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再会


 元恋人と一晩同じ部屋にいた。

 平民は平民同士、結婚した方が幸せ――。


 その言葉はカロラインを地味に傷つけていた。カロラインは結婚前のザガリーの女性関係について、気にしていなかった。エリーという前例もあることから、ザガリーが平民の中でも特に人気が高いのはわかっている。人当たりもよく、貴族のような美しさではないが整った顔立ちをしているし、背も高い。しかも商会長という立場もあれば、独身女性なら射止めたい相手だろう。


 だが、ザガリーはカロラインに婚姻を申し込んだ。お互いに利益のある結婚だ。そのために彼が想い合った相手がいて、利益のある結婚のために別れたと言われても否定できない。


 想い合った相手の女性がこのような手段に出て、ザガリーは拒絶できるのだろうか。一晩だけと言われて、頷いてしまうのではないか。


 想像しただけでも、気持ちが沈んでいく。


「カロライン」


 エイブリーに名前を呼ばれて、顔を上げた。エイブリーはどこか困ったような顔をしている。


「何?」

「心配しなくてもザガリーはカロライン一筋だ。軽い付き合いをしていることもあったが、心から想い合った相手などいない」


 慰めのようにも聞こえる言葉に、少しの非難を視線に滲ませる。


「ザガリーから気持ちを伝えられたことはない?」

「……はっきりとは」


 ザガリーがカロラインを大切にしていることは、彼の態度からもちゃんとわかる。愛されているんだなと感じることもある。でも、言葉をもらったことはないことに気が付いた。


「うわ、そうなんだ。簡単に愛を囁きそうなんだが。カロラインはどう? ちゃんと気持ちを伝えている?」

「いいえ」


 エイブリーはどうしようもないと言った様子で天を仰いだ。

 カロラインはお互いに言葉を交わしていないことがこれほど不安になるとは思っていなかった。毎日が楽しくて、彼がいるのが当たり前すぎて、伝えなくても伝わっている気になっていた。


 エイブリーは落ち込むカロラインに優しい眼差しを向けた。


「これは本当はザガリーが説明すべきことだとは思うけど。ザガリーは二年ほど前からカロラインと結婚したがっていた」

「二年前?」


 カロラインは不思議そうに目を丸くする。


「そう。孤児院で見かけたそうだ。カロラインと結婚するためにはどうしたらいいかとやたらと熱心に聞いてきたよ」

「孤児院……もしかして、時々お菓子を差し入れてくれた紳士かしら?」


 名前も顔も分からない相手であるが、カロラインが定期的に通っていた孤児院にお菓子の詰め合わせが届くようになった。それもカロラインが訪問する日に合わせて。沢山入ったお菓子は高級なものではなくて、平民でもよく口にするもの。


 孤児院へ差し入れするものがなくても、通い続けた。それはガートルードが生きていた頃からの習慣であったが、息の詰まるような屋敷から逃れるための理由でもあった。屋敷に入れば、どうしたって借金と問題ばかりの領地のことを考えてしまうから、家令や侍女長が外出するようにと勧めていた。


 まだ色々なものが割り切れず、一番つらい時期だった。差し入れられた菓子は子供たちと一緒にと言づけられており、孤児院長にどうぞと勧められ、躊躇いながらも食べた。貴族が好んで食べる菓子とは違う、素朴な味わいに涙が滲むこともあった。お礼が言いたいと孤児院長に伝えたが、最後まで直接会うことはできなかった。


「こちらのお部屋です」


 物思いにふけっているうちに、ついたようだ。重厚な扉の前には護衛が一人ついている。カロラインは話の続きを聞きたかったが、今はザガリーだ。背筋を伸ばして、支配人が鍵を開けるのを待つ。


 落ち着かない気持ちで支配人の動きを見守った。


「無理に入らなくてもいい。僕が見てくる」

「いいえ。何があっても、ザガリーはわたしの夫です。きちんと向き合います」


 それに彼がたとえ他の女性と関係を持ったとしても、離縁をするつもりはない。二人で過ごした時間は簡単に壊れない。


 扉が大きく開かれた。カロラインは大きく息を吸ってから、足を踏み入れた。



 応接室はごく普通の貴族の屋敷にあるような内装であった。座り心地のよさそうな長椅子、壁際には重厚な造りとのチェスト、そして壁には風景画。大きな窓からは外が見えている。すでに陽の光は少なくなり、部屋も薄暗かった。


 そんな中、ザガリーは行儀悪く長椅子の背に腰を下ろしてこちらを睨みつけていた。その手にはどこから手に入れたのか、木の棒が握られている。


「ザガリー? どうして服を着ているの?」


 下手をしたら二人の睦合っている姿を見ることになると覚悟していたため、変な疑問が口から洩れた。ザガリーはよくわからなかったのか、首を傾げる。


「カロラインこそ、何でここに?」

「色々説明したいことがあるのだけど、首飾りが見つかったから」

「本当か! ということは、ケンプ伯爵は持っていなかったんだな?」


 ザガリーは木を放り出して、カロラインに大股で近づく。そして彼女の両頬を手ですくうようにして上向かせた。覗き込むように見つめられて、カロラインもじっと彼を観察する。一晩、閉じ込められていたせいか、寝不足のような顔をしているが、それ以外は特に変化はなかった。事後のような空気もないし、何よりもこの部屋に気だるい男女の淀みはない。


