第15話 湯けむり乱戦・魔王とカイの攻防戦
ユータに突きつけられた“魔王クラヴィスからのスカウト”。
揺れる魔王城、そして揺れまくる乙女(※男)の心──。
今回は、魔界建築への情熱と、湯けむりの陰で繰り広げられる勘違いコメディをお届けします。
なお、クラヴィス様の知的な誘い文句と、カイの妄想暴走にはくれぐれもご注意ください。
魔王城・謁見の間。
ふたつの玉座の間に置かれた応接席で、クラヴィスが口を開いた。
「……ユータを、我が北の魔王城に招きたい」
その言葉に、一瞬その場の空気が凍った。
「……へっ?」
ユータが間抜けな声を漏らし、ルシアスが眉を跳ね上げる。
「おいおい、クラヴィス。お前、なに言い出すんだ」
「文字通りの意味だ。彼には──魔界建築の資質がある。異世界の視点をもって、構造の原則すら再定義する発想力。……あれを磨けば、我々の建築学は新たな段階へ進める」
静かに、だが確かな熱を帯びた口調で、クラヴィスは言った。
「私は、彼に“魔界建築”の知を継がせたい。……そのための場を、我が城に設けようと思っている」
セリアが驚いた顔で口を開きかけたが、すぐに冷静さを取り戻し、隣を見る。
そして、沈黙していたカイが、目を伏せたままピクリと肩を震わせた。
(だめだ……クラヴィス様の口車に乗せられては……!)
だが、ルシアスはしばし考えたあと、少しだけ口元をゆるめる。
「なるほどな。お前がそこまで言うとは、ユータもなかなかだ。……だが、決めるのは本人だろう」
「……えっ、僕が?」
突然向けられた全員の視線に、ユータは椅子の上で姿勢を正す。
「えっと……ありがとうございます。でも、僕は……ここで、まだやり残したことがあると思っていて。フードコートも改修したばかりですし、魔王城にもまだ課題がたくさんあって……」
少しだけ恥ずかしそうに頭をかく。
「……なので、すみません。今はここで、頑張りたいです」
その言葉に、ルシアスは豪快に笑い、セリアは満足げに頷いた。
カイはその場では無表情だったが、内心でガッツポーズを決めていた。
(よっしゃあああああ!!)
だが──クラヴィスはわずかに微笑しながら、さらりと言い放つ。
「では、しばし延長して滞在させてもらおう。……彼の建築を見るには、まだ情報が足りん」
それは、決して諦めたという顔ではなかった。
(むしろ──狙いを定め直した“狩人”の目だ……!)
カイは内心、頭を抱えた。
***
魔王城・大浴場──
高い天井。重厚なアーチと漆黒の柱。蒸気が立ち昇る広大な空間の中に、クラヴィスとユータの二人きり。
数十分前。
「浴場の仕上がりが気になってな。設計者直々の案内があれば、より楽しめる」
「同行、頼むぞ。君の“手”で作られた空間だ。興味がある」
「え、ぼくですか? ……あ、もちろん。案内します!」
ごく自然な顔で、クラヴィスはユータを“同行”という名目で連れ出した。
──そして、今に至る。
柱の影から、カイ=ヴァレンティアが額に汗しながら様子をうかがっていた。
「……ここの浴場は、悪くない。魔力循環も適切だ」
「設計から施工まで一通り手がけたので、そう言っていただけると、とても嬉しいです」
ユータがにこりと笑い、浴槽の縁に腰を下ろす。
「……で、なぜ僕が一緒に入ることに?」
ユータが浴槽の縁に腰を下ろし、無防備に足を湯へと沈めた。濡れた髪が肩にかかり、湯気のなかで白い肌がほのかに浮かび上がる。
(──異世界人の身体とは、こうも繊細で……しなやかか)
華奢な首筋、滑らかな肩の曲線。その奥に、柔だけではない芯の強さが宿っている。
(……柔らかな造形に、理がある。まるで──美しい建築だ)
クラヴィスの視線が、まるで吸い寄せられるように留まった。
湯気の向こうの輪郭に、ただ──見惚れていた。
「……クラヴィスさん?」
その声に、クラヴィスはわずかに瞬きをし──思わず口をつきそうになった言葉を、喉の奥で押し殺した。
「……美し──いや。設計者としての目線が必要だと思った。それだけだ」
湯の中で肩をすくめながら、あくまで平静を装うように言い添える。
だがその声音には、かすかな乾きと、何かをごまかす気配が滲んでいた。
その頃──
浴場の外、壁の陰。
(おいおい……マジかよ……!)
