急いできたのに待たされた
ザガリーが街についたのは日が暮れた時間だった。王都から出発して馬を換えながら騎乗で飛ばしてきたため、一日で到着した。
焦りもあって可能な限り飛ばしてきたが、とにかく疲れた。宿についたころには足が疲労で重かった。若い頃ならもう少し元気だったと自分の衰えを感じながら、護衛として一緒に来たリックターに馬を渡す。リックターは十歳ほど年上で、ザガリーが商売を始めたころからの付き合いだ。今では一番信用している護衛だ。
「交渉は明日だな。今日はゆっくりしてくれ」
「ああ、そうさせてもらう。まずはこの子たちを預けてくる」
リックターはそう言いながら、二頭の馬の首筋を順番にぽんぽんと撫でた。今回無茶な移動で借りた馬であったが、とても人懐こい。
「十分にケアしてもらってくれ」
「明日にはまた王都に戻るんだろう?」
「ああ。今すぐにでもカロラインに会いたいからな」
「あの来るもの拒まぬザガリーがねぇ。変われば変わるものだな」
カロラインと出会う前のザガリーを知っているリックターは感心したように呟いた。ザガリーは彼の呟きを流し、宿に入った。
用意された二人部屋に入った途端、どっと疲れが襲う。面倒だと思いつつも、風呂で旅の汚れを落としさっぱりとした。食事に行くよりも横になりたい。ごろりとベッドに横になれば、リックターが部屋にやってきた。
「食事はどうする?」
「いらない」
「俺は食べに行くが……何か買ってこようか」
「そうだな。簡単に食べられるものがいい」
適当なリクエストをして目を閉じた。だが、疲れているのに眠気はさっぱり訪れない。ケンプ商会に対する警戒心が頭の片隅にいすわっていて、ますます眠気を遠ざける。
しばらく無駄な葛藤をしていたが、ドアの開く音で目を開けた。リックターが起き上がったザガリーを見て、目を丸くする。
「起きていたのか」
「疲れているから眠れると思ったけど、色々考えていたら目が冴えた」
素直に言えば、リックターは笑う。
「交渉相手をそんなに気にするなんて珍しい」
「俺もそう思う。こんなにも落ち着かない気分でいるのは一番最初の商談以来だ」
リックターがテーブルの上に買ってきた食事を広げた。大量の料理に腹の虫がなる。
「腹が空いているから、変なことばかり考えるんだ」
リックターは取り合えず食えと手招きする。ザガリーはベッドから降り、椅子に座った。
塩で味付けした大量の肉とパンとそして酒。リックターの好みで選ばれた食事はとにかくボリュームがあった。
パンに肉を挟みこむと、大きく口を開けてかぶりつく。リックターは酒をコップに注ぐ。
「ケンプ商会は関わったことがないが、印象が悪い」
「考えすぎじゃないか?」
「そうかもな。でも封書を持ってきたのがマークだったから、嫌悪感はすさまじい」
「マークか。確かにあの男がすり寄っているのなら、ザガリーにとってあまりいいことじゃないんだろうな」
リックターは顔をしかめた。リックターは護衛として側にいることが多く、ザガリーと親しくなろうと躍起になっていたマークのことを知っていた。さらにその気のないザガリーに妹をけしかけていたのも知っている。
「早く終わりにして王都に帰りたい」
「さっきからそればかりだな。多額の借金を肩代わりしたのは商会のためだけではなかったんだ」
「商会のためでもある。だが一番は俺が彼女を助けたかったからだ」
照れることもなく言えば、リックターは顔をひきつらせた。女にだらしないわけではないが、早い周期で付き合う相手が入れ替わる、どこか冷めた男はどこにもいなかった。
「お貴族様のやることはよくわからないが、子爵家は何で一人娘を苦しめるほどの借金をしたんだろう。普通に考えて破滅しかないだろうに」
「父親がクズだからな。借金して高価なものを買って、そのまま換金していた」
「初めから娘を売るつもりだったということか。実の娘をねぇ。貴族はえげつないな」
