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オリジン  作者: ふとん
7/15

境内

 山頂近い山林の奧に、古びた階段がある。石造りの鳥居は高い木々に抗して高く、一抱え以上もある構えである。火を点していたらしい石灯篭はことごとく壊されて、長い階段の脇に残骸が散乱している。

 そう、昔に壊されたわけではない。

この石灯篭に頭を突っ込んで動かない人間も倒れているのだ。

その人間というのも、ただの人ではない。狩衣を着た牛頭の人間である。

鞠とメネッセ、続いて少女は階段を駆け上がっていってしまったが、数斗は階段や石灯篭を一つ一つ確認しながら登っている。

苔むしている階段は見た目とは違い、石切に切り取られたばかりのように直角を保っている。それがすでに百段以上続いているのだ。

ようやく狛犬が見えてきた頃には、大破した本殿が明るい炎に包まれて燃え尽きようとしているところだった。

境内は意外なほど広かった。磨き上げられたような正方形の飛び入りが敷き詰められて、こんな状況でもなければ、神宮のように美しい神社だったのだろう。しかし、今はあちこちに人間や狼などが倒れ、清らかなはずの白砂は血と炎に染められている。

すでに本殿の火を消すことは諦めたのか、その周囲で神官や僧衣姿の人々が茫然と様子を見守っている。

 数斗は桶の突っ込まれた手水場で手を洗い、コートからシワのよったハンカチを取り出した。

「……非常事態ってやつか」

 他人事として、無責任に呟くと、いつのまに聞きつけたのか、昼間会った狼の少女が隣に立っていた。火事に巻き込まれたのか、黒のワンピースや白い顔は煤で汚れて傷だらけである。

「女が来た」

 少女は何の感慨もない声でぽつりと言った。

「女?」

「蛇の女。貴方に会いたがっていた」

「……何の用だって?」

 少女が漆黒の瞳を本殿から数斗に向けた。

「あまり驚かない」

「俺が? あー…そういえば何でだろうな」

 数斗は頭を掻く。こういう時こそ、驚いて狼狽えるべきなのだろうが、そういう要素を持っていないらしい。

 少女は不思議そうに数斗を見ていたが、ふいに興味を無くしたらしく、本殿に視線を戻した。

「自分の主が貴方に会いたいと言っているから迎えにきた、と。でも貴方はまだ来ていなかったから、また迎えに来ると言っていた」

「……また、面倒くさいことを…」

「それが主従というものですわ」

 別の女の声だった。

 聞き覚えはない。

 顧みると、一人の女が境内の中央に立っていた。

 火事に見入っていた人々の視線を集めたのは、黒髪を一つに束ねたスーツ姿の、秘書風の女である。

眼鏡の奧の瞳は、禍々しい朱。

「これが、蛇女?」

 隣で同じように対峙した少女に尋ねると、彼女は無言で頷いた。

「ミスター。お初にお目にかかります。わたくし、モードレッド卿の秘書を務めております、ハネイアと申します。どうぞお見知りおき下さいませ」

 ハネイアと名乗った女は優雅に微笑むと、おもむろに手を差し出した。

「我が主、モードレッド様は貴方様とぜひお会いしたいと申しております。よろしければ、わたくしとお出でいただけませんか」

 流暢な日本語ではあるが、何処か外国語なまりがある。

「悪いが、ここにも無理矢理連れてこられたんでね。これ以上、他人に付き合う理由がない」

 数斗の答えを、ハネイアは聞き分けのない子供を宥めるように溜息混じりに受け止める。

「残念ですわ。手荒なことは嫌いなのですが」

 言葉に反して歌を口ずさむが如く笑うと、差し出した手を、すいと天にかざす。

 すると、彼女の前の空間が鏡を殴りつけた時のように凹んで、空気が収縮した。隙間から泳ぎ出てきたのは、一匹の大蜥蜴だった。炎を照らし出す鱗を翻し、地面に降り立つと太い尻尾を這わせて、大きく口を開いた。

