離縁のすすめ
案内されたサロンに着けば、一人の男性が長椅子から立ち上がった。街に出れば背の高い部類に入るザガリーと同じぐらいの長身の男だ。ザガリーよりはほんの少し年上、三十歳を少し超えたぐらいだろうか。
「やあ、随分待たせてしまったようで申し訳ない。ケンプ商会の代表とケンプ伯爵家当主を務めている」
商人というよりも貴族らしい柔らかな口調であった。こういうタイプはやりにくいため嫌いなんだと内心ぼやきながら、ザガリーも当たり障りのない挨拶を返す。
「リントンです。時間を作って頂いて感謝します。早速ですが、首飾りを確認させていただきたく」
「まあそう焦ることはないよ。折角の機会だ、少し世間話をしようじゃないか」
言われていることがわからなくて、ザガリーの眉間にしわが寄った。彼はザガリーの反応など気にする素振りもなく、使用人にお茶を用意するようにと指示をする。座るようにと促され、渋々ザガリーは向かいの席に腰を落ち着けた。
「手紙を送るのが遅くなったから、てっきり来ないだろうと思っていたんだ。それで他の商談を入れてしまった」
「いえ、こちらこそ突然の申し入れを受けていただきありがとうございます。ただ、予定以上の時間がかかってしまっていますので、こちらの事情も考えていただけるとありがたい」
言葉の端々に、彼のイライラがにじみ出ていた。ケンプ伯爵は声を立てて笑った。
「はは、女子爵と結婚したと言えどもやはり平民だな。このぐらいで苛立っていたらやっていけないだろうに」
「まだ結婚して間もありませんから。お手柔らかにお願いします」
「それにしても、平民なんかと結婚するよりももっといい話があったはずなんだが」
「……それは愛人になるお誘いのことを言っていますか?」
不思議そうな呟きを無視できなかった。余計なことを言わない方がいいとわかっているが、カロラインを馬鹿にしたような内容に口をついて出てしまう。
「愛人? いや、そうじゃなく……」
「では特になかったと思います。借金が膨れ上がり過ぎて、誰もが二の足を踏んでいましたから」
「実はこちらに返済について相談してもらうのを待っていたんだ」
言葉を濁していては伝わらないと思ったのか、嫌に具体的な話になった。ザガリーは不審な目を男に向けた。
「それは不可能だと思いますよ。借金が多岐にわたっていて、正直カロラインはつい最近までケンプ商会のことを知りませんでしたから」
「そんなばかな」
「事実です。誰もかれも、クレイ子爵家の支払い能力以上の借金を背負わせていましたから」
「そんなことになっているとは」
ケンプ伯爵はやや茫然として呟く。ザガリーは表情を引き締め、険のある目を向けた。
「ああ、なんか思ったようにいかないものだ。色々と探るのも面倒だ、正直に話そう。君、離縁してほしい」
「は?」
「平民が女子爵の婿だなんて、釣り合いが取れないじゃないか。心配しなくても、君にもカロライン嬢にも次の縁を見つけてある。悪いようにはしない」
いいことを言っていると言わんばかりの笑顔で告げられ、ザガリーは顔が引きつった。迂闊に言葉を返すことができず黙っていれば、さらにケンプ伯爵は続けた。
「それにカロライン嬢の結婚については私に権限があるはずなんだ」
「他国の貴族にそのような権限が認められていないはずです」
乏しい貴族の知識から、ザガリーは否定した。ケンプ伯爵は大きく頷く。
「普通なら。だが、ジェイデン殿への貸し付けの時に彼女の結婚について条件を入れてあった。相手の指定はしていなかったが、私の勧める相手と結婚すると契約内容にきちんと入れてある」
ザガリーは自分がまだまだ貴族社会の仕組みについて知らないことを後悔した。平民とは違い、貴族には貴族の法律がある。エイブリーと仕事上の関係ができてから、多少なりとも貴族の考え方に触れてきたが、考えが違い過ぎてすんなりと飲み込めないものも多い。
自分の中途半端な知識ではケンプ伯爵の言葉が正しいかどうかを判断することすらできない。しかしカロラインとの結婚が王族に認められ、カロラインが未成年ながら爵位を継承できたのは事実だ。
ジェイデンを完全排除するためにエイブリーがあらゆる方面から法の抜け穴を潰していたから、他国の貴族が何を言ってもこの結婚が覆ることはないはずだ。状況からの判断でしかなかったが、ザガリーは自分の勘を信じた。