誰が聞いてもそう思うだろう。ザガリーは最後の肉を口の中に突っ込んだ。
「誰でもわかるその状態でカロラインの父親に高額商品を売りつけていたんだから、ケンプ商会もグルだと思う」
「支払いができそうにない相手には普通、商売しないものだからな」
そこまで話して、リックターは嫌そうな顔になった。
「……ケンプ商会、明日の交渉の相手だよな?」
「その通り」
「無理だろ、それ。絶対に難題を突き付けてくるぞ」
難題、と言われて、ザガリーはため息をついた。
「そうだよな、普通そう思うよな」
「おいおい、大丈夫か」
「何とかするしかない」
避けては通れないのなら、引くわけにはいかない。
◆
朝、指定された宿に先触れを出せば商談で予定が埋まっているため、数日待ってほしいとの連絡をもらった。こちらとしては早く確認をして、王都に戻りたいというのにだ。
「なんだろう、すごくイラつく」
「はは。気持ちはわかるが、曖昧な約束だったからな」
「夜にでもちょっと時間を作ればいいだけの話だろうが」
ザガリーが吐き出すように悪態をつく。
「ケンプ商会は貴族が代表だろう? まあこういう対応になるな、普通は」
リックターは笑いながら宥めた。貴族が代表という言葉に、ザガリーは渋面になった。
商会には商人が興したものと、貴族が自分の領地の特産物などを扱うために興したものがある。ザガリーのリントン商会は行商人から始めて自分の店を持つに至ったが、ケンプ商会は貴族の家が興したものだ。集めた情報から、ケンプ商会は芸術品や骨とう品など、希少価値の高いものを取り扱っている。
今でこそエイブリーやカロラインとのつながりがあるため、貴族と約束をしても待たされることはほとんどない。だが、その前までは結構頻繁にあった。何の後ろ盾もない商人をまともに相手にする貴族はごく少数だ。よく知っていたはずだったが、ここ数年様変わりした己の立場ですっかり忘れていた。
「しかも隣国はこの国よりも貴族至上主義だ。女子爵の配偶者と言えども元は平民、すぐに会うのはプライドが許さないのだろう」
ザガリーと一緒に仕事をする前に色々な国で護衛をしていた男は、のんびりとそんなことを言う。ザガリーは貴族の矜持に振り回されていたこともあるので、理解できないわけではない。
気持ちを落ち着けようと、ザガリーは大きく息を吸った。
「まあ、のんびりと待とうじゃないか。かりかりしたら相手の思うつぼだぞ」
「わかっている」
「暇なら奥さんの土産でも探したらどうだ」
奥さんの土産、と聞いて力が抜けた。
「……そうだな。折角だから何か探すか」
ザガリーはリックターを連れて、市場へと足を運んだ。
そして面会を申し入れてから二日後の朝。夕方なら時間が取れるとの連絡が入った。
光沢のある白のシャツに紺色のクラヴァットを締める。ベストを着こみ、上着を羽織った。どれもこれも上質なものであるが、それでも下位貴族が身に着ける程度の品だ。商会で会う人間が誰であるかわからないため、ほどほどにしている。
訪問するようにと記された宿を訪ねれば、すぐさま通された。
「リントン商会のザガリー様でございますね。お待ちしておりました。奥のサロンにてご主人様がお待ちしております」
慇懃無礼な態度で挨拶をする初老の使用人を見て、ザガリーは気を引き締めた。使用人の態度でどのタイプの貴族であるかは判断できる。エイブリーと出会う前によく交渉した気位の高い貴族の家にいた使用人とよく似ていた。
「大変申し訳ありませんが、護衛の方はここまででお願いします」
「しかし……」
リックターが困ったようにザガリーを見る。ザガリーは内心ぎりぎりとしながらも、落ち着いた様子で頷いた。
「リックター、ここは引いてくれ。ケンプ商会はしっかりとした商会だと評判だ。何も心配いらないだろう」
当て擦りのように告げれば、使用人は眉をわずかに震わせた。
「……こちらへどうぞ」
ザガリーは気合を入れて使用人の後に続いた。