赤い口が見えたのは一瞬。次瞬には、炎が吐き出された。

数斗は隣の少女を抱えて後ろに飛んだ。着地すると、少女を離してハネイアを見遣る。

「痴れ者が。サラマンダーに首輪をつけるなんて。リードごと燃やされるぞ」

 ハネイアはゆったりと微笑んだ。

 サラマンダーは欧州の山奥にいる炎の妖精である。妖精というと聞こえは優しいが、気に入らない物を全て燃やしつくす荒い気性の持ち主だ。

「御するリードがあればよいのですわ」

 声に応じて、サラマンダーは再び火炎を吐き散らした。

 数斗は飛び退く。しかし、その後ろに居た運の悪い人間がまともに火炎を浴びて吹き飛ばされた。

「ちょっと! アンタのせいでとばっちり食うじゃない!」

 叫んできたのは、日本刀の少女か。

「……無茶言うな」

 呻くと、ハネイアが困り顔で細い指を頬に当てる。

「お友達もああ仰っていることですし、大人しくついてきていただけませんか?」

「嫌だね。これ以上、俺の状況を悪化させてたまるか」

 数斗は飛び退いた低い姿勢のまま、顔をしかめた。

「――仕方がありませんわ」

 サラマンダーが大きく口を開けた。明後日の方向に火炎がうねったと思えば、炎は大きく回転して、周囲三十メートルを取り囲んだ。

 否応なく炎の円の中に取り込まれた数斗は、激しい爆炎に煽られる。

 火の粉を嫌って立ち上がると、コートの端が焼け焦げた。

「……しょうがないな」

 左手をハネイアの正面にかざす。

 彼女の首めがけて伸ばした腕をゆっくりと伸縮させると、ハネイアの顔が強ばった。

「あ……」

 ハネイアの吐息が漏れる。肺に溜まった二酸化炭素を辛うじて吐き出したのだ。

 左手の親指は彼女の喉を捉えて、押しつぶす。

「……な、何を……」

 醜く歪んでいくハネイアの表情を無感動に観察しながら、数斗は左手をちょうど、彼女の首と同じほどの形にとどめた。

「つまらないことで粋がるなよ?」

 自分でも驚くほど低い声だった。

「……超能力者(サイキッカー)か……!」

 (テレ)動力(パシー)は確かに数斗の特技の一つではあるが、教えてやる必要はない。

「詮索は寿命を縮めるぜ」

 力を入れようとした神経が頭から冷えた。

 文字通り。

 突然、水が降ってきたのだ。豪雨どころではなく、プールの水をひっくり返したような洪水である。

 一瞬、息がつまり、目の前が真っ暗になった。

 押し流される形で念動力は断ち切れて、気がつけばずぶ濡れで境内に座り込んでいた。焦げ跡はあるものの、火炎は既に消えている。

 同じ炎の炎の中にいたハネイアも同様で、サラマンダーに至っては失神している。

 半ば茫然としていたが、ハネイアは我に返った途端に数斗を睨みつけて空中へと飛び上がった。そのまま霞のように消え去って、あとには腹を天に向けて仰いでいる大蜥蜴だけが残った。

 だが、大蜥蜴はしばらくすると自然発火し始めた。そして、灰の一欠片まで燃え尽きて消えた。

 それを眺めていた数斗の視線を黒い雨が横切った。何事かと頭に手をやると、髪から黒い水が垂れている。髪を染めていたはずの染料が落ちてしまったらしい。

 コート革靴も中まですっかり洗われて、新品同様に光っている。

 数斗は溜息混じりに辺りを見回した。

「だ、大丈夫ですか?」

 今にも泣きそうな顔で叫んだのは、炎のすぐ向こうにあったらしい手水場で腕を突っ込んでいる女だった。焦げ茶色のおかっぱで、大きめの碧眼の容貌は童顔だ。神社にいる他の人々とは違い、スカートにノースリーブのシャツという軽装である。

 手水場に水を突っ込んでいるところを見ると、先程の洪水はこの女のお陰らしい。

「助かったよ」

 いつの間にか本殿の火も消え失せている。周囲の森は夜の静けさを取り戻しつつあるようだ。

「……そ、そうですかぁ…」

 女は脱力してその場に、半ば泣きながら座り込んだ。

「わ、私、とろくさいから、術の初動作が遅れてしまって。気がついたら皆さん、いらっしゃらないし。それで、とにかく火を消そうと思って呪文を唱えていたんですが…。……そういえば、あなたは?」

