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ケンプ伯爵と対面


 ザガリーの泊まっている宿はすぐに見つかった。いつも同じ宿を使っているため、あっさりと行き先がわかる。もっとも、この街には貴族向けの宿が一軒、平民でも泊まれる上質な宿は数軒。ただ泊まるだけの安い宿はそれなりの軒数ある。

 ザガリーはよほどのことがない限り、上質な宿を使うらしい。

 エイブリーと共に宿に入ると、受付で何やら深刻そうな顔で話し込んでいた中年の女性が顔を上げた。そして明るい表情を作ると、にこやかに挨拶をする。


「いらっしゃ……エイブリーさま!」

「やあ、女将。久しぶりだね」

「ああ、よかった! 今どうしようか、話していたところなんだよ」


 そう言いながら、女将は安堵の色を浮かべた。エイブリーはただならぬ様子に、眉をひそめる。


「何の話だ?」

「ザガリーだよ。昨日、夕方過ぎに商談があると護衛と出かけて帰ってこないんだよ。たまに外に出かけてお酒を飲み過ぎる客もいるからね、連絡がなくてもあまり気にしていなかったんだけど……流石に一日経っても連絡がないと心配になって。警備隊にでも連絡した方がいいだろうかと相談していたところなんだ」

「昨夜から帰ってこない?」


 女将が頬に手を当て、一気にまくしたてる。カロラインの顔色がすぐに悪くなる。疲れもあるせいか、色々と不安なことが多いせいなのか、すぐに悪い方向へ想像してしまう。

 カロラインは体を震わせ、ぎゅっと両手を握りしめた。後ろに控えていたアンが気遣わしげにカロラインの背中を撫でる。


「そうなんだよ」

「どこに行くか言っていなかったかい?」

「商談先は街の中央にある貴族向けの宿だと言っていたね。その貴族向けの宿だけど、今はケンプ伯爵が全室、借り上げているらしいよ」

「ケンプ伯爵」


 小さな声で呟けば、女将は頷いた。


「ここ数年、この街をよく使うようになった隣国の貴族だ。商会の代表もしているようで、時々やってくるんだよ」

「初めて知った。僕はこの街で会ったことはない」

「エイブリー様、ザガリーもそうだけど、同じ時期に被ったことはないからね」


 この街に来るのは仕事だ。そのため、取り扱う商品が違うから会わなかったのだろう。そんな事情を想像しながら、カロラインはエイブリーの腕に触れた。


「エイブリー兄さま、お仕事が大切なのはわかるけど。ザガリーが心配なの」

「ああ、すまないね。女将、それでザガリーはその宿に行ってから戻ってこないということでいいかい?」

「間違いないよ。色々な人にザガリーを見かけたら、ひとまず連絡するようにと伝言しておいたからね。こんなこと、初めてだよ」


 女将は心配そうに表情を曇らせた。エイブリーは何やら思案気に顎に指をあてた。


「女将、貴族向けの宿に何か伝手はあるかな?」

「それがねぇ。あそこはちょっと格が違い過ぎて、気軽に声を掛けられる関係ではなくて」

「それもそうか。では、領主から紹介してもらって――」

「お話し中、少しよろしいですか」


 女将とエイブリーが話し込んでいると、初老の男性が声をかけてきた。宿の入り口の所に姿勢よく立っている。貴族の執事と変わりのない雰囲気がある。


「いらっしゃいませ。ご用件を伺いますよ」


 女将は先ほどまでの崩した態度ではなく、改まった態度で応じた。彼は小さく頷くと、エイブリーとカロラインを見る。


「そちらのお二方に、ご招待状を」

「僕たちに?」


 エイブリーはわざとらしく目を丸くした。初老の彼は重々しく頷く。


「ええ。主人が是非ともクレイ女子爵にご挨拶をしたいと」

「君の主人はケンプ伯爵かな?」

「そうでございます。私はケンプ伯爵の従者です」


 カロラインとエイブリーは顔を見合わせた。このタイミングでの招待に警戒心が大きくなる。


「……昨夜、ザガリーがケンプ伯爵と会っていると聞いたが」

「はい、そうでございます。御用が終われば、お会いできるかと」


 その答えに、行く選択肢しかなかった。



 案内された貴族向けの宿は、なるほどと頷けるほど豪華な建屋だった。貴族の別邸のような趣があり、上品な造りになっている。


 エイブリーにエスコートされて中に入れば、玄関ホールも広く、天井が高い。中央にある大階段は存在感がある。ブロンテ侯爵邸よりも劣っているものの、クレイ子爵邸よりは豪華だ。


