砂漠
玄関に入ると、被っていた布から砂がこぼれた。
「外はひどい嵐のようでございますな」
時代遅れのランタンを持って現れたのは、やはり古き良き時代に取り残されたような執事の老人だった。
「ああ」
布を剥いで、執事と一緒になって砂を払って腕に担ぐと、彼は少し笑った。
「今度は戦争屋にでも?」
言われて、自分の格好を見直す。
一般的な兵服である。肩にサブマシンガンはないが、腰に拳銃があるのはお慰みというところか。無論、黒に染めた髪に、サングラスはあるのでテロリストにも見えないことはないが。
「自衛隊だよ」
「自衛隊? 若が?」
「食うに困ってね。それにただでイラクに行かせてくれるっていうから」
「日本も災難なことです。お役にたてない方のために幾ら払ったことか」
「まったくだ」
二人して失笑しながら、正面の階段を上る。
この地域の屋敷にしては珍しい造りの家である。イギリスの片田舎にでもありそうな瀟洒な二階建てで、一階には台所と四つの部屋、二階には三つの客間とこの家の主の書斎がある。
半ば砂の下にあるこの家は昼でも暗い。
「元気そうだな。エリアル」
「はい。おかげさまで。旦那様は驚かれるでしょう。家になど一度も寄りつかなかった若が立派な兵士姿でお帰りになられたのですから」
慇懃な言葉だが、何故か皮肉を言われている気分だ。
「おふくろは?」
「奥様はお客様をお迎えに」
「珍しいこともあるもんだ」
奥まった場所にある年季の入った古いドアをノックする。するとくぐもった声が応えた。
「生きてるか、親父」
ドアを開けると、マホガニー製の書斎机に足を乗せている男がいる。
瑞々しい白皙の容貌の男である。名工が彫り込んだような端正な容貌を彩るのは肩より長い銀髪で、その姿はさながら美しいと賛美された何処かの男神のようだ。だが、切れ長の、あらゆる光を呑み込むような漆黒の瞳が華やかな印象を払拭する。
「おお、帰ったか。バカ息子」
正真正銘の実父である。
バカみたいに上等な三揃えのスーツを着て、机に脚を乗せていても、だ。
「相変わらずの阿呆面だな」
「お前も相変わらずの減らず口で嬉しいよ」
近くにあった椅子には本が積み上げてあった。
この書斎、おふくろが称するには、本の巣窟なのだ。
壁面全てに取り付けられた本棚を問わず、革張りのソファ問わず、本が積み上げてある。
椅子の本を押しのけて椅子に腰掛ける。
「相変わらず、いい根性だ。お前かメリアぐらいだよ。俺の書斎に入って、本を押しのけてでも座ろうとするのは。やっぱりお前はメリア似だねぇ。グラール」
逆におふくろや他の兄弟にはお前は父親似だと断言される。
「実は、橋の下から拾ってきた息子だとかいうことはありえないかな」
「ありえない。君は、俺とメリアの大事な息子だよ」
こんなことをにこやかに言うこの男は、息子の目から見ても胡散臭い。どうしてこんな男におふくろは引っかかってしまったのだろうか。
「しかし、どうしたんだ? お前、吸血鬼の王にでもなるつもりで飛び出したんだろ? どうまかり間違って兵士なんかになった? 兵士になったなら将軍ぐらいになってから顔を出せ」
ちなみに自立したときは、公爵になるまで顔を出すなと言われた。
「金がなくなったから自衛隊に入った。で、イラクに来たからついでに顔を出しに来ただけ。何も親父の顔を見に来たってわけじゃない」
「まさかメリアに金の無心? やめておけ。殺されるぞ」
どこまでも冗談に聞こえるが、冗談ではない。おふくろは、恐ろしく素晴らしい剣の才能の持ち主で、下手なことを言おうものなら首が飛ぶ。
「……冗談でも言うな。親父。おふくろの顔を見に来たんだよ。手紙が来たから」
どういうわけか、おふくろは何処へ行っても一年に一度、手紙を寄越すのだ。今年は自衛隊の宿舎に届いたらしく、ちょうどイスラエルに行っていたので、郵送が遅れた。受け取ったのはイラクに設営された自衛隊宿舎だ。
いつもは元気でやっているか、というようなことだけ書いてあるのだが、今年に限って顔を出せとあったのだ。
「どうだ、紛争は」
明日の天気を聞くかの如くの口調だ。
「どうもこうも。兵服着て歩いてるだけで銃弾か勧誘が来る。そっちは」
「増えてるな。面倒くさいから、お前、掃除しといてくれないか」
国が荒れるとグールと吸血鬼が増えるのだ。
「仕事だろ。自分でやれよ」
「いいじゃないか。せっかく、そんな奇麗な顔をやったんだから、いっそのこと大臣にでもなってな…」
「顔で国が動かせるかよ」
「やってみないとわからないぞ。アイドルみたいな人気になって、税率アップも思いのままだ」
「……詐欺じゃねぇか」
くだらない話題に花を咲かせていると、ノックが鳴った。
「旦那様、奥様がお戻りです」
「メリアが? 戻った!」
