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婚約者とお出かけ


 結婚の準備というのは忙しいものだと知った。婚約してから結婚まで一か月しかないため、ひどく慌ただしい。


 カロラインは次から次へと決まっていくこれからのことに、眩暈を起こしそうだった。今まで山となっていた問題が目を見張る速さで解決していく。その解決を行っているのが、婚約者となったザガリーだ。


 彼の仕事の速さは目を見張るほどだった。一度に扱う情報量も多いのだが、決断も早い。


 カロラインは次期クレイ女子爵として領地についての仕事を任せられていたが、今まで誰かと一緒に仕事をしたことはなかった。母のガートルードが亡くなってから彼女の実家であるブロンテ侯爵家から人手を借りてはいたが、あくまで彼らは雇われた立場だ。カロラインの父親が領地経営を放棄しているので、誰かを頼ることがとても不思議に思える。


 ザガリーは平民で領地経営については素人であったが、彼のアドバイスが的外れのことは全くなかった。というのも、それほどクレイ子爵家領は困窮を極めていたのでごく普通の対策すら打てていなかった。お金の心配もなく、気軽に誰かに話せることでカロラインの自信も徐々に芽生えはじめた。


 一番気がかりだった借金の返済もめどが立ち、たまる一方の未払い賃金も清算した。しかもザガリーはなかなか支払いができないクレイ子爵家に根気良く付き合ってくれた使用人たちに色を付けて賃金を渡してくれた。そのことがとてもありがたく、ザガリーには感謝しかない。


「カロライン嬢、出かけられるか?」


 忙しく過ごしているある日、ザガリーが先触れもなく迎えに来た。驚いたカロラインはすぐに返事ができなかった。ザガリーは遠慮なくずかずかと執務室に入り、驚いて固まっているカロラインの手から書類を取り上げる。

 カロラインはすぐ側に立つ彼を座ったまま見上げた。整った顔立ちの彼から見下ろされて、カロラインはどきりとする。


「今日はここまでだ。執事長が心配していたぞ」

「え?」


 言われていることがわからなくて戸惑えば、ザガリーがため息を落とした。


「ずっと部屋に籠って仕事ばかりしていると」

「仕方がないわ……書類の山が今にも崩れそうなのよ」

「はは、書類の山は今さらだ。一日二日、急いで仕事をしてもいいことはない。ほら、立って」


 執務机に向かっていたカロラインの腕をとると、椅子を回し引っ張って立たせてしまう。ザガリーの言うことはもっともだが、書類の山は比喩ではない。冗談抜きで、山積みなのだ。


「やっぱり出かけるのはやめておくわ」

「ダメだ。どうしても理由が必要なら、俺の潤いのために付き合ってくれ」

「潤いって……」


 言われている意味が分からなくて曖昧に笑えば、ザガリーはいたって真面目に頷いた。


「むさくるしい男を相手にしているんだ。ちょっとは頑張っている婚約者を労わってくれてもいいと思うんだが」


 むさくるしい男と聞いて誰のことを言っているのかわかってしまった。今、ザガリーはカロラインと結婚するにあたって、ブロンテ侯爵家に通っている。平民である彼には貴族のしきたりを知る必要があるだろうと、エイブリーが進んで引き受けてくれた。エイブリーの指導は結構厳しいらしく、時々零すことがあった。


