首飾りの行方
カロラインは執務机の上に読み終わった手紙を置いた。
エイブリーから上手に国王へ報告が上がったのか、クレイ子爵家の事情は知っているから首飾りの件は無理をしなくてもいいという国王からの直筆の手紙だった。
カロラインはこの時まで知らなかったが、カロラインの母ガートルードは国王と幼馴染だったそうで、女当主になると聞いて特別にあつらえた首飾りを与えたそうだ。あの父親と結婚しなくてはいけない事情など、何か含みがありそうだ。
こちらを気遣う手紙を読んでしまえば、きちんと身に着けて謁見したい気持ちも出てくる。
とはいえ、宝石は手元にないのだから頭が痛い。きちんと取り戻せるのか、考えるだけで気持ちは沈む。
「お父さまは本当にあの宝石のことを知らなかったのかしら?」
「お二人の交流は最小限でしたし、先代のガートルード様もカロライン様に直接説明しようとお考えだったのかもしれません。そのため、ジェイデン様はご存じなかったのだと」
ジェイデンが見ただけでは宝石の価値は分からないだろうと、遠回しに言われて苦笑する。
十分にあり得る。自身の父であったが、恥ずかしいほど教養が足りない。本人は特別な人間だと思っている節があるが、優れたところなど何一つない。彼の後妻に関して言えば、元はごく普通の平民だ。虚栄心の塊で、後妻となった時にあれもこれもと母のものを持っていった。
「こんなことになるのなら、宝石を持ち出すのを容認しなければよかったわ」
母親が死んで、茫然としていたことを覚えている。当主教育をしていたといえども、力などない十四歳の少女だった。今まで接点のなかった父親が母親が亡くなったとたんに、屋敷に現れるようになった。父親だと知っていても見知らぬ男と変わりなく。母親のものを持ち出す父親に抵抗したら殴られた。受けた暴力が恐ろしくて、母の部屋が漁られるのを茫然と見ていた。
思い出が沢山ある母の部屋を価値など分からぬ父親に踏みにじられ、沢山の貴重品が持ち出される。その様子はまるで盗賊に入られたかのような荒れ方だった。
もしも。
もっとあの時にああしていたら。
今さらどうしようもない後悔であっても、思わずにはいられない。
「過去を振り返っても仕方がありません。私どもも力が及ばず、ジェイデン様の行いをお止めすることができませんでした」
執事長が柔らかな声音で落ち込むカロラインを宥める。カロラインは隅に控える彼を見上げた。
「それもあるけど……わたしは今だって子爵位を継いでも何もできないから」
ため息交じりに零せば、執事長が微笑んだ。
「これからでございますよ」
「そうね、嘆いているばかりでは仕方がないわね」
わかっているからこそ、言葉にしてしまう自分の弱さが厭わしい。
ぐるぐると回り始めた負の感情にカロラインはどうしようもない気持ちになっていった。
「それにしてもどうしてお母さまはお父さまと結婚したのかしら」
カロライン自身、父親とのかかわりは希薄だ。それでも魅力的だと思えるところなど少しも見当たらず、今さらのような疑問ばかりが湧いてくる。
カロラインの母親は侯爵家の次女で、望めばもっといい相手と結婚できたはず。それなのにあの父親と結婚した。父親はカロラインが生まれても愛人を外に囲い、母親はいつも蔑ろにされていた。救いは愛人に子供ができなかったことだろう。
政略結婚ならばそれも仕方がないと思えるが、条件の悪いジェイデンとの結婚が政略結婚とはどうしても思えない。貴族の庶子であるジェイデンには魅力に思えるものは一つもなかった。
唯一あり得そうな理由としては心通じてというものだが、二人の様子を傍で見ていた幼いカロラインですら仲が悪いと思うほどの関係性だ。ジェイデンはそれほどに亡くなった妻を粗雑に扱っていたし、ガートルードは夫に一切構わなかった。
「ガートルード様がこちらにやってきたときにはすでにご結婚されていたので、どのようなことがお二人の間にあったかはわかりません。ですが、何かしらの利害があったのでしょう」
「愛があったとは言わないのね」
執事長の素直な言葉に笑ってしまった。カロラインは首を軽く振ると、気持ちを切り替える。カロラインはザガリーから渡されたメモを取り出した。
「ザガリーがいくつか宝石商に連絡を取ってくれているわ。そこで少し話してみるつもりよ」
「ザガリー様と一緒に行かないのですか?」
