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憂鬱な気持ち


「カロライン?」


 遠くで名前を呼ぶ声がした。出迎えないと、と思うが、重い瞼はなかなか上がらない。ザガリーが帰ってくるまでと寝支度を終えた後長椅子で寛ぎながら本を読んでいたが、眠気に勝てずにうつらうつらしていた。


「カロライン、ここで寝ると風邪をひく」


 肩を優しく掴まれゆっくりと揺すられた。徐々に意識が浮上し、うっすらと目を開けた。目の前には覗き込むようにして身をかがめるザガリーがいる。


「ん……ザガリー?」

「そうだ。疲れているなら先に休んでほしい」

「おかえりなさい」


 まだはっきりしない頭で、カロラインは伸びあがるとザガリーの首に腕を巻き付けた。伸びあがった時に本が床に落ちた音がしたが、気にせず強く彼の首を引き寄せた。

 彼も一日の汚れを落としてきたのだろう、爽やかな石鹸の香りが鼻腔を擽る。寝ぼけているカロラインはふにゃりと表情を緩めた。何も考えずに彼の首元に顔をこすりつける。


「今日は随分と甘えっ子だ」

「こんなわたしは嫌い?」


 ザガリーの揶揄うような囁きに、カロラインは唇を尖らせた。


「いいや。もっとしてほしいぐらいだ」


 ザガリーはそう言いながら寝ぼけるカロラインを抱いて立ち上がる。急に体が浮いたので、落ちないようにとカロラインの腕に力が入った。

 カロラインの足裏に腕を通し、態勢を整えるとザガリーは長椅子に腰を下ろした。そして膝の上にカロラインを乗せる。


「……これはちょっと恥ずかしいわ」

「寝ぼけていれば気にならないだろう?」

「そうかもしれないけど、子供っぽいし」


 カロラインは顔をザガリーの胸に押し付けたまま、もぞもぞを居心地悪く体を動かす。恥ずかしさで顔じゅうが熱くなるの感じた。耳の裏まで赤くなっているような気がする。顔を隠したまま、そっと両手で耳を隠した。低い声で嬉しそうに笑い、ザガリーは耳を覆っている手に音を立ててキスを落とす。


「子供だとは思っていない。君は魅力的だから、いつだって誰かにとられないか心配だ」

「そういうことじゃなくて」


 カロラインは落ち着こうと息を吐いた。ザガリーはしばらく妻の恥ずかしがる様子を楽しんでいたが、カロラインが動かなくなったところで彼女の顎を掬い上げた。カロラインは抵抗しなかった。


 ザガリーは妻の浮かない顔を見て眉を寄せた。ブロンテ侯爵夫人との話の後、カロラインがふとした時に浮かない表情をしているのは知っていた。気持ちの整理がつかないのだろうと放っておいたのだが、数日も同じ様子を見せれば流石に心配になる。


「……考えるなとは言わないが、考えたところで過去は変わらないし、亡くなった人の気持ちを知ることはできない」

「そんなにひどい顔をしている?」

「ああ。初めて会った時以上に」

「それは、だいぶ酷いのね」


 カロラインはため息を落として、再びザガリーの体に頬を寄せた。体から力を抜くと、大きな手が優しく背中を撫でた。


「ブロンテ侯爵夫人から真実を聞いたことを後悔している?」

「いいえ。聞けて良かったと思っているわ」

「そうか。ブロンテ侯爵夫人も君がふさぎ込んでいないか、気にしてたよ」


 カロラインは目を丸くした。ちらりと視線をあげて、ザガリーを見つめる。


「今日、会ったの?」

「ああ。随分と気になっていたようで、エイブリーを伴ってわざわざ商会に足を運んでくれた」

「まあ、それは悪いことをしてしまったわ。伯母様には真実を教えてもらってありがたいと思っているのに」

「本当に?」

「ええ。知ってよかった。お父さまがどうしてお母さまに目を付けたかわからないけど、お母さまがお父さまを嫌っていた理由がわかったもの」


 カロラインが嫌われる理由はわからないが、両親の仲の悪さは仕方がないと思えるような出来事だった。


「君の母上はとても美しい人じゃないか」

「確かにお母さまはとても綺麗だったわ。でもお父さまの理由はどちらかというと、お金だと思うわ」

「それで、俺の奥さんは何をそんなに悩んでいるんだ?」

「わたし、望まれていなかった子供なんだと思って。なんだかお母さまに申し訳なくて」


 辛そうに吐き出されたカロラインの言葉に、ザガリーは首を傾げた。


「エイブリーとブロンテ侯爵夫人からの話しか知らないが、君の母上はとても娘を大切に育てていたと思う」

「それはそうだけど」


 カロラインは自分がガートルードにたっぷり愛されて育っていると思っている。産まなければよかったとか、愛せないとかそういう気持ちは少しも向けられたことはない。どちらかと言えば、そういう憎々し気な目を向けてくるのはジェイデンの方だった。


