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ケンプ商会からの封書


「暇だな」

「暇?! ではこちらの計算をお願いします」


 商会長室で呟けば、副商会長であるゴードリーがギラリと睨んできた。カロラインのお披露目の前に買い付けに出かけようと思って調整をしていたが、何やら心配なことが多いので取りやめた。

 そのために、時間にゆとりができたわけだ。ゆとりのできた時間を使って、カロラインと一緒に社交にいそしんでいる。三日に一度はどこかの茶会や夜会に参加し、仲の良いところを見せて回った。

 お披露目まであと一か月といったところだが、社交を始めると想像していた以上に忙しい。


「ああ、いいぞ」


 やることもなくぼけっとしているよりはいいかと、頷いた。ゴードリーはまさか了承されるとは思わず、顔を引きつらせる。


「……随分と丸くなりましたね。これもカロライン様のおかげですか」

「何を言っているんだ。俺に変わったところなんてない」

「いいえ、変わりましたよ。自分の仕事以外に手を貸すなんてなかったはずです」


 きっぱりと断言されて、ザガリーは口をへの字にした。ゴードリーはそんな上司を横目で確認して、書類に目を戻す。


「しかし、一体どこで知り合ったのです? 子爵家の当主で美人、さらには平民を見下さない人格者だ」

「借金がハンパなかったけどな」

「それを差し引いても、ザガリーには得しかないでしょう」

「まあな。平民が貴族の一員になるわけだから」

「商会のことを考えての結婚なら、カロライン様以上にいい条件の令嬢もいたでしょうに」


 この国は身分制度自体が緩やかに崩壊し始めている。だから今のザガリーなら長女でなければ、ある程度の身分の令嬢と結婚することが可能だ。だが、ここまで事業を拡大し、急成長したのは理由がある。


 この商会はザガリーが立ち上げたが、設立当初、さほど儲かっている商会ではなかった。ごく普通に、国外からものを買付け、それを売る。従業員は数人、規模もとても小さいものであったが、自分の選んだものが売れていくのが面白くてずっと続けていた。


 転機になったのは、エイブリーとの出会いだ。

 エイブリーはブロンテ侯爵家の跡取りであったが、非常に先進的な考え方をする人物で、今後の貴族社会の変化を冷静に見つめていた。エイブリーは自分の手足のように使える商会を探していて、彼の考えている事業に選ばれたのがザガリーの商会だ。それが数年前の話で、共同経営とはいかなくとも信頼のおける相手として二人は親しく付き合い始めた。


「確かに俺が令嬢の我儘と高慢な性格を我慢するという条件なら侯爵家の三女とか四女とかもいたな」


 何人か、自分の娘を連れた貴族が挨拶にやってきたのを思い出す。明らかにこちらを見下した令嬢は碌な挨拶もせず、非常に不愉快だった。こちらにすりよってきたにもかかわらず、親子して平民と結婚してやるのだからという態度を崩すことはなかった。


「とはいえ、適当に金を出しておけば商売がうまくいくんです。変なことをしないように見目のいい愛人をあてがっておけば自由に動けたのでは」


 事業拡大としての縁談と割り切ればそうかもしれない。


「カロラインを知る前だったらそう考えたかもな」

「知る前? 夜会の時が初対面ではないのですか?」


 もっともな疑問に、ザガリーは笑った。


「二年ほど前から知っている」

「ははぁ、なるほど、そういうわけですね」


 何を理解したのか、納得したように何度も何度も頷いている。ザガリーはその何でもわかっているような態度が気に入らずに眉を寄せた。


「何がなるほどなんだ」

「二年前、ザガリーの態度が変わったので何かあったのかと思いましたが。目の前にカロライン様をぶら下げられて奮起したわけですか」


 ゴードリーに見抜かれて、ザガリーは言葉がすぐに出てこなかった。


「……そんなにも分かりやすかったか」

「ええ、そりゃあね。買い付けや交渉は嬉々としてやっていましたが、面倒くさい書類仕事は丸投げだったでしょうが。だけど二年ほど前から、丸投げするだけでなくその結果もきちんと精査するようになったので。てっきりエイブリー様と事業を始めたからだと思いましたが、そうですか、そうですか。いいお話ですね」