「会いたかった」

「わたしも。待っても帰ってこないから迎えに来たの。そうしたら、昨日から宿に戻っていないと聞いて心配で」

「悪かった。まさか離縁を突き付けられるとは思っていなくて」


 ため息をつくと、カロラインの頬から両手を離し、彼女の体を抱き寄せた。彼の胸に頬を寄せる。


「ああ、カロラインだ。生き返る」

「ねえ、ここにザガリーの元恋人と一緒に閉じ込めたと聞いたのだけど……」


 言いにくそうに、それでも確認しなくてはいけないと思い口を開く。ザガリーは途端に渋い顔になった。


「エリーだ」

「はい?」

「無理やり引き裂かれた恋人がいるとかなんとか、ケンプ伯爵に説明されたんだろう?」

「ええ」

「それ、エリーのことだ。ケンプ伯爵がエリーの妄想を信じて、仲を取り持とうとか言い出して」


 ザガリーの説明を聞いているうちに、何とも言えない気持ちになる。


「嫌がらせ?」

「そう思うだろう? ケンプ伯爵はカロラインと離縁させて、さらに俺を婚姻させておいて復縁できないようにしたかっただけだと思う」


 カロラインは宥めるように彼の背中に腕を回し、優しく撫でた。ザガリーも同じようにきつく抱きしめると、耳の後ろにさっとキスを落とす。そのくすぐったさに、カロラインは身を捩った。


「久しぶりに会って、いい空気を作っているところ、申し訳ないけどね。少しは現実に戻ってきてくれないかな?」


 尖った声が二人を我に返らせる。二人で顔をあげれば、怒りと呆れを滲ませたエイブリーが見ていた。


「エイブリー、来ていたのか」

「来ていたのかじゃない。とりあえず説明。この女、何?」

「エリーさん」


 転がっている女性の顔を見て、カロラインは目を丸くした。エリーは頭と足の先が少し出ただけの、ぐるぐるにミノムシのように全身を布で巻かれ、口は猿ぐつわを噛ませられている。彼女の目がカロラインを見つけると、体を捩り、声を出そうと唸り出した。声が出せていないが、その怒りに満ちた顔を見て罵っているのだろうと想像する。


「この布、カーテン?」

「あそこから引きはがしてきた」


 ザガリーの指さす方を見れば、一番大きな窓のカーテンが剥がされていた。厚手のカーテンをレースのカーテンで紐にして止めたようだ。


「上手に巻いているのね」

「あのまま二人きりでいたら、後から何と言われるかわからないから、素肌が見えないようにきっちりと巻いた」

「確かにこの状態なら、ザガリーが乱暴したとかは言われないか。このまま引き渡そう」


 ザガリーは喉の奥で小さく笑った。


「そうしてくれ。貞操の危機を感じたのは人生で初めてだ」

「うふふ。わたしはお姫さまを救出した騎士ね」


 二人で顔を見合わせて笑う。


「二人とも、会えて嬉しいのはわかるけどもう少し僕に協力してくれるかな? とりあえず、この女とケンプ伯爵は警備隊に突き出すから」

「ケンプ伯爵も?」

「もちろん。国から抗議することになるはずだ」


 国から、と言われてザガリーは驚いた。カロラインは彼の腕をポンポンと叩く。


「仕方がないわ。伯母様を怒らせてしまったし、ロング伯爵がその気になっているから」


 ロング伯爵の名前が出て、ザガリーは眉を寄せた。納得していない顔をするザガリーにエイブリーが釘を刺す。


「性格の良くない人だが、殴りかかったら駄目だからね。子爵家の首飾りを買い取って持っていてくれた人だから」

「どういうことだ?」

「説明すると長いんだ。とりあえず、感謝だけは伝えた方がいい」


 渋々、頷いた。カロラインも気持ちはわからなくもないので、困ったように笑う。


「あの」


 ひょっこりと扉からアンが顔を出した。


「警備隊の人が来ました。商会長も一緒に来てほしいと」

「わかった」


 ザガリーはため息交じりに呟くと、カロラインを離した。


「すぐに戻ってくる。宿で休んでいてほしい」

「わたしも一緒に」

「飛ばしてここまで来てくれたんだろう? ひどい顔をしている」


 そっとカロラインの頬を撫でる。カロラインは不満そうに頬を膨らませた。


「ザガリーだって」

「二人とも、いちいちイチャイチャしない。もう面倒だから二人一緒に行けばいい。聞きたいことをザガリーに聞いたら後はこちらで引き継ぐから」


 しびれを切らしたエイブリーは二人をアンの方へと押しやった。


「その方が早そうです。さあ、こちらにどうぞ」


 アンが二人を案内した。エイブリーの宣言通り、警備隊では一通りの事実確認だけですぐに解放された。後始末はすべてエイブリーに任せた。


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