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オリジン  作者: ふとん
2/15

路地裏

「……腹が減って目が霞む…」

 数斗はひとりごちて、ディスプレー画面を睨みつけた。

 一日一食の生活をもう三週間も続けているのだ。腹も限界になって当然だ。

 サングラス越しに移り変わる画面はいずれも色よいものではない。

 幾ら条件を打ち込んでも、検索画面に項目は並ばないである。

「…職探しって難しいもんだな…」

 今更ながら溜息混じりに呟いて、顎を手の平に乗せて机に肘をつく。

 先ほど、カウンターで締め出しを食らってしまったのだが、あきらめきれずにこうしてパソコンで検索しているのだ。しかし、一向に画面は項目を表示しない。

 駄目か。

 サングラスの中の目を細めて、黒コートの裾を払うと傍目には颯爽と、内心はうんざりと、席を立った。

「――キエムラカズトさん?」

 自分の名を呼ばれ、ふと振り返る。

 人ごみの中にありながら、その女はまるで舞台の中心にでも居るように堂々と立っていた。

 若い女性たちがこぞって解るような、いかにもブランドものの高そうなパンツスーツを着こなしている。ハイヒールだとはいえ、かなりの長身である。腰までありそうな長い髪は淡い茶色に輝いている。細い首の上の容姿は端正で、普通の男ならば振り返らずにはいられない、魅力的で上等な美人だった。

女は千年の眠りも覚めるような笑みをこちらに向けると、改めて意思の強そうなこげ茶色の瞳を据えた。

「キエムラカズトさんよね?」

「……ええ、まぁ」

 似合わない、と十人中十人から断言される名前を出されて、数斗は顔を歪める。

 いくら美人でも、突然見知らぬ人間に名指しされれば、警戒もする。

 応えて、気がついた。

この女、誰からも見られていない。

これだけ目立つ容姿であれば、注目を浴びないはずはない。しかし、彼女を誰一人として気にする者がいないのだ。

数斗は初めて、女を正面から見据えた。

「――アンタは?」

 女は微苦笑すると、からかうように上品な口元を綻ばせる。

「セト・マリよ」

 聞き覚えのない名前だ。

 胡散臭い人間とは関わらないのが、人生を上手く生きるコツである。

「俺に何の用があるのかは知らないが――」

 即座に踵を返す。

「先に言っておく。俺には関わるな!」

 言い置いて、数斗はその場から駆け出した。

「ちょっ、ちょっと! 何でいきなり逃げるのよ!」

 さすがに慌てた様子で女が追いかけてくるが、既に声は遠い。

 人を掻き分け、職業安定所を出て、このビルのエレベーター横の階段を一息に駆け下りる。そして、表からではなく裏から数斗は飛び出した。そのまま、複雑に入り組んだビル街の隙間を走り出す。

