簡単な結婚式だけど
飾り気のない教会の一室に入れば、ザガリーは教会の立会人である司祭とすでに待っていた。カロラインはエイブリーにエスコートされて彼の方へと歩いていく。
「それでは結婚の手続きに入ります」
司祭はにこやかな表情で並んで立ったザガリーとカロラインの前に書類を差し出した。司教は二人が書類の内容を確認している間に、夫婦になるにあたっての説法を聞かせる。それを流し聞きながら、二人はサインをした。
「それでは祝福を」
司祭はサインを確認してから、祝福の文言を唱える。
カロラインは神妙な顔でその祝福を聞きながら、不思議な気持ちだった。莫大な借金があることと、父と後妻との折り合いの悪さから、これほど穏やかな気持ちで結婚できるとは思っていなかった。たった一か月で、カロラインの生活はがらりと変わった。
ちらりと隣に立つザガリーを盗み見る。
彼は身分を持たない平民であったが、非常に洗練された容姿をしている。上質な布で作られた洒落た衣服だけではなく、その振る舞いも堂々としていた。貴族のような傲慢さはなく、人の顔色をうかがうような卑屈さもなく。どこか不思議な雰囲気の人だと改めて思う。
「これで二人は夫婦となりました。どうかお幸せに」
「ありがとうございます。これから二人で歩んでいきます」
司祭を見送ると、エイブリーがにこやかに祝福した。
「おめでとう。これで二人は夫婦になった。忙しくてなかなかお互いを理解することが難しかったかもしれないが、これからゆっくりと絆を深めてほしい」
「エイブリー兄さま、本当にありがとう。何もかもやってもらってしまって」
カロラインは改めてお礼を述べた。エイブリーはニヤリと笑う。
「これからが大変だぞ。叔父上たちは黙っていないだろうからな」
「そうでしょうね。間違いなく、ザガリーが平民であることをあげつらうでしょうね」
「それだけじゃない。無様な結婚をしたと罵って、最後に金をよこせとせびるだろう」
想像できてカロラインはため息をついた。ザガリーはわずかに眉を寄せる。
「最後まで挨拶に行かなかったが……それほどひどいのか?」
「ひどいなんてもんじゃないさ。そもそもクレイ子爵家は叔母の爵位だ。正当な持ち主はカロラインだというのに、あの二人はカロラインを差し置いて、好き放題やってきた」
正当な持ち主、と言われてよくわからなかったようだ。ザガリーはますます眉間のしわを深めた。
「あ、言っていなかったか。カロラインはクレイ子爵家にとって唯一の子供だから跡取りだと思われているが、それだけじゃないんだ。子爵家の爵位は叔母が与えられたものなんだ」
「ああ、なるほど」
「母はもう亡くなっていて、わたしが成人するまでの代理で父が子爵になっています。クレイ子爵夫人を名乗っているのは後妻です」
「この辺りの事情は貴族でも知らない人が多い。ザガリーが知らなくても仕方がない」
それでも事前に知らせることはできたのではないかと思ったが、カロラインは黙っていた。エイブリーとザガリーの間でどんなやり取りがあって、ザガリーがカロラインの婿として相応しいと判断されたのかは知らない。カロラインはそのあたりの事情を自分から聞き出すつもりはなかった。
「エイブリー兄さま、わたしがすぐに爵位を受け継ぐことは本当に可能なのですか?」
「問題ない。君の父上は君が結婚するか、もしくは成人するまでの代理だ。数日のうちに滞りなく手続きも終わるだろう」
カロラインはいい答えをもらえてほっと息をつく。ザガリーが安心させるようにカロラインの背中を撫でた。
「もし君の父親が困ったことを言ってくるようであれば、俺が対応しよう」
「ザガリー」
「さあ、二人とも移動しようか。ちょっとした祝いの席を用意しているんだ」
暗くなりがちな雰囲気を壊すようにエイブリーがことさら明るく声を上げた。会場となった場所へ移動すれば、カロラインの屋敷に勤めている使用人たちやザガリーと親しい人たちが二人を待っていた。
