侯爵家に向かう馬車の中で
出掛けよう、と誘われて気軽に馬車に乗り込んだ。ザガリーは隙間時間ができると、カロラインを色々なところに連れて行ってくれるので、いつものお出かけかと思ったのは仕方がないはずだ。腰を落ち着けて、行き先を聞いてカロラインは唖然とした。
「え? ブロンテ侯爵家?」
「ああ。お披露目の打ち合わせをするから来てほしいとブロンテ侯爵夫人から連絡をもらった」
「伯母様から!? わたし、訪問するような恰好じゃないのだけど」
まさかの行き先に、カロラインは項垂れた。視線を下げた先に見えたのは、くすみピンク色の華やかなドレス。少しでもザガリーに好きでいてもらいたい気持ちと、綺麗だと言ってもらいたい女性らしい願いが結婚前には着たことすらない華やかで娘らしい色を選んでいた。だがふわっとした色はブロンテ侯爵家に行くにはやや不釣り合いだった。
「……おかしな格好ではないと思うが」
「街を散策するにはね。侯爵家へ行くのだから、もう少しその」
「俺も何度か招待されているが、特別なものは着ていかなかった」
本気でわからないようで、ザガリーは首を傾げる。カロラインはため息をついた。
「ブロンテ侯爵家にお招きされている時は落ち着いた色味のドレスにしているの。もう女子爵になったし、結婚したから落ち着きのある方が」
「今の方が華やかで好きだ。それにカロラインによく似あっている」
ザガリーはひどく真面目な顔で言い切った。カロラインは嬉しく思いながらも、どうにかこの気持ちを理解してもらおうと言葉を重ねる。
「ありがとう。ザガリーにそう思ってもらえるのは嬉しい。でも、そういう問題じゃなくて」
「だがマナー違反ではないだろう?」
「そうね、マナー違反ではないわ。でも男性と女性は違うのよ」
「そのあたりはよくわからないが、気になるなら屋敷に戻ろうか?」
「時間は大丈夫?」
約束の時間がわからないので尋ねれば、かなりぎりぎりだ。カロラインは戻らなくていいとザガリーに告げた。遅刻はザガリーの評価も下げるが、ドレスの色はちょっと顔をしかめられる程度だ。
「本当に?」
「ええ。わたしがきちんと女子爵らしい振る舞いをすればきっと大丈夫なはず」
ザガリーは小さく頷く。
「ブロンテ侯爵夫人はいつもカロラインを心配している。そう固く考えなくてもいいと思うんだが」
「そうね、お母さまが亡くなってからは母代わりとして色々と世話をしてもらったわ」
ブロンテ侯爵夫人はカロラインの母であるガートルードと親しい友人関係があった。だから、幼い頃は母と一緒に侯爵家に遊びにも行った。
「カロラインの母上について聞いてもいいだろうか」
言いにくそうにしながらも、しっかりとした声でザガリーは聞いてきた。
「ええ、もちろんよ。何を知りたいの?」
「とても優れた女性だということはエイブリーやブロンテ侯爵夫人から聞いているのだが、君にとってどんな母親だったのだろうと」
「どんな……と言われると、普通の母としか」
カロラインは久しぶりに母を思い出した。最近は忙しさと、そして幸せな時間に過去を懐かしむことが少なくなっていた。一人で何でもかんでもしなくてはいけなかった状況の時には、いつも元気だったころの母を思い出し、先に広がる不安を見ないようにしていた。
そのことに気が付いて、カロラインは目を瞬いた。
「どうした?」
「お母さまが亡くなってから辛いことばかりで、いつもお母さまを思い出して泣いていたの。それなのに、最近は思い出すこともほとんどなくて。薄情だなと思って」
自嘲気味に説明すれば、ザガリーは不思議そうな顔になる。
「別に悪いことではないだろう? 君の母上はそんなことで文句をいう人だったか?」
「……いいえ」
「だったら後ろめたく思う必要はないと思う。気になるのなら、今度一緒に挨拶に行こう」
素直に頷けば、ザガリーが微笑んだ。
「いい母上だったんだな」
「ええ。いつも領民のことを考えていて、貴族の当主としてどうあるべきかを教えてくれた。だけど厳しいだけじゃなくて。説明するのはとても難しいけれども、わたしはお母さまの娘でとても誇らしいわ」
そう微笑みを浮かべれば、ザガリーが目を細めた。
「結婚だけがはずれだったわけだ」
「ふふ。はっきり言うのね」
「君の父親ではあるが、人として尊敬できそうにない」
ザガリーは悪びれることなく言う。カロラインは声を立てて笑った。
「娘のわたしもそう思うのだから、仕方がないわ。お母さまはどうしてダメダメ尽くしのお父さまと結婚したのかしら」
「政略結婚なんだろう?」
政略、と言われてカロラインはうーんと唸った。
「政略とは言い切れないのよ。お父さまは貴族の庶子で、お母さまはブロンテ侯爵家の娘。どこにも利益がない」
「は?」
「驚くわよね。こればかりはよくわからないわ。でもお父さまも若い頃はそれなりの美貌の持ち主だったというから、もしかしたら顔が好みだったのかも」
執事長にも聞いたが、この辺りの事情を知る人間はカロラインの周りにはいない。ガートルードは結婚したのと同時にクレイ子爵家を継いで領地に出向いたのだから、それも仕方がないことだ。
二人で話しても憶測の域を出ないため、ザガリーは別の話題を持ち出した。
「言うのが遅くなったが、十日後に商談に行くことが決まったんだ」
「商談?」
ザガリーと知り合ってから結婚するまで、彼が長い時間留守にすることはなかった。自然と一緒にいることが当たり前になっていたため、戸惑いを隠せない。
「……どのくらい?」
「往復の移動を含めて二十日ぐらいかな」
「二十日も」
「ああ。新しい商品を遠方から仕入れたと付き合いのある商人から連絡をもらったんだ。場合によっては延びることもある。お披露目の準備でこれから忙しくなるだろうから、まだ余裕のある今のうちに行っておきたい」
ザガリーの言っていることはわかる。謁見とお披露目まで三か月を切ってしまっているが、その準備のほとんどがブロンテ侯爵家が受け持つ。時間があるうちに仕事を進めておきたいというのはもっともの話だ。
だけど、感情はそう割り切れなくて。もう少し期間を短くできないかと、言いかけて言葉を飲み込む。
「寂しい?」
「……寂しいわ」
揶揄うような言葉だったが、カロラインはひどく真面目に頷いた。ザガリーは目を見張り、すぐに満面の笑顔を見せた。
「すぐに帰ってくるよ」
「そうしてちょうだい」
顔を真っ赤にしてツンとした態度を取りながら、素直に頷いた。ザガリーは優しくカロラインを抱き寄せると目元にキスをした。