謁見と後始末
「目を開けてよろしいですよ」
侍女に言われて、目をゆっくりと開けた。鏡に映る自分を見て、目を丸くする。
前髪を緩く横に流し、後ろは低い位置でシニヨンに。
植物をモチーフとした銀の髪飾りが淡い金色の髪に馴染んでいる。
化粧は薄く施されていたが、結婚前に比べて顔色もよく、肌艶が良い。
そこにいたのは、ギャラリーに飾ってあるガートルードの姿そのものだった。唯一の違いは、その瞳の色だろう。
「すごい、お母さまがそこにいるみたい」
「カロライン様はガートルード様によく似ていらっしゃいますから」
「お父さまには似ているところがないのね」
すでに三週間も前の話なのに、いまだケンプ伯爵の言葉が頭のどこかに残っている。カロラインが調べた限り、死別して実家に戻ってきてからジェイデンとの不幸な出来事が起こるまでの間、ほとんど間がない。ケンプ伯爵の言い分が妄想だと言い切れないことがもやもやとして胸に居座っていた。
そんなカロラインの気持ちを知らない侍女は使った道具を片付けながら、聞いてくる。
「そうでしょうか? ジェイデン様のお母さまも宝石のような美しい輝きを持つ緑の瞳をしていたと聞いたことがありますよ」
「え?」
「吸い込まれるような美しさで、彼女に魅入られたら大変だと。魔性の瞳だと庶民の間でも有名でした」
魔性の瞳、とカロラインは呟いた。ジェイデンの母について何か思い出そうとしたが、彼の母について何も知らない。
「そうなの?」
「前国王陛下の愛人ですから、表立って悪くいう人はいませんでした。ですが、こういうゴシップは平民にとって娯楽なんですよ」
「貴族も似たようなものだけどね」
「そうでございますね」
侍女はカロラインを立たせると、謁見のために誂えたドレスを持ってくる。ザガリーが張り切って用意した逸品だ。
柔らかい印象のクリーム色の厚みのある布で、細かな刺繍と小さな真珠が縫い付けられている。子爵家当主に相応しい、気品のある意匠だ。
「城に行ったら、肖像画はあるかしら? 瞳の色、見てみたいわ」
「どうでしょうか? 前国王陛下が譲位した後に移り住んだ離宮にならあるかもしれませんが」
ブロンテ侯爵夫人の忌々しそうな口ぶりを思い出した。侯爵夫人があれほどの嫌悪感を出すのだ。国としてはあまり歓迎された女性ではなかった。
侍女とそんな世間話をしながら、手早くドレスを着つけられた。最後にロング伯爵から贈られた子爵家の首飾りをつける。結局お祝いだから支払いは不要と言れて、ロング伯爵夫人にも是非と言われてしまえば受け取らざるを得ず。
「さあ、できましたよ」
仕上がりの最終確認を終えると、侍女は満足そうな笑顔を見せた。カロラインは再び鏡の前に立つ。そこには自信あふれた女性がいた。
「化粧とドレス、すごいわね。背筋を伸ばしているだけで、有能そうに見えるわ」
驚きながらも、横や後ろも鏡で確認してしまう。動きに合わせ動くドレスの裾がとても優雅だ。
「とても素敵ですわ」
侍女もうっとりとした顔で称賛する。二人であれこれとドレスの素晴らしさ、宝石の美しさなどを話していると、ノックの音が聞こえた。
「誰かしら?」
「確認してまいります」
侍女が取次に行けば、ザガリーの声がした。
「ザガリーなら入ってきてもらって」
許可を出せば、すぐにザガリーが部屋に入ってくる。綺麗だと思ってくれるだろうかとドキドキしながら彼を見つめた。ところがザガリーはカロラインを見ると、目を見開いて立ち止まってしまった。その反応がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「そんなに笑わなくても」
「ごめんなさい。このドレス、ザガリーが用意したのでしょう? 驚いた顔がおかしくて」
「よく似あっている。気後れしそうだ」
「威厳がちゃんと作れている?」
「ああ。簡単に手を出せそうにない」
そう言いながらもザガリーは近寄って、カロラインの手を取った。カロラインの手を持ち上げ、指先にキスをする。
「これを君に」
カロラインの手を離すと、内ポケットから小さめの箱を取り出した。差し出されて、首を傾げる。
「これもつけてほしい」
「今日?」
「そう。男の見栄だ」
よくわからないまま、蓋を開ける。中には大ぶりの雫型の緑の宝石を使った耳飾りが入っていた。その色は首飾りの緑と負けないぐらいの存在感がある。
「ザガリー」
「つけてあげよう」
お礼を言う間もなく、彼は一つ耳飾りを取り上げると、カロラインの耳に飾った。
「よく似あう」
両方をつけ終わると、侍女から手鏡を渡された。手鏡に映る自分を見て思わずうっとりとため息を漏らす。ザガリーも満足そうに笑みを浮かべた。
「ありがとう。とても素敵」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。さあ、行こうか。城まで送っていく」
「ザガリーは謁見の間に行かなくていいの?」
「流石に不相応だ。君が戻ってくるまで控えの間で待っている」
爵位継承の謁見では、配偶者の同席が認められている。だがザガリーは平民で、爵位継承時点で平民と結婚している当主はいなかった。伝統的な貴族たちが揃う場では反発されることも考えられる。
「爵位継承の謁見だけど、子爵家だからすぐに終わるわ」
「そうなのか?」