 奥の方から支配人らしき人物が挨拶をしてくる。人当たりの良い人物で、こなれた感じがした。支配人は二人の後ろに控えている護衛とアンに視線を向けた。


「お連れ様は控えの部屋にご案内します」


 どうやら護衛とアンはここまでのようだ。不安そうにエイブリーを見れば、彼は心配ないとほほ笑んだ。


「控えの部屋にはザガリーの護衛もいるのか?」

「はい」

「そうか。では、ザガリーの護衛をここに連れてきてくれ」


 エイブリーが尊大に命令する。支配人は伺うように従者に目を向けた。


「勝手は困ります。ケンプ伯爵が招待したのですから」

「勝手はそちらだろう。我々に意見する権限は君にはないと思うが。ケンプ伯爵と話し合いたいわけじゃない。ここにザガリーを呼んでもらえればいい」


 従者は思い通りにならないのが気に入らないのか、表情を歪めた。


「それに」


 エイブリーは畳みかけるように続けた。


「私は侯爵家の人間だ。付き合いもない他国の伯爵が呼びつけるなんて無礼だと思わないか? しかも、我々を呼び出すためにザガリーを拘束までして」

「拘束などは……」


 従者は顔色を悪くしながら、反論した。


「そう? だったら今すぐ連れてくればいい。それで今回は不問にしよう」


 カロラインは二人のやり取りをじっと見入っていた。こうした権力を使ったやり取りは今までもほとんどやったことがない。カロラインがいつも参加する場所は子爵家よりも上位に位置する貴族が多く、どちらかと言えば譲らなくてはいけない立場だ。

 エイブリーに一緒に来てもらってよかった。きっと彼がいなかったらいい様に丸め込まれていたことが簡単に想像できる。


「それでよろしいですね? ケンプ伯爵」


 従者から廊下の奥へと目を向けると、物陰から一人の男性が現れた。


「まあ、ダメとは言えないな。だけど、あまり邪険にされるとこちらもついうっかり大事にしてしまうかもしれない」

「いいですよ、大事にしてもらっても」


 にっこりと音がついてしまいそうなほど、余裕の態度でエイブリーが告げる。ケンプ伯爵は予想外の反応だったのか、少しだけ戸惑った様子を見せる。


「知らないかもしれないが――」

「ジェイデン殿の未払いの借金ならリントン商会に送られた書類を見ましたよ。ただね、あの条件であるカロラインの婚約について、国に届け出が出されていない時点で契約は成立していないんですよ」

「は?」

「知らなかったみたいですね。カロラインがクレイ子爵家の継嗣でなければあの契約書だけで十分でしたが……幸いなことに彼女は継嗣でしたのでね。婚約するためには国に届け出が必要となります。ジェイデン殿が届け出をしなかったから、カロラインのクレイ女子爵継承とザガリーとの結婚を承認したのです」

「そんな話は一度も聞いたことがない」

「当たり前すぎて、わざわざ説明することではないですから。もう一つはジェイデン殿は色々と足りない人なので、もしかしたらごく当たり前のことを知らない可能性もあったかもしれませんね」


 カロラインは二人のやり取りを聞きつつ、ケンプ伯爵を観察した。ジェイデンに無理な借金を追わせて、クレイ子爵家を窮地に陥らせた相手だ。こうして同じ空間にいるだけでも嫌悪感が沸き起こってくる。