ザガリーが考え込んでいるうちに、ケンプ伯爵はにこやかに続けた。
「それにね、私はカロライン嬢の叔父なんだ。姪の幸せを願っている。それには君では力不足だ」
「叔父?」
隣国の貴族がどうしたら叔父という立場になるのか。
ザガリーは眉をひそめ、いかにも心配をしているかのようにふるまう男をまじまじと観察する。
貴族らしい整った顔立ち、茶金の髪と緑の目。
どこをどう見ても、カロラインに似たところは一つもない。強いて言うならば、瞳が同じ緑色をしている。カロラインの人の目を引くほどのはっきりした美しいグリーンの瞳に比べれば、いささかぼんやりしたどこにでもある色合いだ。
「……似ているところが少しもないのに、叔父だと主張されても頷けない」
「ガートルードは異母兄の妻だった。カロラインは二人の子供だ」
「それが事実だとして」
ザガリーは面倒くさくなってきた。確かに自分は貴族には向いていない、そんなことを心でぼやきながらはっきりと告げる。
「カロラインの父はジェイデン殿で、前女子爵の前夫はカロラインの父親として認められていない」
「こちらが認めると言っているのだ。それにジェイデンも結婚する時にはすでに妊娠していたと証言している。カロラインのあの瞳は我が一族の持つ煌めきで――」
「話にならない。そもそも前女子爵とジェイデン殿の結婚は前国王陛下の口添えで成立したと聞いている。たとえ、カロラインの父親がジェイデン殿でなかったとしても、王族から祝福を受けているんだ。当事者である両親がすでに死んでいる状態で、親子関係が改められるとは思えない」
瞳の色が似ているから、という理由だけで親子関係が書き換えられるなんて、制度として怖すぎる。せめてガートルードが夫を亡くす前に妊娠が認められたらまた話は違うと思うが、ケンプ伯爵家はガートルードは妊娠していないという理由で婚姻終了手続きをしている。
どう考えても親子関係を覆すのは無茶な話だ。
自信満々だった男はザガリーの言葉に反応した。
「前国王陛下の口添え?」
「そうだ。ジェイデン殿を貴族にしておくための結婚だったと聞いている」
「……できれば素直に離縁に応じてもらいたかったが」
できれば、という枕詞に、ザガリーは反射的に立ち上がった。大体このフレーズを使う人間は碌な奴ではない。力技で解決するための責任をこちらにこすりつけているだけだ。
ケンプ伯爵はドアの前にいる使用人に目をやって合図をした。すると、扉が開いた。ザガリーはどれほど屈強な男たちが出てくるのかと身構えた。
「ザガリー!」
嬉しそうに飛び込んできたのはエリーだった。ザガリーは反射的にエリーを避けた。飛びつかれないように、距離を保つ。
「君が商会のために愛していた彼女を捨てて、カロライン嬢と結婚したと聞いている。貴族の後ろ盾は私がなってやるから、君は自分の思いを遂げるといい」
許容できない言葉の数々に、ザガリーの声が荒立った。
「一番嫌いな女を連れてくるなんて、どんな嫌がらせだ!」
「平民は平民同士結婚した方が上手くいくだろう?」
「余計なお世話だ。俺とカロラインはとても上手くいっている。勝手に決めつけるな」
ぶっきらぼうに吐き捨てれば、ケンプ伯爵が不可解そうな顔になった。
「……嬉しそうじゃないな?」
「当たり前だ」
「ザガリー、今は嫌いでも結婚して一緒に過ごせばきっと好きになるわ」
エリーの前向きすぎる発言に、鳥肌が立つ。エリーは両手を胸の前で握りしめ、どこかうっとりとした顔で見つめてきた。その現実を見ていないような表情に、ザガリーは顔をひきつらせた。
「どうしてそうなる」
「……行き違いがあったようだが、一晩話し合えばその気になるだろう」
「はあ? 一晩!?」
ザガリーが叫べば、ケンプ伯爵は良い笑顔を見せた。
「存分に話し合ってくれ。ここから出る時には離縁届と婚姻届にサインしてもらうよ」
「ちょっと待て!」
ケンプ伯爵を止めようと動いたが、エリーが邪魔をする。
「ありがとうございます。この恩は一生忘れません」
「気にしないでくれ。幸せな恋人たちの誕生の手伝いは尊いものだ」
ケンプ伯爵は使用人を連れて、部屋から出ていった。かちりと鍵がかかる音が嫌に大きく響いた。
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