「ええ。簡単なお言葉を貰って、忠誠と感謝を伝えるだけだから」
カロラインはザガリーにエスコートされ馬車に乗り込んだ。
◆
案内された謁見の間は思っていたよりも小さい場所だった。一番奥の玉座に国王が座り、両脇に宰相をはじめ、大臣たちが数人並ぶ。その中に、ブロンテ侯爵がいて、内心驚いた。こちらでの対応をエイブリーがすべて行っており、ブロンテ侯爵は領地にいたからだ。カロラインの驚きに気が付いたのか、ブロンテ侯爵は見慣れた笑顔を浮かべて、ウィンクしてくる。その緊張感のない挨拶に、ガチガチになっていた体の緊張がすっとほどけた。
「クレイ女子爵、国王陛下の前へ」
許可が出て、カロラインはゆっくりと歩いた。国王の前までたどり着くと、頭を下げ、深く膝を折る。
「顔をあげよ」
すぐさま声がかかり、カロラインは背筋を伸ばして立った。初めて顔を合わせる国王は再び頭を下げてしまいたくなるほどの威厳に満ちていた。緊張に、口の中が乾燥してくる。カロラインは情けないところを見せないように胸を張った。
「ガートルードによく似ているな。こうして彼女の娘が爵位継承したこと、とても喜ばしい」
温かな言葉に、以前貰った手紙と同じく親しみを感じた。感謝を伝えるため、発言の許可を求めれば頷かれた。
「まだ未熟な身ではありますが、国と領民に力を尽くしてまいります」
「期待している」
慣例の挨拶が終わると、場の空気が緩んだ。国王はにこにこと笑い、カロラインの前までやってくる。
「ああ、本当にガートルードがそこにいるようだ」
「陛下、懐かしむのは後で。先に面倒な方をやってしまいましょう」
どこか親戚の伯父さんのような顔をし始めた国王に、ぴしゃりと宰相が厳しい言葉を投げた。
「そうだった。騎士団長、説明よろしく頼む」
騎士団長と呼ばれて、大きな体をした三十代半ばの男性が出てくる。一人、騎士団の礼服を纏い、胸には沢山の勲章が飾られていた。
「まず、今回の乗っ取りに気が付かなかったこと、申し訳ない」
そんな謝罪から始まった。なんせ、子爵家当主代理があの状況を引き起こしており、中央が気が付かなかったのも仕方がないことだ。
カロラインは恐縮しながらも、騎士団長の説明に耳を傾ける。
未遂とはいえ、隣国の貴族が入り込む可能性はあった。今回はジェイデンが国に届け出ていなかったからよかったのだ。爵位を継ぐ際の不備に、これから対策がなされるそうだ。
「隣国には、戦争の意図があったのかとこちらから強く抗議をした。その結果、ケンプ伯爵家はお取り潰し、当主とその母は死罪となった」
「え?」
「隣国の国王にしたら寝耳に水だ。国力、軍事力共に我が国の方が上だ。戦争の引き金になるような原因を引き起こした罪人の首を差し出すことで、わだかまりを残したくないのだろう。こちらの国の外交官が処刑に立ち会う」
カロラインはそういうものなのかと、ぼんやりと思った。
「一族根絶やしでもいいと思ったが、当主とその母しかあの家には残っていなかったのでな」
「そうなのですね」
隣国の後始末はそれで終わった。結局ケンプ伯爵は何をしたかったのかわからなかったが、彼の行動の基準はカロラインの目の色だけのような気がした。
「そして、ジェイデンの方だが。奴も死罪が決まった」
「死罪、ですか?」
騎士団長ははっきりと告げた。カロラインは目を見開き、騎士団長を見つめる。ジェイデンは確かに罪を犯したが、終身の強制労働になるだろうと思っていた。
「ああ。あれは子爵家の財産を自分のものにするために、借金で美術品類を買い換金していた。実際はそこに物のやり取りは存在していない」
つまり、書面上だけで売買を行っており、実物は他の人の所有物だそうだ。実物を一度も見たことがなかったため、すぐに換金していたとは思っていたが、まさか他人のものをいかにも売買したように作っていたとは。そのやり口に、カロラインは眩暈がした。やっていることが詐欺でしかない。
「……わたしはどのような償いを」
「本来ならば、降爵になる。だが、カロライン、当時、君はまだ未成年で罪を犯したのが国が認めた当主代理だ。事情を勘案して処罰なしとした。気が済まないというのなら、領地を繁栄させ、税金をしっかりと納めてくれ」
国王の優しい言葉に涙が出そうだ。カロラインは感謝を込めて、頭を下げた。
「それで貴女の父親は死罪になります。最後に一度お会いになりますか?」
宰相がカロラインに問う。カロラインは迷うことなく頷いた。最後に一度、自分のことをどう思っているのか知りたかった。ケンプ伯爵の言葉を信じれば、ジェイデンはカロラインが自分の子供ではないと思っている。それが愛せなかった理由なのか、子爵家を潰してもいいと思った理由なのか、知りたかった。
「わかりました。鉄格子越しではありますが、手配しましょう」
「あー、ちょっと待て」
宰相が使用人に指示をするのを騎士団長が遮った。宰相は不審そうに眉を寄せる。
「何でしょうか?」
「自白剤が効きすぎたのか、ちょっとだけ正気じゃないかもしれない」
「ちょっとだけ?」
嫌味っぽく宰相が繰り返した。騎士団長は顔をひきつらせた。
「いや、すまん。嘘を言った。多分だが、クレイ女子爵を認識できないかもしれない」
「だそうです。どうしますか?」
「会います」
カロラインの返事は迷いのないものだった。