 そう指摘されて、過去の自分の行動を思い出す。

 確かにザガリーは外に出るのが好きだった。色々な場所に行って売れそうな商品を見つけ、持ち帰る。それが王都で売れると満足して、また旅に出る。資金繰りや役所への色々な手続きなどはすべてこのゴードリーが行ってきた。彼は彼で、どこかに出かけるよりも書類仕事が大好きな人間だ。お互いが苦手なところを補って商会を切り盛りしてきた。


「一目惚れ、いいですね。カロライン様は二年前も可憐だったでしょうから」

「うーん、想像するのは勝手だが、二年前は可憐ではなかったぞ」

「どうしてです? 二年前なら今よりも借金は少なかったでしょうに」

「借金は確かに少なかった。だが食事が少なかったのか、とても痩せていたし、いつも沈んだ顔をしていたな。子爵代理だった父親、あれがクズで」


 詳しくは説明しなかったが、クズの一言で思い当たることがあったようだ。ゴードリーはわかりやすく怒気を露にした。


「は? あの押しかけてきた後妻だけでなく?」

「ああ。時々、王都の屋敷にやってきて金を出せと殴っていたそうだ」

「どこにでもいるクズ親ですが……腹が立ちますね」


 カロラインを見かけたのは、たまたまだった。定期的に寄付している孤児院併設の教会で見かけた。初めは少し裕福な平民かと思っていたが、孤児院長に子爵家の令嬢だと教えられた。そして、その名前から、時々エイブリーから話を聞く令嬢だと思い当たった。


 子爵家の継嗣でありながら、カロラインはとても優しい性格だった。孤児院には布や野菜などの差し入れを持ってくる。孤児院の子供たちもとても懐いていた。


 ザガリーの周りにいる女性はとても野心的な人間が多く、平気で人を傷つける性格の人間が多い。平民であっても成功者であるザガリーに群がる女は平民も貴族もいた。だからこそ、彼女のその欲のない立ち振る舞いがとても眩しく感じた。


「それでも前を向いて頑張っている彼女を助けてやりたいと思ったんだ」

「あれ、それならば結婚を申し込んだのはザガリーから? エイブリー様に頼まれたわけではなく?」

「もちろん」


 当然だと胸を張れば、驚きの目を向けられた。


「あなたにそんな情緒があったとは……」

「エイブリーに相談した時には殴られた」

「そりゃそうでしょうが。あなたはずっと女性関係もふらふらしていましたしね」


 触られたくない過去を突っつかれて、ザガリーは黙った。ザガリーもどこにでもいる二十五歳の男だ。それなりに女性とは付き合ってきたし、綺麗な恋愛ばかりではない。だがカロラインを知った後は付き合った女性はいない。


「そういえば、話は変わりますが」


 ゴードリーはそう前置きした。ザガリーはこれ以上自分の恋愛について小言を言われるのはイヤだったので、ほっとする。


「マークが別の商会に入ったとか」

「マークがどこに入ろうとどうでもいいんだが」


 どうでもいい情報に、ザガリーの興味が失せた。ゴードリーは小さく笑うと、それだけじゃないと続ける。


「三日前に、これを持ってきたんですよ」


 そう言って差し出されたのは一通の封書。

 ザガリーは取りに行く気にもなれずに、座ったままだ。


「なんで今出すんだよ」

「忙しくてついうっかり忘れていました」

「お前な」


 忙しかったのは本当だろう。だが、ゴードリーは慎重だ。きっと他の情報を集めていたに違いない。ため息交じりに立ち上がると、彼の手から封書を奪った。

 封書の表を見てから裏を見る。そこにはケンプ商会の印がある。


「参ったな」

「どうやら彼はケンプ商会に雇われたようです。あなたと顔見知りだということで封書を持ってきました」

「嫌な予感しかしない」


 しばらくじっとケンプ商会の印を見ていたが、息を吐くとペーパーナイフを手に取った。


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