父親の後妻が怒鳴り込んできた
カロラインは髪を振り乱しながらこちらに突撃してくる後妻であるマディを見て目を丸くした。ジェイデンの後妻としてやってきた彼女は平民で、カロラインとの接点はほとんどない。たまにジェイデンがカロラインに躾と称した暴力を振るう時にその場にいる程度だ。
カロラインにしても、初めから後妻とは関わるつもりはなかった。子爵夫人になったのだからと、カロラインの母の装身具などを持って行ってしまうのを咎めたことはない。ジェイデンの暴力もあって、極力関わりたくなかった。
事情を聴くためジェイデンはエイブリーによって屋敷に閉じ込められていることは連絡をもらっていた。だが、彼女については特に何も言っていなかった。
カロラインを庇うように前に立とうとするザガリーを押しとどめて、カロラインは冷めた目で暴れるマディと対峙した。
「何か御用ですか?」
「あなたの指図ね! 今すぐ、わたしの宝石を返しなさい!」
「宝石、ですか?」
思い当たる節がなくて、首を傾げる。ガートルードの持っていた高価な物はすべてこの女が持ち去っていた。だけど王家から下賜された宝石以外、今さら取り返すつもりはなく放置していた。
「わたしは何も指示しておりません」
「嘘おっしゃい! 昨日、宿まで人がやってきてわたしの荷物を全部持って行ってしまったわ」
「まあ、そうでしたの? わたしには心当たりがないので、きっとブロンテ侯爵家の方ですわね」
「どうしてブロンテ侯爵家が口を出してくるのよ! あの宝石たちは全部わたしのものよ!」
カロラインはため息をついた。
「貴女が持っていった宝石は元々はわたしの母のものです。そして母はブロンテ侯爵家の娘。娘の持ち物……遺品を取り返したいと思っても不思議はないと思いますが」
エイブリーも思い出を偲ぶ遺品だなんて思っていないだろうが、納得してもらうために伝えてみる。ブロンテ侯爵家が動いている以上、カロラインに止めることはできないし、止めるつもりもない。
一度言葉を切ってから、しっかりとマディの目を見る。
「もちろん、お父さまが買い与えた物は貴女のものだと思いますよ。もしかしたらそういう宝石まで持っていかれてしまいましたか?」
クレイ子爵家の財産を食いつぶして買ったものなど本当なら返してほしいぐらいだが、父親が与えたのならいくつか残してもいい。そんな程度で聞いてみた。
「宝石は……ジェイデンからもらったことはないわ」
言われたことがわからなくて、眉をひそめた。
「毎月あんなにもお金を使っておいて、一度も貰っていない?」
「そうよ! ジェイデンは沢山宝石があるのだからと言って。わたしだって新しい宝石が欲しかったわ」
おかしな話だ。カロラインは帳簿の記憶を探った。毎月毎月、ひどい散財をしていて借金は膨れ上がっていた。その内訳が、どこかの賭け事に負けたとか、贅沢な飲食をしていた、あとは恐ろしいほど高価な宝石、絵画などの美術品の領収書。領収書が届くたびにどこから手を付けようかと、頭を悩ませていたから間違いない。
「では一体何にお金を使っていたのです?」
「え?」
「今まで一番大きな金額は、どこぞのアンティークの首飾りだと報告されているのですがそれは貴女への贈り物ではなかったのですか?」
それともこの後妻の他にも愛人を囲っているのだろうか。
ふとそんな考えが浮かび上がった。若い頃はそれなりの美貌の持ち主だったようだが、今のジェイデンはたるみ切った体をした中年だ。もし他に愛人を作るとしても、彼の行動範囲から酒場の店員か安宿の娼婦が相手になるだろう。だが、そのような報告は一度もなかった。今まで後妻以外の愛人がいたことは聞いていない。
もやりとした不愉快さがこみあげてきた。
「とにかく! あなたは結婚したのだから屋敷を出ていきなさい!」
「はい?」
一番意味の分からない要求を突き付けられて、カロラインは唖然とした。
「あなたが女子爵になったかなんて関係ないのよ。ジェイデンは死んでもあなたの父親だし、わたしはその妻。あそこに住む権利があるわ」
突き抜けた主張にカロラインは疲れを感じた。どうしたらいいのだろうかと途方に暮れて、隣に立つザガリーを見た。ザガリーは冷静な目で後妻とのやり取りを聞いている。
