バーの賢者たち
「ひどい雨だな」
バー「エイミー&リサ」のマスターは、外を見てポツリとつぶやいた。
外の次はスマホに目を移し天気予報をチェックする。どうやらこの雨は一晩中続くようだ。マスターは、酒瓶の棚の掃除を始めた。どうも、今日はお客が来てくれそうな日ではない。安いウィスキーをちびりちびりとやりながら、酒瓶をいったんカウンターに置き、なにもなくなった棚を拭き取っていく。拭き取ったらまた棚に戻していく。
「すいません、今日はお休みですか?」
ふと気づくと、若い男女が入り口に立っていた。マスターは掃除に夢中で、店に入ったことに気づいていなかった。
「失礼しました。お好きな席へどうぞ」
マスターは二人に声をかけた。二人はカウンターの中央の席に座った。
二人はすでに別の場所で飲んでいるみたいで、ほろ酔いの状態だ。二人ともジュースみたいな軽いカクテルを頼み、仕事の愚痴を並べていた。
マスターは二人を観察する。
愚痴の内容から、二人は会社の同僚であろう。女の方がどうも上司に不満があるみたいだ。男の方が聞き手に回っている。男は穏やかな眼差しで優しい口元が印象的だが、女は鋭い目つきのキリっとした口元と対照的だ。
どうも、仕事関係の付き合い以上ではないみたいだ。同僚以上恋人未満といったところであろうか。
「だから、係長の判断ミスに関してはしょうがないとおもうよ。ミスは誰にもあるからさ。それを変なプライドで認めないから、後始末が面倒になるじゃない」
「そうだよな。変にプライド持つほど、結果残した仕事していないのにな」
「あら、上野君も言うじゃない」
「そりゃ、係長の愚痴なら一つや二つや三つや、とんで百ぐらい、みんなあるでしょう」
「穏やかな顔してそんなこと言うの、本当、上野君最高!」
「松野さん、グラス空っぽだけど、何飲む?」
「もう、気が利くじゃない、同じの」
そう言って、女はトイレのために席を離れた。すると、男がカウンターに千円札を三枚置いてマスターに言った。
「これで、こっそりカクテルの酒を強くつくってもらえますか」
たまにというか、けっこういるのだ。女を酔いつぶすために、コッソリとカクテルの酒を強くしてと要望してくる男。
マスターはそんな男は嫌いだ。女を口説く場所としてバーを利用するのは大いに結構だし協力するが、女を酔いつぶして手駒にするのにバーを利用するのは間違っている。
「悪いけどこの金はいただけない」
マスターはきっぱり断った。男もなかなか引かない。
「いや、店には迷惑かけないので、お願いします」
「いやいや、やり方が男らしくない」
「男らしくないのは、重々、わかっています。でも、何度もチャレンジしようとしてできなくて、今日のチャンスを逃したくない」
「そんなことを何度もチャレンジするんじゃないよ」
「いや、まず自分の気持ちを伝えないと始まらないでしょ。でも、告白するのに勇気が足りなくて」
「あれ、ちょっと待って。告白するのに、どうして酒を強くするの?」
「だから、告白したいけど勇気がたりないから、酒の勢いでやってやろうと」
「なるほど、酒を強くするのは、彼女ではなく君の方」
「……、何か勘違いしていました?」
「すいません。おもいっきり勘違いしていました。確かに男らしくないな。でも、そういうことなら協力しましょう」
女のいない間の取引で、男のカクテルの酒は二倍になった。女はトイレから戻り、ふたたび係長の愚痴で盛り上がっていた。話しながらカクテルはおかわりが続く。おかわりの度に、男はどんどんと酔いが回っていく。男が自分の想いを口から出すつもりだった。しかし、その口から別のものが出そうになっていた。男はトイレと向かっていた。
「マスター、テキーラをストレートでちょうだい」
男がトイレに向かったら、女がすぐ注文した。その前に注文したカクテルが八割残っている。突然の注文に、マスターが躊躇していたら、女が勝手に語りだした。
「既成事実ができればこっちのものでしょ。酔いつぶれたわたしを、とりあえず駅まで送るのに、途中、ホテルがある。そりゃ、ちょっと休もうかの流れになるでしょ。まず、一線を越えるのよ。……、井田ってルックスだけはかわいい女の後輩がいるんだけど、そいつが、今、トイレにいるあいつを誘惑しているの。……、あんなビッチに上野君は渡さない!」
マスターは、なんか怖くなったので、テキーラを差し出した。
結局、男も女も酔いつぶれ、店の中で眠りだした。マスターは店のソファーで眠らせてあげ、閉店の時間に声をかけた。男と女は、目を覚ますと慌ててマスターに謝罪の言葉を述べ、会計を済ませて出て行った。
「まあ、恋には壁があったら燃えるというからな」
マスターは二人が帰ったあと、つぶやいた。




