夜会での駆け引き
夜会会場はとても華やかな空間だ。
着飾った人々は楽しげに話し、美しい音楽が奏でられる。
気が向けばダンスをする人たちもいて――。
カロラインはため息をついた。自分が如何にこの場所に不似合いなのか、ひしひしと感じる。それでもカロラインは結婚相手を自力で見つけなくてはいけない。
カロラインはクレイ子爵家の一人娘で、女性でありながら爵位継承者だ。本来ならば爵位を継げない次男や三男など、婿養子になってもいいという人たちが声をかけてくるものだ。
だが、クレイ子爵家は見栄も張れないほどの多額の借金があった。領地経営も上手くいっておらず、たとえカロラインと結婚して配偶者として爵位を名乗ることができたとしても、ごく普通の貴族としての生活ができない。
カロラインとしても資金援助をしてくれる相手を探しているのだが、なかなかそんなに都合のいい人はいない。たまに声を掛けてくる貴族もいるが、大抵は愛人の誘いだ。
決して醜い容姿ではない。この国の貴族が多く持つ淡い金髪に、派手ではないが整った顔立ち。中でも一度見たら忘れられないほどのくっきりとした緑の瞳はとても印象的だ。
だが人目を引く瞳だけでは、男性からの好意的な感情を向けさせることはできない。他の令嬢たちはカロラインにはない華やかさや機智に富んだ会話術がある。今の流行や人気の店などを知らないカロラインではどうやっても会話が広がらないのだ。他の令嬢が気を利かせてくれても、わからない話題が続けば自然と輪から外されてしまう。
それに。
カロラインは自分のドレスに目を向けた。
見栄えがするようにと手直しをしたとはいえ、流行とは違うもっさりとしたフリルの付いたスカートと首まできっちりと詰まった上着。
手入れもきちんと行き届いており、とてもいい品ではある。そうであっても流行遅れどころか、時代遅れも甚だしい。このドレスの形が流行ったのはカロラインの母がデビューした頃だ。すでに二十年以上前の話である。
こんな古ぼけたデザインのドレスしか着られない自分に向けられるのは、痛ましそうな顔だ。貴族たちはカロラインの困窮した現状をきちんと把握しているから、貶めるようなことは言わないが同情の眼差しを向けられると恥ずかしくて仕方がなかった。
これ以上ここにいても、彼女が求めていた結果は得られない。もう帰ろう――そう思って華やかな空間に背を向け、出口に向かって歩き始めた。
「おや、カロライン嬢?」
声をかけられて、カロラインの足が止まる。そこにいたのはロング伯爵だった。
年齢も40歳を過ぎているはずだが、貴族男性特有の優美な雰囲気がとても若く見せた。長さのある明るい金髪をウエーブを生かして緩く結わえ、姿勢よく立つ姿は堂々としている。若い頃はさぞかし女性に騒がれていただろうと容易に想像させた。
語り口が柔らかで言葉が上手く、彼に一度捕まるとなかなか逃げることができない。
母方の実家であるブロンテ侯爵家の遠縁で、何度か顔を合わせたことがある。その程度の縁であれば警戒しないのだが、クレイ子爵家の困窮具合を知った彼は、あろうことに愛人にならないかとにこやかに誘ってきた。ごく自然に愛人の話を切り出されて、理解が追い付かなかったぐらいだ。もちろん丁寧にお断りしたが、それでも捕まるたびにいつでもおいでと甘く囁く。
正直苦手な相手だ。
カロラインは自分の不運に心の中で盛大に嘆いた。
「ごきげんよう。ロング伯爵」
「今日はお一人かな?」
わかっていることをわざわざ聞いてくる。会話を交わしながら、さりげなく距離を縮めてきた。カロラインは彼から距離を取るようにほんの少しだけ後ろに下がった。
「今日は挨拶に来ただけなので」
「挨拶だけだなんてつまらないだろうに。どうだろうか、私にエスコートさせてもらえないだろうか」
「ご遠慮させていただきます」
ロング伯爵がぐっと体を寄せてきたので、大きく後ろに下がった。
この動きが非常に悪かったと気が付いた時には遅かった。踵が壁に当たり、これ以上は下がることできない。いつの間にか部屋の隅へ追いやられていた。
早く切り上げたい気持ちから簡単に追い込まれてしまった。彼から逃げる方法が思いつかない。きょろりと辺りを見回してみても、助けになるようなものは何もなかった。
「可愛い人だ。こんな簡単な動きに気が付かないなんて……」
「意地悪をして遊んでいらっしゃるのね。申し訳ないけれど、お話しするつもりはないの。そこをどいてください」
「そのように警戒しなくても取って食いはしないよ」
クスリと小さく笑うと、彼は壁に手を置いた。片方だけであったが、完全にふさがれてしまい、流石のカロラインも青ざめる。
この状況が何を意味しているのか、男性とのやり取りをあまりしてこなかったカロラインでもわかる。緊張に口の中が渇いていく。
「ロング伯爵、お願いですから」
毅然として拒絶したいのに、出てきた声はとてもか弱いものだった。
「君のお願いする顔はとても素敵だ。男の保護欲をそそる。できればもっと親密になった状態で言ってほしいものだ」
身を屈めるようにして耳元で囁かれる。息遣いが近くなったことで、カロラインはぎゅっと両手を握りしめ、必死に考えた。
今までの経験上、何を言っても聞いてくれないだろう。カロラインは自身の結婚のことを考えて醜聞になることを恐れていたが、貞操の緩い女性として噂されて軽い女として扱われるよりはガサツな女と囁かれた方がましだと思うことにした。
呼吸を整え、覚悟を決める。
「帰ります。そこをどいて――」
「では送っていこう」
最後まで言い切らないうちに、言葉を被せられる。さらには腕を取られてしまった。大きな手が彼女の華奢な腕をしっかりと握りしめている。白い手袋をしているが、それでも彼の手の熱さは感じられた。
「は、離してください」
ぎょっとして腕を自由にしようともがくが、なかなか外れない。ロング伯爵は楽し気に目を細めた。
「ほら、子供のように暴れない。私の馬車ならすぐに屋敷に送り届けられる。遠慮することはない」
「送って頂かなくて結構です」
「そう? でも私は送っていきたいんだ」
言葉遊びのようなやり取りに、言葉がついに出なくなった。掴んでいない方の手が伸ばされ、そっとカロラインの頬に触れる。
「そんなに緊張しなくても。心配ないと言っているだろう? 私は君を助けたいだけなんだ」
「……」
信じられないとは言えなくて唇を噛んだ。ロング伯爵もカロラインが何を思っているのか、わかっているのだろう。それ以上の追及はしなかった。
促すように強く腕を引かれ、一歩足が動き出したとき。
「カロライン、ようやく見つけた。こんなところにいたのか」
諦めた時に。
救世主の声が聞こえた。