ブロンテ侯爵邸でのお茶会
ブロンテ侯爵邸でのお茶会の会場に入ってすぐに足を止めた。手入れの行き届いた庭園には沢山の紳士や貴婦人が楽し気に語らっている。開始時刻よりも早めに到着したつもりだったが、すでにかなりの人数が集まっていた。
お茶会は最近出席するようになって慣れたと感じていたのは早計だった。この国の貴族なら全員知っている上位貴族の人たちの顔ぶれを見て、カロラインは胃がしくしくと痛くなった。
このお茶会の目的は、カロラインが女子爵になったことを周知すること。本来なら、幼い頃から社交界に継嗣として参加していれば必要のない催しであるが、クレイ子爵家がごたごたしていてきちんとした顔見せはしてこなかった。突然お披露目をするよりもある程度根回しをしておいた方がスムーズに受け入れられる。
ブロンテ侯爵夫人はそう熱心に尻込みするカロラインへ説明した。カロライン自身、貴族とのつながりが薄いという自覚がある。でもできることなら、今すぐ馬車に飛び乗って帰りたいというのが本音だ。今まで経験のない緊張感でどうにかなってしまいそうだった。
「カロライン、ここにいたのか」
人の多さに怯んで庭園に入れずに立っていたら、エイブリーがやってきた。華やかな茶会に似合うフリルの多いブラウスにかっちりとした上着を着て隙のない出で立ちだ。
「エイブリー兄さま」
「たくさん集まったから、戸惑っているんじゃないかと思って探していたんだ」
「その通りよ。想像していたよりもはるかに沢山の人がいるのですもの」
カロラインは素直に気持ちを伝えた。緊張のあまり、手が震えている。すでに場の雰囲気にのまれていた。ザガリーが隣にいたら、また違っていたのだろうが、今は一人だ。
「ザガリーはまだ帰ってこないのか?」
「ええ」
「そうか。交渉が長引いたのかもな」
その可能性は副商会長であるゴードリーからも伝えられていた。とにかく距離が離れているので、すぐに連絡することができず、様子を見に行くにも日数がかかる。ザガリーと一緒に行動しているのは信頼できる護衛であることと、交渉で予定が伸びてしまうのはよくあることだと聞かされていた。
「そんな顔をしない。何を誤魔化すにしても笑顔だ。笑顔を浮かべ続ければ、どんな失敗も見逃される」
「わかっているけど……」
「じゃあ、ザガリーが帰ってきてから何をするかを常に考えていればいいよ。招待客には笑顔で当たり障りのない挨拶をすればいいだけだから」
しっかりと腕を掴まれて、カロラインは会場へと入った。一斉に向けられる視線に、俯きそうになる。
「大丈夫だ。カロラインが綺麗だから見ているだけだ」
「綺麗に見えるのはドレスが素晴らしいから……」
「そのドレス、ザガリーが選んだものだろう?」
そう言われて、ほんの少しだけ目を下げた。これ以上はいらないと言っていても、ザガリーは沢山のドレスをカロラインに作る。どれもこれも最先端のデザインのもので、しかもカロラインによく似あっていた。着飾ったことがほとんどなかったカロラインには躊躇うようなデザインであっても、着てみれば不思議と華やかさと上品さがあった。
「そうね、ザガリーは新しいものを身に着けて、宣伝してきてほしいと言っていたわ」
「はは、彼らしいね」
カロラインは気持ちを切り替えるために大きく呼吸をしてから、顔をしっかりとあげた。
◆
気持ちを切り替えたのがよかったのか、挨拶を始めてしまえば、さほど苦痛ではなかった。声をかけるたびに、多少の値踏みをされたぐらいだ。挨拶する中でじろじろとあからさまに見る人もいたが、仕方がないと苦笑できるほどになっていた。
「あと少しで挨拶回りは終わりだ。そのあと少し休憩して、今度は同世代の令嬢達と」
「わかったわ」
エイブリーは効率よく挨拶する相手を選んでくれるので、カロラインはとにかく笑顔で対応すればよかった。それでも気を張っているせいなのか、やや疲れを感じる。エイブリーに連れられて会場を歩いていれば、声を掛けられた。
「結婚したと聞いていたが、これほど美しくなるとは」
少し砕けた言葉を聞いて、カロラインの笑顔がこわばった。エイブリーも足を止め、声をかけてきたロング伯爵を見た。
「ロング伯爵。それにご夫人も」