「一ついいだろうか」
「何よ」
ザガリーはカロラインの縋るような目を許可と判断したのか、後妻に問いかけた。身構えるように顎を突き出して彼女はザガリーに応える。
「確かにあなたはカロラインの父の妻であるが、平民であることには変わりない。カロラインに対して何かを要求することはできない」
後妻は鼻で笑った。
「平民、平民と煩いわね。わたしが言っているのは親子だから、子はすべてを親に差し出すのが道理だと言っているのよ」
「立派な考えだな。だが、カロラインとジェイデン殿はすでに縁切りされている。カロラインはジェイデン殿に何かをする義務はないし、万が一、何かあったとしてもジェイデン殿に財産分与は一切されない」
ザガリーが淡々と事実を告げた。エイブリーがあんな親はいらないと、爵位の継承の手続きと共に縁切りを済ませていた。これから気持ちを入れ替えて慎ましくしてくれるのなら、縁を切った後も少し豊かな暮らしができる程度の援助をするつもりだったのだが。
「な、なんでそんなことに」
「親に搾取されても養いたいと思う人間は少ないと思うが」
ザガリーは肩をすくめる。部屋の中の様子を伺っていたゴードリーがにこやかに声をかけた。
「そろそろお話も終わりのようですので、お引き取り願います」
「終わりじゃないわよ」
「いいえ。終わりですわ」
後妻が声を張り上げるが、カロラインは静かに否定した。ゴードリーは店の護衛に指示をする。彼女は体つきの良い護衛二人に挟まれた。
「ちょっとまって! じゃあ、わたしはこれからどうしたらいいのよ?」
「……お父さまについてはそのうち解放されるでしょう。その後のことはお二人でどうにかしてくださいとしか」
後妻の顔色が悪くなった。往生際悪く、カロラインに詰め寄ろうとする。
「ねえ、今までのことは謝るから、何とかして!」
「お金と引き換えのような謝罪はいりませんわ」
はっきりと告げれば、彼女は絶望した顔になる。こんなにも寄生して生きている人だったのかと、カロラインは不思議な気持ちだった。
「カロライン」
物思いにふけっていたカロラインをザガリーが現実に引き戻した。彼女は隣に立つ夫に目を向けた。
「何?」
「このまま放置してもいいことはなさそうだ。エイブリーに引き取ってもらう」
エイブリーと聞いて、カロラインは頷いた。ジェイデンもエイブリーの管理下にあるのだから、一緒にいる方が何かといいだろう。後妻の不安な気持ちも少しは治まるかもしれない。
「それがいいかもしれないわね」
「ちょっと待ちなさい! ジェイデンは今、拘束されているのよね? わたしはそんな生活嫌よ! 当面の生活費をもらったら、もう会いに来ないと約束するわ」
先ほどの言葉とは真反対の言い分に、カロラインはため息しか出ない。ジェイデンと一緒にいたいという気持ちはないようだ。
「連れていけ」
後妻は鼓膜が痛くなるほどの声音で何やら叫んでいたが、誰も聞かない。ザガリーは護衛にいくつか指示をして彼女を部屋から追い出した。
彼女一人がいなくなると、部屋がしんと静かになる。その静けさにカロラインはほっと息をついた。
「ザガリー、ありがとう」
「飛んできた火の粉を払っただけだ。これから予定は?」
「特にないわ」
ザガリーは使用人にいくつか指示を出すと、カロラインを振り返る。
「近くに美味しいケーキの店がある。散歩がてらに行ってみないか?」
「ケーキ?」
「塩味のケーキだ。隣国で流行っている味なんだ。まだ広まっていないが、そのうちきっと人気が出ると思う」
その話しぶりに、カロラインは目を丸くした。
「ザガリーのお店なの?」
「正確には出資者だな」
「でも、塩味なのよね?」
塩味のケーキに心惹かれないカロラインは微妙な顔をした。カロラインの中でケーキと言えばクリームとジャムがたっぷり添えられた甘いものだ。だから塩味のケーキと言われても食べたい気持ちが湧かない。
「そんな顔をしなくても、結構うまいんだ。忙しい時の食事代わりにもなる」
「ケーキなのに甘くないなんて、ケーキじゃないわ」
「ドライフルーツを使ったものもあったはずだ。一度は食べてみてから好き嫌いしたらいい」
そんな風に丸め込まれながら、カロラインはザガリーと一緒に散歩へと出かけた。