 いつものことだ。

 こうして追われることには慣れている。そして、先手を打つことも。

 幾度となく繰り返してきた経験の賜物だった。欲しくもない経験だが、つちかわれた勘は告げている。

 あの女は危険だ、と。

 良い予想は当たることはないが、悪い予想だけは百発百中である。

真昼だというのに薄暗い路地は空気が淀んでいて、今にも暗がりから何かが飛び出してくる強迫観念が脳裏をよぎる。

 数斗は足を止める。

 強迫観念ではない。

 確信である。

 何かがいる。

 擦り切れた革靴を音もなく引き、ビル裏の暗がりに目を向ける。

 今、来た道を戻れば、あの女が居るだろう。

 だが、ここをただ通り過ぎるには恐ろしく労力がかかる。

 数瞬の逡巡の末、数斗は足を前に踏み出す。甲高く革靴を打ち鳴らし、ふいに歩を速める。

 一足飛びにビルの陰に入り込んで、暗闇に同化する。

 黒の服のせいではない。文字通り同化するのだ。数斗が持っている数少ない特技(・・)のうちの一つだった。

 五感だけを生かして、自分と入れ替わりでビルの陰から飛び出してきた人影を見遣る。

 白いワンピースを着た少女だった。年頃は十二、三歳ほどだろうか。人形のような横顔は微動だにしない。肩までの黒髪をなびかせて、漆黒の瞳で正面の一点を見つめている。

 その少女の前に、一人のバイザーをかけた男が立った。夏だというのに皮のジャケットを羽織っている。見ている者に暑苦しい印象を与えるが、色白の辛気臭い顔には汗一つない。男は、かけていたバイザーを外す。漆黒のオールバックとは対象的に眼が赤い。血走っているのかと思えば、そうではない。瞳が禍々しい暁のような赤色なのだ。

 相対する二人は一言も交わすことをせず、無言のまま身構えた。

 少女が動いた。白い指先が空を掻くと、何と彼女の背中が膨れ上がる。骨の折れるような嫌な音と共にワンピースが背中から裂けた。同時に少女の二の腕は丸太のように膨張し、無表情な顔は鼻から先に突き出す。全身に白銀の毛が噴出して、少女の手は五本指の獣の手になった。

 気がつけば、少女の姿はなく、ワンピースの残骸と抜け落ちた黒髪が二本足で立つ巨大な狼に踏みつけられている。

 狼は二本の前足を地面につけ、改めて正面の赤眼の男を漆黒の瞳で睨み据えた。

 白銀の巨体が伸縮性の富んだ体を引き絞り、男は身構えて眼を細めた。

 同時である。

 狼と男が路面を蹴った。

 爪と牙が煌めいて、交差する。

 白い影が男より先に降り立つと、すぐさま踵を返して、着地したばかりの男の背に向かう。

 男は身を捻るが、方向を変えた狼に体当たりされて、あえなく壁に吹っ飛んだ。

 狼は倒れた男を見下ろして、無情に牙を突き出す。しかし、次瞬にそれは阻止された。

 轟音が降ってきたのである。

 男と狼の間に突き立ったのは、誰が扱えるのかわからない二メートル近い巨剣だった。

誰もの物かと見回せば、剣の上から持ち主と思しき人影が剣の柄先に降り立った。

「いい加減にしな。弱い者イジメは正義の味方が許しちゃくれねぇぜ」

 今時の子供向けヒーローでも言わないような台詞をニヤリと笑って言ってのけたのは、痩身の男だった。派手なシャツとジーパンの夏服にシルバーアクセサリーをこれでもかとつけ、わざわざ染めたような青の短髪は正義の味方というより悪役面である。

 突然現れた闖入者に邪魔されたにも関わらず、狼は痩身の男に標的を変えて牙を剥く。

 派手な男は、足元の剣の柄に手をかける。そのまま右手一本で剣を引き抜いたかと思うと、狼に一歩も踏み出させないまま、その首に刃を突きつけている。

 狼も、鈍色に似た刃を一瞥して、硬直した。

「終わりだ」

 男は剣を振り上げる。

 しかし、何を思ったのか剣を止めた。

「……何やってんだ?」

 男が尋ねたのは、自分の後ろに倒れている男でもなく、目の前の狼でもない。

「……えー…と」

 数斗は顔を引き攣らせて三人を振り返った。

 騒動が片付きそうな合間を狙って、陰から出てきたのである。

 この隙に逃げおおせようと。

 三対の目に凝視されて、数斗は苦笑いする。

 咄嗟に言い訳を考えるが、つじつまのあう理由をこじつけられず、乾いた笑いを漏らした。

「見つけたわよ!」

 聞き覚えのある声が場に響く。

 見遣れば、職安に置いてきたはずの女が息も乱さず立っている。

「その人を捕まえて!」

 有無を言わさず、指を向けられて数斗はやけくそになって叫んだ。

「話を聞くから、待ってくれ!」

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