カイ=ヴァレンティアは、魔力を抑えた潜伏結界の中で頭を抱えていた。
(なにが“付き添い”だよ! おれには任務と報告書が山積みなのに、クラヴィス様はあの男と湯浴み……!?)
(しかも、ユータのやつ、全然警戒していない……!)
(いや、クラヴィス様もまだ“理性の人”だ。あの距離じゃ手は出さない……たぶん)
──が。
「ユータ。背中を流してもらえるか」
(出たああああああああああ!!)
カイの中で警報が鳴る。
だが、湯けむりの向こうでは、ユータが素直に頷いていた。
「いいですよ。ゴシゴシしますね」
(ゴシゴシ!? そんな擬音で軽々しく流されるな!!)
「……ふむ、強すぎないようにな」
「……強すぎたら言ってくださいね。優しくしますから」
(“優しく”って……クラヴィス様の思う壺すぎるだろそれ!!)
壁の向こうでカイの魔力がグラつく。
クラヴィスとユータは、ほのぼのとした空気のまま入浴中だった。
「君の設計は、魔界に風を吹き込んでいる。静かな革命だ」
「そんな大げさな……でも、嬉しいです」
クラヴィスの声は、どこか低く甘くなっていた。
(あかん……このままじゃ、クラヴィス様の魔力が“口説きモード”に入る……!)
浴場の湯けむりの中、クラヴィスはふいに手を伸ばした。
──ユータの、腕。
「……細いな。もっと逞しいと思っていた」
「へ? あ、あの、そうですか?」
ユータが戸惑いながらも微笑む。
クラヴィスは、そのまま顔を近づける。指先はユータの手首を軽くなぞるように触れ──
(なにしてるんだクラヴィス様……!?)
扉の影から様子をうかがっていたカイは、湯けむり越しの光景に思わず目を見開いた。
(いやいやいや……近すぎる! なんで接近戦!? それどう見ても前戯前じゃ──)
「──ひゃっ!!」
ユータの短い悲鳴が響いた。
(やばいっ!!)
次の瞬間、カイの中で“何か”が弾けた。
(もう無理ッ!!)
ズシャアッ!!
壁を跳び越え、蒸気の中にカイが降り立つ。
全裸のまま倒れ込むユータを、同じく裸のクラヴィスが支えている構図──
「一体何をなさっているんですかクラヴィス様ァアアアアアア!!」
怒号のような叫びとともに、背後で炎の精霊がメラリと身を起こす。湯けむりが一気に吹き飛ぶような、熱気の渦。
クラヴィスとユータが同時に振り返る。
「……カイ?」
「えっ……ただ、転んだだけなんですけど……」
沈黙。
クラヴィスは少し困ったように肩をすくめ、ユータをそっと抱き起こした。
「濡れた石床が滑りやすい。支えようとしただけだ。……誤解を招いたのなら謝ろう」
カイはその言葉を聞きながら、わなわなと震える拳を握りしめる。
(ちがうちがうちがう!! 勝手に飛び出しただけじゃんおれぇぇ!!)
(転倒事故とか! 事故でしかないとか!)
(しかも精霊まで連れてきて恥の上塗り!!)
湯気の中、クラヴィスがじっとカイを見つめる。
──そして、ふと、瞳を細めた。
(……なるほど)
クラヴィスの中で、一つの可能性が浮かび上がる。
(あれは、“任務”による行動ではなかった。感情の起伏がありすぎる)
(まさか……カイ、お前……)
──つづく。
カイ=ヴァレンティア、まさかの“突撃”……!
ユータの転倒事故が、恋のバトルの火種になるなんて誰が予想したでしょうか。
そして、クラヴィスがふと見せた鋭い視線。
もしかして──カイの“気持ち”に気づき始めている……?
次回、第16話。
魔王クラヴィス、恋の観察者モードに突入!?
そしてカイ、今度は何を空回るのか。
お楽しみに!




