月明かりの中、背中を押して
夜の帳が下り、ホゥホゥと何処かで梟が鳴いている。
強風に雲が払われ、天頂には煌々と満月が輝きはじめた。
城からユーセイルに追い立てられるように帰宅させられた日中から、ひたすらにペンを走らせていたクリスティアナは、不意に月光に照らされて思わず顔を上げて窓の外へ視線を向けた。
「…ミーナ…」
頭に浮かぶのは、メッセージを送ってきた親友の事。
どうか、もう少し耐えて。
私に出来る事は、何でもする。
気持ちを引き締め直し、再び書類に没頭し始めた。
ーーー コンコン ーーー
ノックの音に応じると、夜番のメイドが来客を告げた。
「ニドリアス様が面会を求めていらっしゃいます」
従兄とはいえ、夜会以外での夜の訪問は余程の事がなければ控えるのが貴族のマナーだ。
いや、相手が年頃の婦女子ならば身分を問わず、避けるべき事だろう。
現にメイドも訝しむ表情を隠しきれていない。
…だが、クリスティアナは、会うべきだろうと直感した。
「分かりました。 応接室へお通しして。 それと、ラディアンにも来るように言って頂戴」
令嬢として、執事のラディアンを同席させる事で体面を保ち、会う事にした。
*****
「こんな時間に、どうしたの? ニド兄さん」
メイドと執事を伴い応接室に入ると、窓辺から月を眺める美丈夫に挨拶抜きで話しかける。
非常識な時間帯に来た従兄には、そのくらい許されるだろうとの少しの甘えと、現在の苛立った心の余裕の無さから。
月明かりが照らす腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪が、ゆっくりと振り返る。
「どうしたじゃないだろう? 殿下から聞いた」
「…っ!…」
焦りと不安が隠せず、思わず目を逸らして俯く。
「それから、陛下からは、これをクリスに渡すようにと命じられた」
そう言いながらニドリアスは懐から正式な城からの形式の書状を取り出した。
クリスは小さく震えるのを抑えきれない両手で、それを受け取る。
「…王命…」
ユーセイルの予測をも大幅に超えている。
つまり常識で考えれば、あり得ない早さの発令である。
バンロードは相当な無理を押したのだろう。
王命書の重みの上に国王の気遣いを更に感じて、身を固くする。
《クリスティアナ・テミス・エイベルに 、パレイスへ赴き、聖女エルミーナ・エトアリアへ協力する事を命ずる》
王命とあらば、否やはあり得ない。
聖女の活動に万が一でも支障が出て困るのは、パレイスだけでは無い。
大陸全体に影響が出ることは必至だ。
「明日、拝謁したら使者の意見を一応は聞くが、彼も可能な限り早くに帰国するよう命じられているだろうし、
まず間違いなく一緒に出立する形になるだろうとの事だ。
隊内の引き継ぎは気にすんな。持ち帰ってる書類も俺に寄越せ。
セイルの機嫌も何とかしとくさ」
おどけた口調で、クリスの頭をポンポンと軽く叩くように撫でるその瞳は、優しさの色を湛えていた。
「…兄さん……ありがとう」
「この頼りになる従兄に任せとけ」
滲む涙を抑えきれないクリスに、ニドは軽くウインクして笑った。
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