ザガリーは嬉しそうに微笑む彼女の側に寄り添い、集まった人たちから沢山の祝福を受けた。二人は顔を見合わせ楽しげに笑い合った。
一般的な貴族の結婚としては華やかさが足りないものであったが、それでも心からの祝福にカロラインは幸せだった。
◆
「……本当にあれでよかったのか?」
祝いの食事会が終わり、二人は同じ馬車に乗り込んだ。出会ってから初めての二人きりだ。短期間で婚約、結婚するために二人は忙しくしており、会う時も誰かが側にいた。だから二人でじっくりと話したり、お互いを理解し合う時間などなく今日という日を迎えた。
楽しい時間を思い、ふわふわした気持ちで幸せの余韻に浸る。彼女の気持ちを壊さないように、ザガリーが小さな声で聞いてきた。
「ええ、もちろんよ。とても楽しかった。すごく幸せだわ」
「それならいいんだが」
隣に座っているため、彼の表情がわからない。でもその声から、式を挙げなかったことをひどく気にしていることはわかった。
「婚約してからずっとザガリーにはよくしてもらっているし、今日だって素晴らしく楽しかったわ」
「もし遠慮しているのであれば、後日、式だけ挙げることは可能だが……」
「気にしなくてもいいのに」
派手な貴族的な結婚式を行いたくないと簡易的な式を望んだのはカロラインだ。にもかかわらず、祝いの食事会もあり、とても楽しいひと時だった。心から祝福を受けてカロラインは感動していた。
「カロライン嬢」
「カロラインと呼んでほしいわ。もう夫婦だから」
「……はあ」
大きく息を吐いたザガリーをそっと見る。ザガリーは項垂れていたが、すぐに顔を上げた。
「貴女は欲がなさすぎる。もっと無茶だと思うほど要求してほしい」
「そう言われても思いつかないわ。こんな素敵なドレスと宝飾品を贈ってもらったし、貰い過ぎても困ってしまう」
カロラインは自分のドレスにそっと手を這わせた。滑らかな感触にうっとりとする。
借金がなくなったとはいえ、クレイ子爵家には新しいドレスを新調するような余裕はない。はじめカロラインは手持ちのドレスの中から選ぼうとしていた。
前日になって、ザガリーからこのクリーム色のドレスが届いたのだ。温かみのあるクリーム色はとても上品で、カロラインによく似合っていた。フリルやレースは少なめだが、ドレスの裾には同色の糸で縫い取られた細かな刺繍があり、華やかだ。
「わかった。では、これから俺の好きなものを贈るとしよう」
「ほどほどににね」
ふふっとカロラインは笑った。好き勝手させたら、衣裳部屋が溢れてしまいそうだと密かに思う。婚姻するにあたり、ザガリーは屋敷の手入れや売り払ってなくなっていた家具の補充など借金の他にも様々なところにお金を出してもらっていた。支払いが滞りがちになっていた使用人たちの給金もすべて清算してもらえたことだけでもありがたいことなのに、今では幼いころのような貴族らしい屋敷に生まれ変わっている。
ぼんやりと劇的に変わった環境を思っていたら、そっと手が握られた。驚いてザガリーを見れば、彼はひどく真剣な眼差しをしていた。
「きっかけは普通とは違うが、できる限り君を幸せにしたい」
「ザガリー」
嬉しくて、喉の奥が締め付けられた。こんな風に誰かに大切に思ってもらえる日が来るなんて、夢のようだ。
「嬉しい」
そう呟くと、唇が軽く塞がれた。お互いの唇を押し付け合うだけであっても、初めてのキスにカロラインが思わず体を揺らした。包み込むように抱きしめられると恥ずかしくなってくる。火照っていく頬を見せまいと俯けば、彼の香水の匂いを感じた。香りを感じるほどの近い距離に、さらに落ち着かなくなる。
「緊張している?」
自分の心の中を覗かれたような気がして、彼の胸で自分の顔を隠した。ザガリーの小さな笑いが聞こえたが、嫌な気持ちにはならなかった。
「さあ、屋敷に着いたよ。奥さん」
ザガリーに導かれて、カロラインは馬車から降りた。