頭の痛いことが多い
ザガリーの商会に顔を出せば、すぐさま応接室へと通された。
「奥様、お久しぶりでございます」
応接室に現れたのは、ザガリーよりも十歳ほど年上の男性だ。ゴードリーは忙しく外を飛び回っているザガリーの代わりに、この王都の店を切り盛りしている副商会長で、結婚式の後の食事会の時に真っ先にお祝いを述べてくれた人である。
カロラインは好意的な彼の態度に、ほっと笑顔を見せた。いくらザガリーがいつでも来てもいいと言っていても、従業員にとってはいいこととは限らない。そんな心配から少しだけ緊張をしていた。
「こんにちは。突然来てしまったけど大丈夫だったかしら?」
「もちろん、いつでも歓迎しますよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽だわ」
勧められるまま長椅子に腰を下ろした。ゴードリーは部屋の隅に控えていた従業員にお茶を用意するようにと指示を出す。それから座っているカロラインへと顔を向けた。
「今、ザガリーを呼んできますので、少々お待ちください」
「予定が入っているようなら、そちらを優先してちょうだい」
「今日は書類仕事をしているはずですから問題ありません。それに」
彼はちょっと含み笑いをした。意味が分からず、首を傾げる。
「ザガリーにとって奥様が一番優先順位が高いようですので」
「どういうこと?」
「そのままです。休憩に入ればいつだって奥様のお話をされていますよ。最近は日に日にお綺麗になるから、外に出したくないと唸っています」
ザガリーの戯言を実際聞いているカロラインはその様子が手に取るようにしてわかる。ザガリーは初対面の時こそあまり感情を出さない人なのだろうかと思ったぐらいだが、実際に結婚してみればカロラインを褒めたたえる言葉をとても自然に吐き出してくる。今まで男性との付き合いがないカロラインは嬉しさと恥ずかしさで落ち着かない気分になっていた。
それを屋敷だけではなく、職場でも垂れ流しているとは。
聞かなければよかったと、カロラインは恥ずかしさに顔を真っ赤にして俯いた。
「では、少し失礼します」
初々しい反応を見せるカロラインを微笑ましい様子で見つめてから、ゴードリーは部屋を後にした。入れ替わりのようにして、女性従業員がカートを押してお茶と茶菓子を運んできた。
「どうぞ」
「ありがとう。とても爽やかでいい匂いだわ」
辺りにふわりと漂う香りにカロラインの落ち着かない気持ちがなだめられる。お茶を淹れた彼女は嬉しそうに笑った。
「とても良い香りですよね。今回初めて仕入れたものでして」
「まあ、そうなの? 果実……ではないわね。お花を使っているのかしら?」
「この国では咲かない花を使っています」
カロラインの何気ない問いかけに、彼女は興奮気味に説明を始める。とても生き生きとしていて楽しそうだ。この仕事が本当に好きなのだろう。
カロラインもお茶については貴族として常識の範囲しか知らないが、彼女の説明はとても上手だ。思わず引き込まれてしまい、色々と話し込む。
「アン、お茶の話はそこまでだ」
低い声が割り込んで、カロラインはようやくこの部屋の入口にザガリーが立っていることに気が付いた。ザガリーは二人の様子を呆れたような顔で見ていた。
「きゃあ、商会長! 一体いつから……」
アンはザガリーを確認して、顔色を悪くした。カロラインはそんな彼女を安心させるように微笑む。
「とてもためになったわ。ありがとう」
「え、あ、はい! お役に立てたのなら光栄です!」
アンは早口に言うと、ザガリーの視線を避ける様にして慌てて部屋から出ていった。そんな彼女をザガリーは渋い顔で見送った。
「なんて落ち着きのない」
「あまり怒らないで上げてね。聞いていて楽しかったわ」
「それならいいが」
ザガリーはアンと入れ替わりに、カロラインに近づいた。座っているカロラインに覆いかぶさるように体をかがめ、彼の大きな手がカロラインの頬に添えられる。
「ザガリー?」
「浮かない顔をしている。何かあった?」
そう問われて、思い出したのが先ほどのエリーとのやり取りだ。言っていいものかどうか、少し迷う。
「何でも言ってほしい」
カロラインの躊躇いを感じ取ったのか、優しく促してくる。カロラインは小さく息を吐いた。
「宝石商からここに来る間にエリーさんに会ったわ」
「エリーに?」
「ええ。たまたま見かけて声をかけてきたようだったけど……」
ザガリーはエリーの名前を聞いて嫌そうな顔になる。こんな態度を見ていれば、エリーの発言は都合のいい彼女の妄想だと信じることができる。
「大方、別れてほしいとか、自分の方が愛されているとかそんなことを言ってきたんだろう」
「まあ、よくわかっているのね。そのとおりよ」
「色々なところで言いふらしているからな」
ザガリーはよほど嫌なのか、嫌悪感を滲ませた。宥めるようにカロラインはザガリーの手に自分のを重ねる。
「言いふらしているのなら……みんな信じてしまうのではないの?」
「それはない。エリーが昔から纏わりついていて、相手にされていないこともセットになって噂されている」
それもまた不名誉な噂だ、とカロラインはほんの少しだけ同情した。
「同情はいらない。あれは人の話を聞かないだけだし、そういう話をして実らない恋をしている自分に酔っているだけだ」
「それなら、わたしは何も言うことはないわね」
「嫉妬してくれたのか」
「……言わない」
ザガリーはカロラインの唇に軽くキスをしてから、体を起こした。脈略もなくキスをされて、カロラインはさっと頬を染めた。
ザガリーは一緒にいれば必ずと言っていいほど自然にキスをしてくる。そのことはとても嬉しいが、こうして外でも家にいる時のような態度を取られるとやはり恥ずかしくなってしまう。
「宝石商の方はどうだった?」
「快く引き受けてくださったわ」
「そうか。連絡をもらったら商会に声をかけてくれ。後の処理はこちらで行うから」
ザガリーはカロラインの報告を受けて、もう関わらなくていいと笑う。カロラインはほんの少しだけ目を曇らせた。
「本当にすべてザガリーに頼り切っているわね」
「今回の件についてはそれでいい。高価な宝石を売りさばくのは本当に大変なんだ。ガラの悪い連中も出てくるかもしれない」
すごく心配なんだ、と真剣な顔でそう囁かれて、カロラインは不思議そうに彼を見つめた。ザガリーは商会の販路を広げるためにカロラインと結婚をしたはずだ。お互いの利益ありきと言えども、友好な態度はとてもありがたいもの。だがこうしたザガリーの行動や言動は時に熱を孕み、カロラインは意味が分からなくなる。
こくりとつばを飲み込むと、思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、どうしてそこまで――」
ザガリーに聞こうとしたときに、扉がノックされた。ザガリーはまた後で、と一言断ってから扉を開けにいく。
扉を開けると、厳しい顔をしたゴードリーがいた。
「どうした?」
「奥様にお客様がいらしています」
「わたしに?」
商会にまで押しかけてくる知り合いなどいただろうか、と腰を浮かせば、騒々しい音が聞こえてきた。
「カロライン、でていらっしゃい! ここにいることはわかっているのよ!」
ジェイデンの後妻が怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り込んできた。