 顔色を悪くしたケンプ伯爵はエイブリーからカロラインの方へと視線をずらした。彼はカロラインを見ると、先ほどのやり取りなどなかったかのように嬉しそうに微笑んだ。その表と裏をひっくり返したかのような鮮やかな変化に、カロラインは思わず一歩後ろに体を引いた。


「ああ、やっぱり異母兄の娘だけある。素晴らしい瞳の色だ」


 どこか懐かしむような、うっとりとした響きにぞくりと背筋が凍った。この場から逃げたくなるが、お腹に力を入れた。そしてブロンテ侯爵夫人の仕草を必死に思い出す。カロラインは不安と恐怖をお腹の奥底に押し込めると、嫌悪感を露にした。


「なんて気持ちの悪い方なの。本当にこの方がケンプ伯爵ですか?」

「カロライン、多分そうだよ。僕も会ったことがないから、確かなことは言えないけど」


 エイブリーの返事に応えるよりも先に、ケンプ伯爵から驚きの声が上がる。


「気持ちが悪い?」

「まあ、自覚がなかったのですか? 見ず知らずの中年男性に血縁関係があるように親しげにされたら、誰でも気持ちが悪く思いますわ」

「確かに顔を合わせたのは今日が初めてだが、血縁関係はちゃんとある。君の母親は私の異母兄と結婚していた」


 ケンプ伯爵の言い分に、カロラインは呆れかえった。


「伯母から母がわたしを産む前に結婚していたことは聞いていますが、母は妊娠していないと判断されて実家に戻ったのです。そこに血縁関係を見出すのはおかしいですわ」


 淡々と説明しながら、カロラインは内心困っていた。ケンプ伯爵の目的がいまいち見えてこない。クレイ子爵家の乗っ取りは確かに仕掛けていたのだろうが、そこに証明できない血縁関係を持ち出してくる。戸惑いを瞳に乗せ、エイブリーを見た。彼もやや困惑気味に肩をすくめる。


「こうして話していても仕方がない。ザガリーを返してもらいます」


 エイブリーは邪魔にならないように控えていた支配人に案内するように指示をする。支配人はケンプ伯爵に問うような眼差しを向けるだけで、動かない。顧客の指示を優先するという意思表示に、エイブリーはため息をついた。


「ここに警備隊を呼んでもいいのだが。どうする?」


 警備隊が動くということは、領主にも報告が入る。


「はは、部屋に行くのは止めた方がいい。彼は昔の恋人とお楽しみ中なのでね」

「なんでそんなことに」

「平民は平民同士、結婚した方が幸せだからね。しかも想い合っていたというじゃないか。何、心配しなくても私が素晴らしい相手をカロラインに紹介するつもりだ」


 意味の分からない提案に、カロラインは恐怖しか感じなかった。エイブリーも大きくため息をつく。そして支配人に目を向けた。


「この男、本当にケンプ伯爵本人だろうね?」

「そう伺っております」

「調べればわかるか」


 エイブリーは護衛に向かって、ケンプ伯爵を拘束するように指示をする。ケンプ伯爵はふてぶてしい笑みを見せた。


「私は他国の貴族だ。それを勝手に拘束するのかい?」

「普通なら咎められるでしょうが、問題ありません」

「……クレイ女子爵には首飾りが必要ではないと?」


 自分がまずい立場にいることを感じたのか、すかさず首飾りを持ち出した。カロラインはため息をついた。


「首飾り、見つかりましたわ」

「何だって?」

「遠縁の方が覚えていてくださっていて、買い取っていてくださいましたの」


 交渉材料がなくなったことで、初めてケンプ伯爵が顔を歪ませた。


「君は私の姪だ。貴族は貴族と結婚するべきだ。今、別れないと後悔するぞ」


 国の違いからか、思想の違いからなのか。

 カロラインはこれ以上、会話を続けるのをやめた。何を考えているかなんて、知る必要はない。相手は今日初めて会った、無用な借金を負わせてきた人間だ。貴族らしい笑みを張り付け、ドレスを摘む。


「もう会うこともないでしょう。ごきげんよう」


 カロラインは背筋を伸ばし、動き出した支配人の後に続いた。


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