「主人にカロライン嬢のお話をしたらぜひ会いたいというので、エスコートしてもらうことにしたの」
ロング伯爵夫人は困ったような笑みを浮かべた。普段この二人が一緒に行動をするのは大きな夜会だけで、大抵は一人で参加する。ロング伯爵はあちらこちらに愛人がいると噂されているし、ロング伯爵夫人は男女のいざこざから一歩引いたような立ち位置だ。
「ごきげんよう」
カロラインは仕方がなくロング伯爵夫妻に挨拶をした。エイブリーはロング伯爵がカロラインを口説いていたのを知っていたので、後ろに庇うようにして立つ。
「先日、ご主人の方に招待状を送ったのだが、断られてしまってね。あれからなかなか時間が取れずに、会うのがこんなにも遅くなってしまった」
「せっかくのお誘いでしたのに、申し訳ありませんでした。色々な手続きで少し立て込んでおりまして……最近、ようやく社交界の方にも時間が取れるようになったところです」
当たり障りのないことを言えば、ロング伯爵夫人が口を挟んだ。
「うふふ。主人はね、カロライン嬢が他の人のものになってしまってちょっと拗ねていたのよ。だから、いつまでも連絡しないなんて意地の悪いことをしていたのよね」
「はあ」
本妻を前にして何と答えたらいいのか、わからず曖昧に微笑んだ。ロング伯爵夫人は渋い顔をしている自分の夫の腕を急かすように叩いた。
「幸せそうなカロライン嬢を見られたことに満足すべきなんだろうな」
「当然ですわ。彼女はガートルードではありませんのよ?」
ロング伯爵夫人の口から母の名前が出てきたことで、カロラインはほとほと困ってしまった。ガートルードとロング伯爵夫妻との間に何があったか、知らないのだ。ちらりと隣に立つエイブリーに視線を送った。エイブリーも苦笑しつつ、助け舟を出してくれる。
「それ以上はまたの機会に。挨拶も残ってますので、そろそろ失礼させてもらいます」
「ああ、待ってくれ」
歩き出そうとしたエイブリーをロング伯爵が引き留めた。エイブリーは視線だけで問いかける。
「カロライン嬢の祝いに首飾りを譲りたい」
「いりません」
首飾りと聞いて、反射的に断った。ロング伯爵から贈られた首飾りを付けるなんてありえない。
そんな気持ちが分かったのか、ロング伯爵夫人が口添えをした。
「あなた、事情を説明しないと誤解をしてしまうわ」
「そうだな。カロライン嬢――クレイ女子爵には必要な首飾りのはずだ。君の父上が売り払ったものを買いとったんだ」
「え?」
信じられなくて茫然とした。エイブリーはすぐさま使用人に部屋を用意するようにを指示をする。
「ここでは詳しくお話が聞けませんので、別室でお願いします」
「ああ、そうだろうな」
エイブリーの冷静な声にカロラインは気持ちを引き締めた。ロング伯爵に聞くのは嫌だったので、彼の隣に立つ夫人に疑問をぶつける。
「どうしてお母さまの首飾りをロング伯爵が持っているのでしょうか?」
「とある宝石商が引き取ってほしいと持ってきたのよ」
「信じられないと思うけど、事実よ。その宝石商は事情を説明してくださって。もちろん、わたくしも確認したからクレイ子爵家から持ち出されたもので間違いないわ。ガートルードの瞳と同じ濃い緑色の大きな宝石がついている首飾りよ」
ロング伯爵夫人が嘘をついているとは思えなかった。カロラインは震える手を握りしめた。
「じゃあ、ケンプ商会が持っているというのは……」
「ケンプ商会は持っていないだろう。一年ほど前だが、私が別の宝石商から購入したわけだから」
ロング伯爵が不思議そうに答えた。
「でもケンプ商会からはわたしの探している物を持っているかもしれないと連絡をもらっていて」
「ほう? それはまたおかしな話だ」
嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
手紙を持ってきたのがエリーの兄であるマークであること、今までクレイ子爵家に無理な借金をさせてまで物を購入させてきた商会、そして何よりも、予定よりも遅れているザガリーの帰り。
「カロライン、落ち着くんだ。きちんと情報は整理しないといけない」
「わかっているわ。でも」
一度生まれた悪い想像は簡単に振り払えなかった。