いたのはカイさんの「許嫁」からの招待状で──。
カイの家の中に入ると──
「うわ〜、思ったより……広いんだね」
木の床に石の壁、窓辺には古びたカーテン。どこか物寂しいが落ち着く空間。
ユータはそっと鼻をひくつかせた。
「……ん? この匂い……なんか、嗅いだことある気がする……」
クンクン、と控えめに空気を吸い込んだあと、ふとカイのほうを見て──
「……カイさん、ちょっといい?」
「……? なんだ」
ユータはカイに歩み寄り、至近距離で顔を近づけると、首筋のあたりをすんすんと嗅ぎ始めた。
「……っ!?」
「……あっ、やっぱり! この匂いだ〜。カイさんと、ここの匂い、一緒だ!」
嬉しそうに笑うユータ。カイはピクリとも動けず、脳内はフリーズ状態。
(な、なにしてるんだ……!? 近い、近い……今、息が首筋にかかった……っ)
ユータはそのまま、壁やソファの匂いにも顔を寄せて比べるように嗅ぎ、満足げに頷いた。
「カイさんの匂いだと落ち着くんだよね、なんか。家の匂いと一緒だから、ここ、すごく安心する」
──そう言ったあと、ふいにユータの顔がかあっと赤くなった。
(……っ、な、なに言ってるんだ僕……!?)
自分の行動と言葉の意味に気づいて、急に恥ずかしくなったのか、ユータはぶんぶんと両手を振ってごまかす。
「べ、別に変な意味じゃないからね!? その……なんていうか……本能的に! うん、きっとそう!」
「……そうか」
カイはぎこちなく頷いたが、その耳は真っ赤に染まっていた。
ユータはというと、まだこの空間に夢中な様子で、きょろきょろと部屋の中を見回していた。
「へぇ〜、この椅子、味あるなあ……ん? あれは……?」
ふと目を留めたのは、部屋の隅にある書棚。
ユータが近づいていくと、そこには──
淡いピンクの背表紙や、「愛と宿命の詩」などと書かれた恋愛詩集が、何冊も丁寧に並んでいた。
「えっ……これ……」
「見なくていい」
カイが頬を赤らめて本棚を閉めようとするが、ユータはニヤリと笑った。
「カイさんって……意外と……乙女?」
「……違う」
しかし、内装の随所に、刺繍入りのクッションや、香草の匂い袋など、“乙女趣味”がちらほら見える。
(男っぽいのに、なんでこんなに可愛いんだ……!)
「ホコリが……しばらく帰ってなかったからな。掃除するか」
誤魔化すようにカイは言った。
「うん、僕、はたき持つね!」
二人で掃除をしながら、カイはふと自分の状況に気づいた。
──狭い空間にユータと二人。
──家に招いて、掃除して、お茶を淹れて。
(……待て。これ、完全に……)
(新婚生活……ッ!?)
カイは手にしていた雑巾をぽとりと落としかけ、慌ててキャッチする。
(やばい、心臓がうるさい。俺の心拍、絶対ご近所迷惑レベル……!)
視線の先、窓辺でくるくると布を動かしているユータ。
光を浴びた髪がふわっと揺れ、透けそうな白い肌に、すらりとした指。
そして──シャツの裾から、ふいに覗いた腰のライン。
(っっっっ……!!!)
(ちょ、待て、それは……それはダメ!!)
(不意打ちのえっちすぎる仕草、犯罪! 俺の理性、瀕死!!)
──って、なに!? 今、脳内ラップ調!?
どこ目指してんだ俺!? 落ち着け、冷静になれ……!!
(いや、いっそいま理性が死んでも──)
カイはごくりと唾を飲み込んだ。
思わず背後から抱きしめたくなる衝動を、寸前で抑え込む。
(ダメだ……! 今ここでユータに触ったら、ベッド直行コースだろ……!)
──仕方ない。せめて、妄想で補完だ。
(朝起きたら、ユータが台所にいて、「カイさん、おはようございます」って微笑んで──)
(寝ぼけた俺が後ろから抱きしめて、「ちょっと、いま味噌汁の味見中です!」とか怒られて──)
(でも俺は耳にキスして、「ユータ、好きだ」って囁いて──)
(で、そのまま朝食じゃなくて俺を食べ──)
「ぶっ……!」
現実世界で鼻血が出そうになり、カイは急いで顔をそむけた。
「え? どうかしました?」
「な、なんでもない。埃が……目に入っただけだ」
(違う! 目に入ったのはユータのえっち可愛い腰!!)
