父との決別
騎士団長に案内された場所は貴族の犯罪者が収容される監獄だった。城の敷地内の一番端にあり、厳重な警備が敷かれている。
カロラインは監獄の入り口で、建物全体を眺めた。華やかな城と対照的な陰鬱な雰囲気が背筋を震わせる。
「こっちだ」
騎士団長に促されて、中に踏み入れる。石造りの廊下はごつごつとしており、無骨な砦のようだ。
「会うと決めたのだから止めはしないが」
カロラインの少し先を歩きながら、騎士団長は話し出した。カロラインはどうしたのだろうと、目の前を歩く大きな背中を見つめる。
「罪人との面会は心に傷を作る場合もある」
「わかっております」
「……そうか」
カロラインがすぐに答えると、騎士団長は足を止め振り返った。その表情は何とも言えない複雑なものだった。思わぬところで騎士団長の優しさに触れ、微笑んだ。
「ご心配ありがとうございます。ですが今さらなので」
もっと何か言いたそうだったが、騎士団長は息を小さく吐くと、扉の前に立つ騎士に開けるようにと指示をした。扉は重い鉄製でできており、動かすとぎしぎしといった耳障りな音が響いた。中からひんやりとした空気が流れ出て、カロラインの頬を撫でる。
「中にどうぞ」
警備をしている騎士が促すと、二人で中に入った。二人が入ると、扉が再び閉じられる。中にも二人ほど、騎士が詰めていた。騎士の一人が騎士団長に色々と報告し、それが終わると再び奥へと歩き出す。緊張しながら、カロラインもその後ろに続いた。
一つの部屋にたどり着いた。重みのある鉄の扉が開いた。中はさらに鉄格子で部屋が区切られていた。案内した騎士はがんとその鉄格子を叩いた。響き渡る大きな音に、カロラインはびくっと体を震わせた。
「面会だ」
「面会だと?」
聞き覚えのある声にカロラインの意識がそちらに向いた。粗末なベッドからのっそりと起き上がったのは、よれたシャツと色あせた黒のズボンをはいた一人の中年男性だった。
最後に会った時よりも痩せており、記憶にある姿よりも小さく見える。不審そうにこちらを向いた顔を見れば、ジェイデンだと一目でわかった。脂肪でたるんでいた顎がすっとし、肖像画に描かれていた若き頃のジェイデンの面影があった。
彼の目が騎士団長から後ろに控えるカロラインへ向けられる。探るような眼差しに、カロラインは唾を飲み込んだ。
苛立ちを含まない目を見るのは初めてだ。ジェイデンがカロラインを見る時にはいつも苛立ちと憎しみに満ちていた。視線も言葉も鋭くて、優しさを与えることはなかった。
受けた暴力の記憶が表面に出てきそうになって、意思の力で押さえ付ける。娘のカロラインだと認識した時に飛び出す暴言に傷つかないように身構える。
「ガートルード?」
だが予想に反して、彼の口から零れた名前は母親のものだった。そして喜びに目を輝かせ、勢いよくベッドから飛び出した。
「俺を迎えに来たのか! ずっと待っていたぞ!」
鉄格子を両手に握り、唾を飛ばす勢いで大声で詰め寄られた。カロラインはその場から動けなかった。恐ろしさよりも何を言っているのかという混乱が強い。
「お、お父さま……」
「はははは! お前は俺を選んだのか! ざまぁみやがれ!」
鉄格子を握っていた右手を離し、隙間から手を伸ばしてくる。カロラインはどうしたらいいのかわからず、必死に伸ばされる彼の手が届かないように自然と後ろに下がる。
「お前は否定していたが、あの男よりも俺の方がお前を愛しているに決まっている」
その言葉に、ジェイデンはガートルードを愛していたのだと初めて知った。騎士団長はため息をつくと、拳で鉄格子を叩いた。金属の嫌な音が響き、ジェイデンの注意が騎士団長へと向いた。
「邪魔をするな。なんだ、お前もあの男の味方か? 残念だったな、ガートルードは俺のものだ」
「娘について聞きたい」
「娘? あれは娘なんかじゃない。ガートルードの心を俺のものにしないために、あの男がよこした悪魔だ」
「悪魔ではないだろうが」
「いいや、悪魔だ。あの男と同じ目の色をしている。殺してしまいたいのに、そうするとガートルードが壊れる」
涙が、出てこなかった。愛されていたとは思わないが、まさか悪魔だと思われていたとは。カロラインは気分が悪くなってきた。
「お前の言うあの男とは誰だ?」
「あの男はあの男だ。ハドリー・ケンプだ。死んでまで、ガートルードを手放さない。いつまでも忌々しい男だ」
ハドリー・ケンプ。
知らない名前だが、ケンプ伯爵の異母兄なのだろう。
「そのハドリー・ケンプが娘の父親か?」
「ガートルードは俺の子だと言っていたがな。産み月が早すぎる。騙されるものか。ん? でもガートルードが否定したな。俺の子かもしれん。いや、あり得ないか。でもあの目の色は……ああ……?」
次第に自分の思考の海に入っていき、ジェイデンはその場に座り込むとブツブツと何やら呟き始めた。聞き取れない呟きをしばらく聞いていたが、拾える単語を並べても意味をなさない。
「おい、こっちを見ろ」
