地下
放り込まれた風呂場から出ると、用意されていたのは温泉によくあるような浴衣だった。
山奥の、しかも地下居住区に連れてこられてまさか浴衣を着る羽目になろうと思わなかったが、これ以外に何もなく、まさかパンツ一枚でうろつくのはさすがに躊躇われたので慣れない浴衣を着てみることにした。
しかし、不格好である。裾が足りないのだ。それに髪の染料も抜け落ちて、サングラスも何処かに持っていかれてしまった。
「どうしたんですか。その格好」
脱衣所の手前にある洗濯機の前でばったり会った静世に開口一番にさっそく言われてしまったのだ。
「銀髪に金の目じゃ、本当に浴衣が似合いませんね」
髪は青みがかった銀色で、目は黄金色なのだ。おまけに血色の悪い顔は浴衣の白地よりも白かったりするので、よけいに似合わない。
わかってはいたが、何となく落ち込んだ横で、静世が持っていたのは見覚えのある黒い衣服だった。
「それは……?」
「貴恵村さんのですよ」
にこやかに応えた静世から引ったくると、確かに自分のものだった。サングラスもあるのかと思えば、出てきたのは煙草とライター、薄い財布とハンカチ、それに何処かの駅前でもらったポケットティッシュだけである。隣で難しい顔で洗剤の分量を眺めている静世から箱を取り上げて、彼女を部屋から追い出した。
「ええ? 困りますよ。お客様にそんなことまでさせたら私が怒られます」
「あとで一緒に怒られてあげるから」
古い考えなら古い考えと笑うがいい。女性に自分の下着まで洗濯させる甲斐性も度胸もない。
数斗は改めて洗剤を入れて時間をセットし直した洗濯機に洗濯物を放り込んでから、スノコの上に座り込んだ。
ここは脱衣所の前の四畳はあるスペースである。ここに洗濯機や乾燥機、洗剤や、入浴剤、タオルなどがまとめておいてある。
「……地下、なんだよな」
思い返せば、不思議な場所なのだ。
神社の本殿が燃えてしまい、これからどうするのだろうと面白半分に見ていると、本殿奧の小さなドアに怪我人などが運ばれていく。やがて鞠に連れられて入ると、ちょっとしたエレベーターである。そして地下三階で降ろされて、そのまま風呂場に放り込まれたのだ。
ふいに、洗濯部屋の戸が開いた。
「アンタねぇ! 静世姉を追い出すなんてどういう了見よ!」
亜麻色の髪をはためかせて怒鳴り込んできた朝香は、巫女装束ではなく、ブーツカットパンツに腹の見え隠れするTシャツを着ている。
だが、数斗が目を丸くする前に、彼女が大声をあげた。
「アンタ、誰よ!」
もっとも単純な質問に、数斗は頭を抱えた。
「何を言ってるの。朝香。貴恵村さんよ」
追い出したはずの静世が天の使いに思えたのは錯覚だろうか。
「ええ? だって、銀髪よ? 金色よ?」
まだ不信げな朝香を無視して、静世はまた馬鹿丁寧に頭をさげる。
「ごめんなさい。貴恵村さん。そんな浴衣しかなくって。ねぇ、朝香。やっぱりメネちゃんのお洋服、借りた方がいいんじゃないかしら」
「メネちゃん……?」
訝しんで尋ねると、静世はさも当然のように応えてくれた。
「ええ。あら? お会いしなかったかしら。今日、あなたをここまで連れてきた運転手の」
あの巨漢か。確かメネッセと呼ばれていた。
「メネッセ! 何度言えばその呼び方やめてくれるの?」
朝香はまた論点をずらされている。
「だって、メネッセさんだと言いにくいんだもの。メネちゃんもメネちゃんで良いって言ってくれたし」
「それはメネッセが居眠りしてたときに聞いたからでしょ!」
会社にも色々あるようだ。
数斗はいい加減、姉妹漫才に飽きて二人に声をかける。
「俺に用があったんじゃないの?」
「あ」
さすがに二人同時にこちらを見遣った。何かあったようだ。
「師範と教授がお待ちかねよ。ついてきて」
朝香が部屋を出ようとする。だが、静世がまた蒸し返した。
「でもね、朝香。貴恵村さんをこの格好でつれていけないわよ。さすがに鞠ちゃんとユンちゃんを笑わせちゃまずいわ」
