国王陛下は近衛に告げる
「何故、エイベル公爵令嬢を?」
国王は信書を確認すると、使者へ問う。
内容を公表された、その場の者達全員の思いでもあった。
当のクリスは、思わず大口を開けて『…は?!』と言いそうになったが、そこは高位貴族としての矜持で、必死に何とか平静な態度を保っていた。
「我が国の聖女、エルミーナ・エトアリアの依頼なのです」
使者の口から出た名前は、クリスにとっては既知の、懐かしいものだった。
(ミーナ…?)
お互いまだ淑女教育が始まるかどうかの幼い頃、避暑地として名高い別荘地での思い出。
金茶色に輝く、長く美しいフワフワの巻き毛と、穏やかな微笑みが印象的な優しい鳶色の瞳の少女。
最初の出会いは5歳だった。
湖畔の休憩所を兼ねた貴族用コテージレストランのテラスで、パン屑など求めて飛来した小鳥に、初対面にもかかわらず二人ではしゃいだものだった。
お互いの親同士も気が合ったのと、両国間の利害関係にも問題が無かった事もあり、子供達が貴族学校を卒業する12歳までの長期休暇のリゾートでは顔を合わせるようになり、親交を深めたのだ。
その後はエルミーナに神聖力が確認されて聖女の修養が始まり、同時期にクリスティアナはエイベルの一員として騎士学校へと進み、お互いの道の修行の為、会う事も無くなっていた。
(ミーナの身に何かあったのか…?)
聡明で責任感のあるミーナが、今、あえて自分を呼んでいるのか。
聖女となって人々に癒やしと希望を与えていると聞いていた親友が、何故。
クリスも王太子の近衛になって、自由に国外に出られないと知っている筈。
余程の理由があるのだろうと推察し、身を固くする。
「…聖女エルミーナが、エイベル公爵令嬢にこれを渡すように、と」
使者が恭しく取り出した物を、ビロード張りの献上台へ置く。
警護騎士が検分し改めた後、王族と背後のクリスへと運ばれた。
上等な布で出来た小さな袋と、半球状のピンク色の魔石。
「これは…クリス嬢、何か知っているか?」
陛下が困惑気味にクリスに尋ねる。
動揺からか、私的な呼び名で。
「はい。 幼き頃、聖女エルミーナと分けた魔石です。 石自体は微弱な魔力しか無かったのですが、色が美しく、お互い子供心に惹かれて…友情の証に、何かあれば再び一つにして、力を合わせよう、と約束したのです」
そう言って、自らの懐から同様の小袋を取り出して見せた。
子供にありがちな、”小さなお守り”。
少女の大切な思い出は、力を与えてくれるような気がして、辛い訓練の日々にも、そして厳しい任務に就いた今も、肌身離さず持ち続けていた。
おそらく、ミーナも。
「そうか…」
「聖女エルミーナは、信書が真に自らのメッセージである証にと、使者殿へこれも添えて託したのだと思います」
クリスは苦渋の表情を隠して淡々と陛下に奏上した。
「それだけでは無いだろう」
それまで沈黙していたユーセイルが口を開いた。
「この石には2人にとっての意味があるのだろう?」
振り返ってクリスを見つめる碧い瞳には、真実を求め、クリスを守ろうとする強い意思光が宿っている。
セイルが滅多に外に出さない、抗い難い、絶対的為政者のオーラ。
「…はい。 おそらく友として『助けて』と…」
下唇を噛み、俯く。
お互いに立場が出来ている今、おいそれと軽々には動けないと分かっている。
だが、何もかもを取り払って純粋な心が叫んでいるのだ。
『助けて…クリス』
ああ、何があった?! 私に何が出来る??
クリスティアナは騒めく心を抑えつけ、平静にならなければと姿勢を正す。
「用件は理解した。 返答は明日出すゆえ、使者殿は本日は来賓室にて待って頂こう」
国王陛下が厳かに告げ、パレイスの使者は「はっ」と恭しく礼をして辞去した。
*****
「さて、クリス嬢。 そなたはどうしたい?」
陛下から声をかけられて、ハッと顔をあげる。
「…陛下の、御心のままに」
臣下として、そう答えるしか無い。
「そうじゃないだろ、お前らしくもない。 バンロードおじさんに遠慮すんなよ」
ユーセイルが敢えて軽い調子で明るい声の茶々を入れた。
「なっ…バっ……陛下になんてk… 「そうじゃぞ、クリス嬢。バンおじさんは案外、結構色々出来るんじゃぞ?」」
不敬に問われかねない幼少期のみ許されていた国王の呼び名を、敢えて使う国王と王太子。
仰ぎ見た二人の瞳には、クリスを慮る光があった。
「クリスの望みは?」
子供の頃のように問われ、かろうじて耐えていた心が震えて本音を漏らす。
「パレイスに、行って、確かめたいです。 出来るならば、エルミーナを、助けたい、です…」
王族付きの近衛が国外へ行くのは簡単では無い。
分かっているけれど。
心は今すぐ駆け出して、親友を抱きしめたかった。
「あい分かった。 一旦王太子と共に下がっておれ」
国王陛下の厳かな声で、謁見の間を辞去するしかない自分が歯痒く、沈痛な面持ちで騎士の礼をした。
*****
「あーもう、ホント糞真面目だな。流石ニドの従妹!」
王太子の部屋に戻り、フーッ!と盛大に溜息を吐きつつユーセイルが声をかけた。
「…殿下。 陛下になんて事言うんですか」
「良いじゃん、使者殿は出てって俺らしか居なかったんだし?」
「そういう問題ではありません!節度と言うものが」
「かてーよ!お前らしいけども!!」
いつもは軽い調子のセイル殿下が、珍しく厳しい声で言う。
「クリスお前、今自分の顔見ろ!ひでーもんだぞ!そんなんで王太子の近衛が務まんのかよ!!」
「やります!!」
「すんな!!!」
思わぬ乱暴な言葉に、ぐ、と詰まってしまったクリスに、一転柔らかい声でセイルは言う。
「近衛はお前1人じゃない。他のやつに任せて良い時もある」
…何なんだ。本来の優秀王太子オーラ出すなよ。
クリスは思わず涙が出そうになって、息を殺して俯く。
「まぁ陛下の事だ、明日にはクリスのパレイス行きを命ずるだろうから、準備しとけよ。 多分3日後あたり出立だろ」
「えええ…まさかそんな早くの出立は…」
「オヤジ殿なら、そう言うだろうよ」
確かにそうだ。
国王は、形式よりも実を重視する。 賢王の誉れも高く、決断も迅速だ。
同じく聡明な(普段の言動からは感じづらいが…)息子である王太子の見立てに従っても間違いは無いだろう。
クリスは、はやる気持ちを抑えて、近衛の引き継ぎ等、己れがまず何をすべきかを頭の中で整理しはじめた。
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