「護衛を連れていくから大丈夫よ。それにわたしに知らせてくれたのはしっかりとした宝石商だけのようだから」
カロラインは並んでいる宝石商の名前を見て苦笑した。王都にはいくつか宝石商があり、ここに書きつけられているものは信用度の高いものばかり。子爵家の家宝ともいえる宝石を信用度の高い店で売ることはとても難しい。すぐに出所がわかってしまうからだ。
だが、お金に困った貴族たちが換金する場所はピンからキリまであって、ジェイデンのように密かに金を手に入れたい人間は信用度の低いところで売ることが多い。ジェイデンがしっかりと自分のしたことを話してくれていればもう少し絞れたろうが、エイブリーが言うには知らないの一点張りらしい。
「本当にエイブリー兄さまもザガリーも過保護なんだから」
きっとカロラインでは手に負えない相手は二人が対応している。
「すべてをカロライン様が行う必要はありませんから。適材適所でございます」
「そうね、感謝しているわ」
カロラインはやるせない思いを心の底に沈めると、笑みを浮かべた。
◆
カロラインは侍女と護衛を連れて、王都にある宝石商に一軒一軒回った。探している首飾りを付けた母の肖像画を持って、事情を説明した。ザガリーが調べた宝石商はどこも一流の対応で、持ち込まれた場合の対応を快く引き受けてくれる。
最後の宝石商の店を出た後、カロラインはため息を漏らした。できれば今日見つかってほしかったが、そううまくはいかない。
「ザガリー様の商会が少し歩いた場所にありますが、お寄りになりますか?」
護衛が気を利かせて、そんなことを聞いてくる。カロラインは結婚後、一度だけ顔を出したことがあるがそれきりだ。時間がなくてなかなか顔を出せていなかった。
「先触れもなくお邪魔しても大丈夫かしら?」
「ええ。ザガリー様にはいつでも寄るよう、言付けられています」
「それなら……」
夜になればザガリーは屋敷に帰ってくるから、今すぐ会う必要もない。だが、カロラインはザガリーの顔を見たかった。宝石のことを考えすぎて、気持ちが弱くなっている。
護衛に案内されながら、王都の街中を歩く。貴族向けの店が立ち並ぶ大通りは華やかで、少し前までカロラインには縁のない場所だった。小さなところから、ザガリーと結婚してから生活が一変したことを実感する。
「ちょっと!」
物思いにふけながら歩いていれば、突然、乱暴な声を掛けられた。驚いて足を止めれば、護衛と侍女が彼女を守るためにさっと動く。護衛は剣を抜いていないが、素人でもわかるほど殺気を飛ばした。
「待って」
声をかけてきた女性を見て、カロラインは護衛を止めた。護衛は少しだけ態度を緩めるが、警戒は解かない。
「貴女……確か、エリーさんだったわね」
ザガリーに遠慮なく抱き着いてきた女性だ。忘れるわけがない。カロラインは胃の中をせりあがってくる塊を飲み込みながら、笑みを浮かべた。
「何か御用かしら?」
「ザガリーと別れてほしいの!」
言葉を飾ることなく、単刀直入に言われて面食らう。あまりにもストレートすぎる物言いに、カロラインは言葉に詰まった。
「別れてほしいと言われても……どうして貴女に指図を受けないといけないの?」
「だって、ザガリーは一度言い出したら意見を曲げないし。貴女から別れてくれたらきっと――」
ため息が出た。
「意味が分からないわ。お話がそれだけなら、失礼するわね」
カロラインはこれ以上話を聞くつもりはなかった。もしザガリーが彼女と結ばれたいと思っていたのなら、カロラインとそもそも結婚などするはずがない。
「逃げるの?!」
エリーが前に回り込んできてカロラインの足を止める。カロラインは困ったように首をわずかに傾げた。
「貴女と貴女のお兄さまとのお付き合いはザガリーが決めることよ。わたしに訴えるのはお門違いだわ」
「あなたがいるからザガリーは」
「そもそも。この結婚を申し込んできたのはザガリーよ」
「え、うそ」
エリーは驚いたように目を見開いた。どうやらカロラインが貴族の力で無理やり結婚したと思っていたようだ。
「さあ、これ以上話すことはないわ。まだ言いがかりをつけるのならそれ相応の対応をすることになるけれどもいいかしら?」
「なんですって?」
「わたし、子爵なのよ。これほど無礼な態度を取られたのは初めてだわ」
エリーは初めて顔色を悪くした。どうやらカロラインが貴族であることを思い出してくれたようだ。カロラインは言葉をなくした彼女を残して、再び歩き始めた。