第22話 本能と涙のキス
──護衛と建築士、異世界の魔王城で交差したふたりの想いは、夜の静寂の中でついに臨界点を迎える。
「守りたい」だけじゃ足りない、止められない衝動と、素直な涙。
抑えきれなくなった感情が溢れ出す今宵、ユータとカイの心はどう重なっていくのか──
トネリコの里の夜空は、どこまでも静かだった。だが、村の片隅でカイ=ヴァレンティアはじっと耳を澄ましていた。エクレオも真剣な表情で、その隣に立つ。
「ティノくんの姿、どこにも見当たりません……」
「探す範囲をもっと広げる。村外れの林も確認する」
カイは迷いなく指示を出しながら、内心はひどく乱れていた。
(ユータ……お前を置いて、子供を探しに行っている場合じゃ……)
その時──ゴーレム・カクが全速力で駆けてきた。
「報告! 設計主任が──連れ去られました!!」
カイの背筋が凍る。
理性の壁が、一気にヒビ割れた。
「……ユータが、さらわれた……?」
(なにやってる……なにやってる俺! 護衛の俺が、目を離して……!)
目の奥がじりじりと熱くなり、膝が震えそうになる。けれどカイは、己の感情を無理やり封じ込め、鋭くエクレオに目配せした。
「エクレオ。村の西、空き家群に妙な足跡が残っている。俺はそっちを追う。お前はゴーレムたちを指揮して、村の外周を固めろ」
「了解〜! 現場は本命に任せて、私はサポートに徹しま〜す!」
「茶化すな! 失敗は許されない」
(ユータ……どこにいる……! 俺が、俺が絶対に助ける……!)
カイは風の精霊の加護をまとい、夜の村を駆け抜けた。
***
……重い。
まぶたの裏に闇が沈殿している。
ユータがゆっくりと目を開けると、そこはほこり臭い木造の小屋だった。手足は軽く縄で縛られている。痛む腕、服には擦り傷が走る。
目の前には、見覚えのない魔族の男たち。
その中の一人が、不愉快そうに顔をしかめていた。
「“共存”だの“復興”だの、聞き飽きたんだよ。お前さえいなきゃ、こんな厄介な計画も……」
「無理だよ」
ユータはきっぱりと答える。
「僕を連れてきたって、みんなの心までは変えられない。誰かを傷つけても、何も生まれない」
「口だけは達者な異世界人め」
男は苛立ち、ユータの頬を軽く叩いた。
体が動かない。魔力はすでに尽きかけている。
──でも、諦めたくなかった。
(大丈夫。きっとカイさんや、みんなが……)
そっと、勇気が湧いてくる。
(僕は絶対に、諦めない)
***
「……エクレオ、北東だ。“シャドウリンク”が反応した」
カイはそっと地面に指を触れた。すると黒い影が波紋のように広がり、闇色の小動物──“使い魔”がすばやく駆け出す。
「それ、何?」
「俺の専用魔術だ。影に溶けて、気配や人の“思念”を探る。──“シャドウリンク”」
カイの視線が一瞬だけ淡く光る。使い魔が森の奥へ消えたと同時に、カイの頭の中にイメージと気配が流れ込む。
「ユータはあの先だ。距離は百メートルもない……!」
カイは音もなく夜の森を駆け出す。
(……絶対に、俺が助ける)
「カイさん、顔が超真剣! やっぱ本命のときは魔術も冴えるんですね~!」
「……うるさい!」
思わず語気を強めるカイ。エクレオは相変わらず陽気にゴーレムたちへ指示を飛ばす。
暗がりの奥、小屋のシルエットが見えてきた──。
カイは全身の魔力を解放し、扉を蹴破る。
「ユータ!」
ユータは床に座り込んだまま、驚いた顔で振り返った。
「カイ……さん……?」
次の瞬間、魔族たちがカイに襲いかかる。
「よくも、ユータに──!」
普段は冷静なはずのカイが、今は獣のような形相で魔族たちを蹴散らしていく。
エクレオもゴーレム軍団も乱入して大乱戦。
「痛いのはノーサンキュー♡ でも推しのためならこのエクレオ、全力よん!」
「や、やめろぉぉ!」
最後のひとりが「共存なんてまやかしだ!」と叫ぶが、エクレオが後頭部にピシャリと一撃。
「──はいはい、おとなしくしてよね。ラブの空気、乱すなって……」
いつもの明るい口調のまま、しかし瞳だけは驚くほど冷静で、鋭い光を帯びている。
その一撃と静かな気迫に、魔族たちは思わず気圧されて言葉を失った。
戦闘は数分で終わった。
カイは縛られたユータのもとに駆け寄ると、無言で縄をほどいた。その手は、普段の冷静な動作とはまるで違い、震えるほど焦っている。
そして──
解放された瞬間、カイはユータに勢いよく抱きついた。
「……本当に、無事でよかった……!」
その声は、完全にいつものクールさを失っていた。カイの腕が、これ以上ないほど強く、ユータの体を抱きしめる。
「か、カイさん……?」
驚きに声を失うユータ。しかし、カイの腕の強さと体温に、心の奥から力が抜けていく。気が緩んだ瞬間、ずっと張り詰めていたものが堰を切ったように、涙が溢れ出した。
「……うっ……うぅっ……」
声を殺して泣き出すユータの背中を、カイは優しく、何度も何度も撫で続ける。
「大丈夫、大丈夫……もう絶対に離さないから」
震える声で、何度もそう繰り返した。
ふたりの間に、しばらく言葉はなかった。ただ、カイの体温と、涙の熱だけが重なり合う。
「カイさん……?」
ユータが、しゃくりあげながら顔を上げる。
「無事でよかった、本当に……っ」
カイは、もう理性もクールさもかなぐり捨てて、ただ必死にユータを抱きしめる。
その腕の強さ、体温、耳元で震える息──
(……こんなに、僕のことを心配してくれてる。……こんなに真剣に……カイさんが、僕のために)
胸の奥が、じんわり熱くなる。
(……本当に、助けてくれたのがカイさんで、よかった……)
どれだけ怖かったか、どれだけ自分が弱かったか──
その全部を、ただこの温もりが溶かしてくれる。
(……やっぱり、僕は……カイさんのことが好きなんだ)
ようやく、自分の本当の気持ちを、心の中ではっきりと“名前”にできた気がした。
ユータの口から、ぽろりと言葉が零れ落ちた。
「……もうダメだって思ったとき、カイさんの顔が浮かんだんです」
涙に濡れた瞳で、まっすぐカイを見つめる。
「カイさん……好きです」
その瞬間、カイの瞳が熱く揺れ、奥底に眠る魔族としての本能が一気に燃え上がる。
もう理性も抑えきれなかった。
ユータの肩をぐっと引き寄せる。カイの息が頬にかかる。
(あ……こんなカイさん、初めて……)
ためらいもなく唇を重ねてきた。
息が詰まるほど激しく、ひたむきで、すべてをぶつけるようなキス。
魔族の本能のままに、ただユータを求めてしまう。
ふたりの体温が重なり、夜の静寂が熱に溶けていく。
──つづく
ふたりの想いが、ようやく真っ直ぐにぶつかり合う夜となりました。
クールなカイの理性がほどける瞬間、ユータの「好き」という言葉が、世界を優しく塗り替えます。
激動の事件と、こぼれた涙と、初めてのキス。その余韻を、次回以降もお楽しみに──!