「そっか? 無理しないでくださいね」
そう言って、ふたたび窓を拭くユータ。
(だめだ……俺、もう一生この空間にいたい……)
カイは、「この状況が永遠に続けばいいのに」と本気で思いながら──だいぶ歪んだ恋愛フィルターでユータを見つめ続けていた。
ふとその時、
「……あれ? お腹鳴った……?」
ユータが自分の腹を押さえ、気まずそうに笑うと、カイがふっと視線を向けた。
「食材もないしな。……市場へ行こう」
「えっ、いいの? やった! 一緒に行こう!」
そうして二人は並んで家を出た。
* * *
北の魔王国の市場は、魔族と人間が混ざり合う活気に満ちていた。色とりどりの果実や肉、香草が並ぶ露店には、売り手と買い手の威勢の良い声が飛び交っている。
「おやまあ、カイ様じゃないか! 珍しいねえ、ひとりじゃないなんて」
魚を捌いていた中年の魔族が、笑顔でカイに声をかける。
するとあちこちから次々と──
「カイ様! この前の詩集、続巻が入りましたよ」
「お取り寄せの“月光ウサギのぬいぐるみ”、届きましたわよ♡」
「ちょ、余計なことは言わなくていい……!」
乙女趣味がバラされ、カイの顔がみるみる赤く染まっていく。
ユータは隣で口元を押さえて、肩を震わせていた。
(……可愛すぎる……!)
しかも通りすがりの若者たちからも、
「カイ様、相変わらずクールだな」
「また子どもたちと遊んであげてください!」
などと感謝され、どうやら普段から人知れず善行をしていることが判明。
(なんだよ……冷血な剣士とか言われてたのに、めちゃくちゃ人気者じゃん……)
ユータはこっそり感心しながら、荷物を手分けして持つ。
* * *
家に戻ると、さっそくふたりで台所に立つ。
「この野菜、刻んでいい?」
「火は俺が見る。油を先に……そう、焦がすなよ」
「あれ? カイさん、めっちゃ料理慣れてる……!」
「一人暮らしが長いからな」
並んで包丁を動かしながら、いつしか二人の呼吸はぴったりと合っていた。
ユータがカイと並んで、香草を刻んでいると──
「……あ、誰か来たみたいだ」
扉をノックする音がして、カイが鍋の火を止める。
戸口に立っていたのは、優美な紋章の封蝋で封じられた手紙を持つ使いの者だった。
「ファルメイア家より、カイ様とそのご同伴者・ユータ様へ、晩餐会のご招待状です」
カイの表情がかすかに強張った。
使者が去ったあと、カイが封筒を開き、内容をざっと目で追ったあと、短く呟く。
「……ファルメイア家から、晩餐の招待状だ」
「ファルメイア……?」
ユータが首をかしげた瞬間、カイがぽつりと続けた。
「……俺の許嫁がいる家だ」
その言葉が、空気を凍らせた。
「……え?」
まるで頭に霧がかかったように、ユータの思考が止まる。
「い、許嫁って……フィアンセ……ってこと……?」
思わず口に出た疑問に、カイは少しだけ視線を逸らしながら答える。
「昔、家同士の取り決めがあった。形式的なものだ。俺は……そのつもりはない」
(でも──大事な人、なんだよね……)
ユータは喉の奥が詰まるような感覚に襲われて、声を出せなかった。
言葉にしちゃいけないような、でも聞かずにはいられないような──
そんなもやの中で、ぼんやりと問いが浮かんでは、消えていく。
(フィアンセっとことは……カイさんいずれその人と結婚するの?)
足元がぐらりとするような感覚。
カイはそんなユータの様子に気づいたのか、しかし声のトーンを変えることなく言う。
「……気にするな。これは俺一人で行く。お前は来なくていい」
「……え?」
ユータは反射的に顔を上げた。
カイの横顔は、いつものように冷静で、どこか感情を隠しているようだった。
「いや、でも……招待状に僕の名前もあったし……カイさんの“大事な人”なんだったら、僕も……ちゃんと会っておきたい」
そう言った自分の声が、少し震えていることに気づく。
(逃げたくない。知りたい。カイさんがどんな人を“大事”にしてきたのか──)
そう思ったのは、嫉妬でも敗北感でもなく──
きっと、まだ信じたかったからだ。
「……そうか。お前に任す。晩餐は日没後だ」
それだけ言うと、カイは背を向けて静かに部屋を出ていった。
ユータは、ひとり残された空間で、深く息を吐いた。
(……僕、なにを期待してるんだろう)
それでも、胸の奥に沈んだ感情は、まだ名前を持たないまま、ゆっくりと広がっていた。
──つづく。
家の匂い=好きな人の匂いって、破壊力すごくないですか……?
次回、ついにカイの許嫁が登場!お楽しみに!感想&♥お気に入り、お待ちしてます!