 声に出して笑うのは申し訳なくて、無理やり笑いを押し殺す。


「エイブリー兄さまにむさくるしいは合わないと思うけど。社交界では爽やかで人当たりが良いから、とても人気よ?」

「男であることで十分むさくるしい。しかも顔を合わせるたびに鬱陶しい」


 唸るように呟くと、彼は壁際に控えている執事長に声をかけた。


「すまないが、侍女長を呼んでくれ」

「わかりました」


 執事長は頷くと、すぐに侍女長を連れてくる。カロラインはどうして侍女長が呼ばれた理由がわからず、黙って事の成り行きを見ていた。


「何か御用でしょうか」

「カロライン嬢の支度を頼む。先ほど持ってきたものを使ってほしい」


 侍女長はカロラインの母の代から仕えていた人で、カロラインにとってはもう一人の母親のような存在だ。彼女はにこにこと嬉しそうに頷くと、カロラインを急かした。


「ちょっと待って、ザガリー」

「お嬢さま、婚約者様をお待たせしてはいけませんよ」

「そういうことじゃなくて……!」


 納得できなくて声を上げたが、急き立てるように自室に連れていかれてしまう。自室にはすでにカロライン付きの侍女が待機していた。彼女は侍女長の娘で、姉のように世話を焼いてくれる一人だ。


「お嬢さま、見てください! これ、ザガリー様がお嬢さまに、と持ってきてくださったのですよ。愛されていますね」


 声を弾ませながら、丁寧に箱からドレスを取り出して見せた。


 ベビーオレンジ色を基調にした襟まで詰まった上着にふわりと広がる白の三段重ねのスカート。

 上着に使われている包みボタンは濃い緑で、差し色になっている。

 いつも着るドレスよりも華やかで明るい色合いに目が釘付けになった。


「ザガリー様、よくお嬢さまにお似合いの色を知っていらっしゃいますね!」

「そうかしら? こんなにも明るい色、着たことがないから」


 困惑したように呟けば、侍女長がカロラインの背中を労わるようにそっと撫でた。カロラインは泣きたいような笑いたいような顔で彼女を見る。


「きっとよくお似合いですよ。ほら、着てみましょう?」

「え、ええ」


 そして三人がかりでカロラインは身支度をさせられた。



 階段を降りていけば、玄関ホールでザガリーは待っていた。カロラインはじっと見つめられて恥ずかしくなりながら、ゆっくりと彼の前に進んだ。

 綺麗だと思ってもらえるだろうか、そんな気持ちがどこかにあって、いつもは感じない彼の熱のある眼差しにドキドキが止まらなくなってくる。


「お待たせしました」

「カロライン嬢、綺麗だ」


 ザガリーは目の前のカロラインをじっくりと見つめると、彼女の右手を取った。彼女の目を捉えると、カロラインの指先に口づけを落とす。大切な女性として扱われたように感じて、カロラインはくらりとした。

 慌ててザガリーがカロラインを支えた。至近距離で見つめられることも恥ずかしかったが、近くに彼の体温を感じて気が遠くなりそうになる。


「おっと、大丈夫か?」

「え、ええ」

「時間は有限だ。さあ、行こうか」


 ザガリーは先ほどまでの熱のある眼差しをすっと消した。いつものにこやかな人当たりの良い彼に戻る。カロラインはほっとしながらも、どこか残念な気持ちでいっぱいになった。


「どこに行くつもりなの?」

「まずは食事だな。忙しいのはわかるが、ちゃんと食べていないだろう?」


 尋ねているようで、決めつけている言葉にカロラインはそっと視線を逸らした。


「そんなことはないわ。ちゃんと頂いています」

「ふうん。でももう少し食べた方がいい。顔色が悪い」


 顔色のことを言われて、カロラインは驚いてしまった。化粧でかなり誤魔化しているため、顔色などよほどの知り合いでないとわからないはずだ。ザガリーがきちんとカロラインを見ていてくれることに胸が温かくなる。


「今日はおすすめを食べてもらうよ。その後は買い物に行こう」

「買い物?」


 新居となるこの屋敷の調度品は毎日のように運ばれてくる。ザガリーの商会が相応しいものを手配してくれているのだ。ザガリーもそのことは知っているはずなのに、とカロラインは彼を伺う。


「そうだ。たまには街中を歩くのも気晴らしになる」


 気晴らしと聞いて、カロラインは体から力を抜いた。ザガリーは本当にカロラインのことをよく見ていて、気を配ってくれている。その優しさを拒否することはできない。カロラインは頭の中を占めていた仕事のことを隅に追いやった。


「ありがとう。とても嬉しいわ」


 ザガリーはカロラインの言葉に驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに目を細めた。


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