言外に、数斗の格好はおかしいと酷評しているのだが、静世は真剣である。
「メネちゃんじゃなくても、スーちゃんとかユンちゃんのお洋服を借りてきてあげましょうよ。このままじゃ貴恵村さんがかわいそうよ」
「あのねぇ。静世姉さん……」
朝香のこめかみに青筋が浮いたように見えたのは錯覚ではないだろう。
「メネッセは事後処理だし、スペクストは偵察よ? 教授は今後の計画を立てるのに忙しいし、みんなそんな暇はないの」
「でも、私達は暇よ?」
「暇じゃなぁいっ!」
――そうこうしている内に乾燥まで終わったので、数斗は結局、自分の服で部屋を後にした。
※
地下五階まで更に降りた先に、十人ほどなら楽に座れるようなソファとサイドテーブルが置いてある広間があった。そこに朝香や静世を始めとする昨日今日で知り合った人々が座している。
コーヒーを注いでもらったカップを受け取って、数斗は空いていたソファの一人席に座った。
そのために、否応なく視線を集める羽目になった。妖怪の世界は広いといえども、金色の目に銀色の髪は珍しいのだ。
「ようこそ。貴恵村数斗さん」
そう口火を切ったのは、一番中央に座した少年だった。
金髪の少年はいかにも金持ちの子息のような品のよい子供用のスーツに身を包んでいる。だが、その口調もさることながら、漆黒の瞳は子供では持ち得ない老成した輝きを持っている。更に、落ち着き払った笑みを向けられれば、目の前にいるのが本当に子供かどうかを疑いたくなる。
「私はアキラと申します。普段は、マイスターなどとも呼ばれていますが」
違和感のない動作で手を差し出されて、数斗の方がぎこちなく握手した。
「貴方のことは、常々、グランドマスターからお聞きしていますよ」
そのグランドマスターが誰なのかが気になるところだが、数斗はあえて聞かずにおいた。
どうせ、ろくでもないことが待っている。
この悲観主義という性質は治せるものではないらしい。
「今回は、面倒なことに巻き込まれてしまいましたね。彼の目的は、どうやら貴方であるとか」
「……何だか気持ち悪い言い方は止めて下さい」
数斗は不快感も顕わに顔をしかめる。変態とつむる趣味はない。
「どういう経緯で、貴方の存在を彼が知ることになったかはわかりませんが、微力ながら我々は貴方をお守りしようと思います」
「それは、有り難いのですが……」
「しかし、我々も福祉団体ではありません」
「………はぁ……?」
我ながら気の抜けた返事をかえして、怪しくなってきたアキラの話の行方を探る。
「ですから、報酬代わりにここで一ヶ月働いていただくということで手を打ちませんか」
「は?」
不信感が跳ね上がった。怪訝に顔をしかめるが、営業スマイルで武装したアキラは眉一つ動かさない。
「もちろん。衣食住は保障しましょう。わずかながら給料も。ですから、ここで一ヶ月働いて下さい」
つまり、こういうことである。
守ってやる代わりに、ここで働け、というのだ。
「そんなっ無茶苦茶な…!」
「どうしてです? 世の中は全てギブアンドテイク。持ちつ持たれつで上手く動いているのですよ? 弱肉強食の理論です。さ、ミヤコ。彼をお部屋にご案内しなさい」
「はい。お父様」
どう見ても同じ年頃の少年に向かって狼の少女、ミヤコは素直に頷いた。汚れた黒のワンピースではなく、すでに小綺麗な紫のワンピース姿である。
妖怪は見た目で年齢が判断できないものだが、これだけ外見年齢が近い親子も珍しい。
しかし、それどころではない。
「どういう理屈でそんな交渉が成り立つんですか?」
「『汝、隣人を愛せよ』」
数斗は息を呑んだ。
少年は口の端を上げる。
「『されど、汝に隣人はなし』」
数斗は咄嗟に抗議しようとして、溜飲を下げた。
汝、隣人を愛せよ。
されど汝に隣人はなし。
この言葉を知っている者に、並の理論は通用しない。
何を言っても無駄だ。
「……わかりました」
見放してくれない運命というやつには、たまに熱い灸を据えてやる必要がある。
「働かせていただきましょう?」