騎士団長に促されても、ジェイデンは自分の世界で何やら呟いている。側に控えていた騎士がため息をついた。
「ここまでのようです。これ以上は無理だと」
「わかった。クレイ女子爵もそれでよろしいか?」
「はい」
カロラインは小さく頷いた。
◆
塔を出るまでの間、頭の中で先ほどのやり取りを繰り返していた。ジェイデンがガートルードを愛していた。そんなことを考えたこともなかったが、錯乱状態で強く言っていたのだから、真実なのだろう。そして、娘であるカロラインを悪魔だと忌み嫌っていた。
どちらが父親かははっきりしなかったが、ジェイデンもケンプ伯爵と同じく前夫の娘だと信じていたようだ。
「ジェイデンは自白剤と相性が悪かったようで、妄言を繰り返している。先ほどはちゃんと会話しているように思えただろうが、すぐに自分の世界に閉じこもってしまう。だから過去の話は事実と妄想とがごっちゃになっているそうだ」
「父は母を愛していたと思いますか?」
「自分の思いだから、そうかもしれない。だが、集めた証言からすると仲の良い夫婦ではなかったそうだから、想像上の世界での話かもしれない」
本人もよくわからない世界で生きているから、事実はわからないということだろう。
カロラインは気持ちを吐き出すように息を吐いた。
「最後に会わせていただき、ありがとうございました」
騎士団長に頭を下げれば、彼は眉を八の字にした。
「――君は間違いなくジェイデンの娘だ」
「え?」
「隣国からの情報を突き合わせると、まあそういうことだ。ジェイデンは壊れてしまっているから、君のことを悪魔だ、前夫の娘だとか妄言をまき散らしていたが、信じる必要はない」
「……それは陛下もそうお考えですか?」
「そうだ」
カロラインは頷く。
事実は何であれ、カロラインの父親はジェイデンである。
幼い頃は愛されたいと願っていた。ある程度大きくなった頃、父親からの冷たい仕打ちから愛されることはないと諦めた。随分前の話だ。
涙が溢れ、頬に転がった。
悲しいのか、辛いのか。
既に期待する気持ちなどないはずなのに、ああしてごく自然に悪魔だと決めつけた言葉はカロラインの心の柔らかいところを確かに抉った。
「おおう、辛いよな。父親に愛されたいと思うのは誰しも思うことだ」
「今さらなのです。だから泣く必要など……申し訳ありません」
「んー。色々考えてしまうのは理解する。だが、ジェイデンの母親も魔性の緑の瞳と言われていた女だ。だから目の色だけで、ジェイデンが父親ではないということにはならないと思うぞ」
声を出すと嗚咽が漏れてしまいそうで、頷いた。騎士団長は息を吐く。
「我慢することはない。沢山、泣いたらいい。すっきりする」
「……ありがとうございます」
泣くことを許されたようで、カロラインは無理に止めようとするのをやめた。
どのくらい泣いていただろう。
小さな音がして顔を上げた。いつの間にか、ブロンテ侯爵がそこにいる。彼は少し困ったような、それでいて優しい目でカロラインを見ていた。
「筋肉バカがうちの可愛い姪を泣かしている」
「誰が筋肉バカだ」
むっとして騎士団長がブロンテ侯爵に噛みついた。
「伯父様……」
「泣き顔も美しいが、やっぱり笑っている顔の方が好みだな」
「そういうことを言うから、伯母様が怒るんですよ」
「女性は褒めるべき存在だからね」
そんな口の軽いことを言う。騎士団長が苦いものを食べたような変な顔をしてブロンテ侯爵を見ていた。
「何だ、文句でもあるのか?」
「お前、もうそういうセリフが似合わない年になってきたんだ。少しは自重しろ」
「年齢だなんて気にするから、君はいつまでたっても武骨なままなんだ。たまには奥方に君の瞳は夜のきらめきのように美しいとか褒めてみるといい」
「ふざけんな。そんな気色の悪いことを言った日には、頭を打ったか病気かと思われるだけだろうが」
仲の良いやり取りを見ていて、カロラインは思わず笑ってしまった。くすくすと笑う声に、ブロンテ侯爵は微笑んだ。
「ほら、君の最愛が迎えに来ている」
「え?」
「なかなか戻ってこないから、イライラしているよ。僕はまだ城に用事があるから、彼と先に屋敷へ戻ってほしい」
大げさな身振りで示された方を見れば、確かにザガリーがいる。カロラインは騎士団長とブロンテ侯爵に挨拶をすると、駆けだした。
「ザガリー」
カロラインはそのままザガリーに抱き着いた。
「泣いたのか?」
「うん、ちょっとだけ」
険しい顔をするザガリーににこりと笑った。
「聞いてもらいたいことが沢山あるの。お披露目が終わったら、付き合ってくれる?」
「ああ」
「ありがとう。まずはブロンテ侯爵邸に行きましょう。伯母様が待ちくたびれているわ」
カロラインは夜に行われるお披露目会のために、ザガリーと馬車留めへと向かう。馬車に乗る前に、カロラインは足を止めた。ジェイデンのいる建物のある方角に目を向ける。
ここから見えるわけではないが、カロラインはさようならと心の中で別れを告げた。