 今更、基本的な質問をしてくるあたり、相当慌てていたらしい。

「ただの被害者。アンタは?」

「あ、申し遅れました。私は、S・S・Cのカンミドリ…」

「静世姉! 大丈夫?」

 ご丁寧に頭まで下げていた女に駆け寄ってきたのは、日本刀の少女である。彼女は水を浴びていないらしく、巫女装束は奇麗なものだ。

「あ、朝香? いつ戻ったの? 無事で良かったわ」

「無事で良かった、じゃないわよ! こんな無茶して! あんなの助けたって一文の得にもならないわよ!」

 あんなの、と指をさされた数斗は呆れて溜息をついた。

「それがアンタの姉さんか」

「アンタには関係な…」

「そうなんです。私、朝香の姉の静世です」

 噛み付こうとした少女、朝香をのほほんと押さえつけて、女、静世は改めて頭を下げた。

「ごめんなさい。朝香はとっても良い子なんだけど、とっても気が強いの」

 果たして良い子と気性が荒いことは並列できるのだろうか。

「何で謝るのよ! こんな初対面の訳の分からないヤツに!」

「どうして? 初対面だから悪い人かどうかもわからないのに」

 論点がずれていく。この姉にしてあの妹ありき、である。案の定、朝香は姉の論法に振り回されて唸り声をあげている。

「貴恵村さん。大丈夫?」

 ようやく動き始めた人々の間から、鞠と狼の少女が顔を出した。顔を向けると、少し驚いて目を見開いた。

「とりあえずタオル持ってない?」

 数斗は苦笑して頭を掻いた。




       ※




 仄暗い一室である。

 ベッドの隣にある背の高いランプスタンドのみが薄暗い部屋を影絵のように照らし出している。

 セミダブルのベッドには乱れたシーツが一枚ある。その中で、もみ合うように互いの息をすり減らしている男女がいる。

 女の白い腕が男の背中に絡みつき、男はされるがまま体を弄ぶ。

快楽の悲鳴を上げていた女が狂喜に酔って息を弾ませる。

だが、それは長すぎた。

狂喜の声は恐怖の声になり、女は男の真っ白い髪を細い指で掴み取った。

渾身の力で男の髪や腕を掴んで抵抗するが、女を抱きしめた男は首筋に顔を埋めたまま離れない。

やがて、女の指から力が抜け、白い髪から滑り落ちると、ようやく男は体を離した。

「……死んだか」

 今まで苛烈なまでに抱き寄せていたはずの女を、ゴミでも投げ捨てるようにベッドに放り出す。

 女は、男の脇で目を恐怖に見開いたまま、虚空を眺めて動かない。

 その首筋は二つの牙に穿たれて、白いシーツにどす黒い血が流れ始めていた。

「つまらない女だ。これまで何人の男と寝たのだか」

 男は口の端についた血を無造作に拭った。女を見下ろし、酷薄な笑みを浮かべた男はまだ若い。三十路にも届かないだろう。若々しい容貌は精悍に引き締まり、それでいて気品さえ湛えている。肩を少し過ぎたばかりの白髪は上品さを際だたせていた。しかし、切れ長の瞳は凶兆を促す赤い月のように、深い紅を湛えている。

「そうは思わないか? ハネイア」

 彼等以外、確かに居なかった部屋の片隅に、片膝を床についたスーツ姿の女が恭しく頭を下げている。

「御意に」

「どうかしたのか。ハネイア。いつものように微笑んではくれないのか?」

 ハネイアは頭を下げたままだ。

「ああ、そうか。彼を連れてくることができなかったから、悔やんでいるんだね」

「……申し訳ありません。モードレッド様」

 彼女の声はかすれていた。

 男、モードレッドはゆっくりとベッドから立ち上がる。そして、ハネイアの首筋にそっと触れた。その白い首には薄暗い中でもわかるような真っ赤な手の痕がついている。

「かわいそうに……。私がお前を行かせたばっかりに」

「……モードレッド様」

 ようやくハネイアは顔を上げた。

「まず私がご挨拶に行こう。ついてきてくれるね?」

「はい……!」

 ハネイアは初めて嬉しそうに笑んだ。

「では、まず傷を癒しなさい」

 ハネイアは一礼すると、そんまま壁の中に消え失せた。

 それを見送ってから、モードレッドはベッドに残していた女の死骸に目を遣る。

「恐ろしいね。彼は」

 それきり、ランプスタンドにあった唯一の光源は消えた。

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