「……わたしがお父さまに似ていなかったから愛されたのかも」

「そういうところもあるかもしれないが、父親に似ていても最終的には愛してくれていたと思うよ」


 慰めるような言葉にカロラインは小さく笑った。


「わたし、小さい時からお父さまに嫌われていたから、お母さまにまで嫌われていたら辛いなと思って」

「難しく考えすぎじゃないか? 愛されていたという実感があるならその仮定はいらない」


 自分でもネガティブすぎると思っていることをさらりと否定されて、気持ちが次第に落ち着いていった。ガートルードは確かに娘を愛してくれていた。それは紛れもない事実だ。


「はあ、気持ちがようやくお腹に落ちそう」

「それはよかった。あまりにも落ち込んでいるようだったら、気晴らしにどこかに出かけようかと思っていたんだ」


 カロラインはザガリーの言葉に顔色を悪くした。


「そこまで心配させてしまったのね。ごめんなさい」

「謝ることはない。夫婦なんだ。辛い時に支え合うものだろう?」

「ザガリー、優しすぎ」

「それだけ君が大切なんだ」


 とてもまじめに伝えてもらったのに、甘さを含んだ彼の言葉はとてもくすぐったくて視線を落とした。無意味に指をさすりながら、ドキドキする心を押さえつけようとする。


「わたしもザガリーの支えになりたいわ」

「君が笑顔で側にいてくれるだけで十分に支えになるよ」

「もう! 折角落ち着いてきたのに」


 再び胸が高鳴ったので、八つ当たり気味にザガリーの胸を拳で叩いた。ザガリーは声をあげて笑うと、カロラインの拳を大きな手で包み込んだ。


「休みを取るよ。のんびりと郊外の庭園で散策してもいいし、観劇に行くのでもいいな」

「ダメよ。遠方にお仕事に行く予定があるでしょう?」

「その話は延期になった。エイブリーが謁見とお披露目が終わった後にしろと」


 カロラインは疑いの目を向けた。ザガリーは苦笑する。


「その代わりに、首飾りを探せと言われた」

「商会は大丈夫なの?」

「大丈夫だ。ゴードリーもいるし、先方にはエイブリーから上手く言ってくれた」


 そういうものだと言われれば、頷くしかできず。

 どこか釈然としないながらも、カロラインはそれ以上は言わなかった。


「首飾り、謁見までに見つけるのは難しい気がするわ」

「だが、探さないわけにはいかないだろう?」

「そうなのよね。でも情報すら出てこないのですもの」


 ため息しか出てこない。ジェイデンは借金のかたに取り立ててきた人に他のものとまとめて渡したと言っているらしく、相手を特定するのを難しくしていた。それだけジェイデンは方々に借金を重ねていたわけだ。カロラインが把握している相手にはすべて当たったが、そちらには首飾りは渡っていなかった。


「エイブリーも色々と手を尽くしている。きっと見つかるさ」

「意外と楽観的?」

「楽観的というよりも直感。そういう予感がする」

「ザガリー、直感を信じる人?」


 驚きに目を瞬けば、ザガリーはニヤリと笑った。


「カロラインも一目見ていいと思った」

「……!!」


 まさか自分のことを言われるとは思っていなかったので、カロラインは真っ赤になった。


「ど、どうして今日はそんなにも……いつもはもっと大人の対応で」

「奥さんが可愛く甘えてくるから仕方がない」


 何がどう仕方がないかわからないが、これ以上何かを囁かれたら頭が沸騰してしまいそうなので、ザガリーの口を両手でふさいだ。


「もう今日は何も話さないで」


 だがそんな言葉が通じるわけもなく。ザガリーは手のひらにキスをすると、大切そうにぎゅっと抱きしめた。 


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