年甲斐もなく足を乗せていた机から足を下ろし、今まで仕事をしながら息子と会話していたように取り繕う。そして、
「バラすなよ。バラせば、お前のあることないこと言いふらすからな」
悪ガキのような口止めをして山積みにしている未処理の書類に手をつける。
「ただいまもどりました」
悪巧みの時間をきっちりと計算したように声がかかり、優雅に一人の女性が部屋に入ってきた。
娘のように長い髪を垂らした可愛らしい女性である。明るい茶色の髪に、小作りの顔、ぱっちりとした瞳はバラ色のようなクリムゾン。上品に微笑んでいれば、誰の気持ちも和やかにする。若々しいパンツスーツだが、ともすれば十代の少女に見える。
「久しぶりね。グラール」
と、穏やかに微笑んで抱きいてくる仕草はいいのだが、腕が首に巻き付いた。
「帰ってくるならキチンと連絡しなさいと言っているでしょう?」
首に関節技をきめられて、必死で彼女の腕を叩く。
彼女が実母である。
「わかった! わかったから!」
「メリアの勝ちー」
わざとらしく言ったのは親父である。何処までも子供だ。
「あなたも!」
おふくろは親父をきっと睨んだ。
「仕事もせず、ダラダラと息子をいたぶって!」
「いや……いたぶってるのは君の方じゃ……」
「文句でも?」
「いえ……」
ざまぁみろ。
そう思うあたり、自分でも親父の子供だと確認してしまう。
「奥様」
短く執事によびかけられて、おふくろは今まで息子をしめていた腕を外した。
「エリアル、狭いところだけれど、ちょうど良いわ。お通しして」
そういえば、珍しい客を迎えに行っていたのだ。
足を組んだまま、ドア側を見遣る。
まさに、珍客だった。
「ミヤコ……!」
静かに入ってきたのは、日本で別れてきたはずの少女だった。こちらに歩いてきて、おもむろにしがみついてくる。相変わらず表情がない。
その様子を見て取った親父が何やら不審な顔で口元を押さえた。
「な、なんだ? お前、童女趣味に趣向変え? そんな危ない人に?」
「阿呆!」
一喝しておいて、腕にしがみついているミヤコを見遣る。
「どうしたんだ? アキラは?」
「私ならここに」
変わらない金髪の少年が笑みを浮かべて、こちらに一礼し、おふくろと親父に向かって深く頭を下げる。
「マスター。お久しぶりです」
「相変わらず。堅苦しいなぁ。君のウチでもあるだろう」
「そうよ、アキラ」
おふくろがアキラの金髪を撫でると、アキラは少年らしくはにかんで笑みを浮かべた。
「……マスター。私はもう、一女の父なのですが…」
「あら、ごめんなさい。結婚もしないでフラフラしてるのがいるものだから、つい」
あからさまな挑戦をしてくるのがおふくろだ。度胸だけは人一倍ある。
「貴恵村」
幾度となく聞いた名字だ。
だが、かすかな記憶をくすぐる声だった。
「あ、驚いた」
「……朝香?」
名前を呼ぶと少女は珍しく笑った。亜麻色の髪を短く切ったせいなのか、記憶にある仏頂面より大人びて見えた。
どうして彼女が。
質問はより早く口をついた。
「何か悪いものでも食べた?」
途端に、彼女の顔が記憶の通りに不機嫌になった。
「……どういう意味よ」
「いや……笑った顔、見たことなかったから」
朝香の顔がカッと赤くなった。
何か悪いことでも言っただろうか。しかし、彼女は怒鳴ることなく、そのまま押し黙ってしまった。
「バカ」
隣に居たおふくろがコツンと頭を叩いた。
「他に言うことがあるでしょう? 言うことが」
「ああ……」
そういえば。
「どうしてここに?」
「もっと気の利いた言葉はでてこないの!」
おふくろの腕が素早く首を捉える。
「は? そのわけのわかんないことで首をしめないで!」
「私たちは仕事で来たのです」
アキラは助け船を出すつもりなのか、おふくろの凶行を止めようともせず笑んだ。
ようやくおふくろが腕を緩めたので素早く逃げる。
「仕事? 支部を移った?」
「いえ。日本支部です」
「じゃぁ、何で……」
言いかけて、嫌な予感がよぎった。
悪い勘は良く当たるのだ。
助けを求めて視線をさまよわせ、最後に何故か仏頂面の朝香と目があった。
「ねぇ?」
彼女は口をひん曲げたまま、しばらく黙っていたが、あきらめたように言ってくれた。
「アンタを迎えにきたのよ」
運命の神様。
いるなら、とっとと出てきて下さい。
そして、どうか一発殴らせて下さい。
人だけではなく、妖怪の命さえ握っているあなたに八つ当たりと親愛をこめて。
ここまで長く生きてきたことを感謝しますから。
「汝、隣人を愛せよ」
面白がるように笑ったのは親父である。
「されど、汝に隣人はなし」
吸血鬼として、好き勝手なことをしていたときに両親から贈られた言葉だ。
「いい隣人を見つけたじゃないか。生きていて良かっただろう? 愚か者」