蠱毒姫は笑わせる
前回が短い文、今回は長くしてあります。
港町ルイアの北、南、西の門には、常に6人の兵士がいる。彼らは門と詰所に2人ずつ配置され、残った2人は睡眠、このローテーションを8時間交代で行っていた。彼らはほとんど変化のない日常に退屈を感じていたが、自分たちのこなしている退屈な仕事は町の日常を守ることにつながると考え、変化のない日常を受け入れていた。
だがその日のうちに、退屈は耐えるものから懐かしむものになり、日常は非日常へと変化した……
その日、港町ルイアの北門に、真っ黒な外套を着た女がやってきた。
外套でですっぽりと覆われていたので体格から性別はわかったが、他のことは見るだけではわからなかった。日が沈んでからやってきたそんな彼女を、真面目に仕事をこなす門番が素通りさせるはずもなかった。
「そこの女、止まれ」
大きな声ではない。しかしはっきりと聞こえる声色には、警戒の意識がはっきりと乗せられていた。
二人いる門番のもう一人が、さらに声をかける。
「こんな時間に女一人で観光か? 外套を脱いで身分証をみせろ」
最初こそ、年若い青年が女性に声をかけるような軽快さであったが、二言目には門番としての仕事の声。身分を明かさなければここは通さないと、態度と声で示していた。
「私は旅の者です。身分証など持っておりませんわ」
そういうと女は、顔まですっぽりと覆っていた外套を脱いで見せた。
そこには、わずかにカールした赤紫色の長い髪と切れ長の赤い瞳の美しい顔、病的なほど白い肌を余計白く見せる黒いシャツとロングスカートの女性が立っていた。
仕事に忠実な門番も、思わず強面を崩しそうになる美貌であったが、真面目な彼らは仕事を全うする。
「その服に言葉遣い、平民ではないだろう。貴族か? 名前とこの町への訪問の理由を言え。ルイア領主、または貴族の紹介状があれば検めさせてもらう」
貴族、つまりは自分たちより偉いかもしれない相手でも、彼らはひるまない。態度を変えない。そうあれと上官に教育されていた。彼らの行う不躾な言動はすべて、上官が責任を持つのである。
「私の名はヘレーネ・オストワルト。貴族みたいなものですわ。訪問の理由は、足りなくなった物資の補給ですわ。海産物が欲しいのでこの町を選んで訪問いたしました」
ヘレーネという名前にも、オストワルトという家名にも門番たちは覚えがなかったが、彼女が想像通り貴族であることに疑問はなかった。所作や言葉遣いは貴族のそれだと確信していたからだ。訪問の理由も頷ける。しかし、疑問が一つだけ残っている。
「ふむ。では最後の質問だが、どうして夜にやってきた? いうまでもなく今は店が閉まっている。日を改めて訪問してもらえるだろうか」
日が落ちた後も開いている店、日が落ちてから開く店もある。が、物資の補給ということならば目当ての店は開いていないだろう。酒場や娼館に用があるとは思えない。なにより、彼女は自身の怪しさをぬぐい切れていなかった。
”貴族ならば独り歩きはすまい、護衛はどうした?” ”足りなくなった物資とはなんだ?” ”なぜ荷物の類を一つも持っていないのか?”など、怪しさを追求する質問はいくつも思いついたが、彼は日を改めるよう持ち掛ける。何を聞いても、はぐらかされるように感じたからだ。
実際彼女は質問に対して、今すぐ真偽を確かめられるような回答を一つもしていなかった。身分証はない、紹介状もない、”足りない物資”と、抽象的な言い方……これらの回答はむしろ、自身の怪しさを強調してしまっている。
故に、彼は夜になって訪問したことに回答しなくとも、では日を改めると言って訪問をあきらめることができるような問い方をした。
しかし、その質問は地雷だった。彼らが今夜を生き延びる術は、彼女に門を通らせることだったといえる。
「夜に訪問した理由ですが、私が吸血鬼だからですわ」
それだけ言うと彼女は、どこからともなくアトマイザーを取り出した。
私が夜に来た理由を答えると、彼らは一瞬キョトンとした顔になっておりました。つまらない。そんな顔が見たかったのではありません。恐怖におののいてほしかったのです。
つまらない人達でしたからそれ以上しゃべらせないように一瞬で距離を詰めて、手製のお薬をお顔にかけて差し上げました。
このお薬は、人間さんたちの脳に働きかけ、一部の活動を阻害します。わかりやすく言うならば、自我を喪失させることができますの。強かろうが弱かろうが、アトマイザーで一吹きすれば、一息吸い込ませれば、私の言うことを聞く人形にしてしまえます。血流を止めたりはしませんから、解毒剤を使えば元通りの自我を取り戻させられます。とても良いお薬でしょう? このお薬には”シトリン”と名付けました。私のオリジナルです。
「お二人とも、私が次の命令をするまでは、ここで門番を続けてくださいね。あと、私のことは黙っているように」
すると彼らはゆっくりと立ち上がり、落としてしまった長槍を構え、門の左右に立ちます。
お返事もできるようになってほしい、と思わなくもないですわね。
私は外套にもう一度くるまり、門に近づきます。
夜は閉めてある門を開けば、詰所にいるほか兵士さんたちも夜間の訪問者に気づくでしょう。
”ギィ”と音をたてて門が開き、真っ黒な外套の女が通った。すぐ左には詰所があった。
ヘレーネと名乗った女はすぐに詰所を見つけ、迷うことなく近寄っていった
「こんな時間に訪問者? 表の二人はどうした?」
詰所の受付で座っていた兵士が問う。深夜に訪問者を通す場合、門番二人のうち一人が詰所まで同行することになっていた。故に一人で入ってきた黒い外套の女を怪しむのは当然だった。
女は何も答えず、兵士に向けて黒光りする手のひらサイズのものを突き出し、鋭くとがった先端を兵士の胸元に押し当てた。
兵士は悲鳴を上げる暇もなく、詰所の床に倒れた。彼が二度と起き上がることがないと知っているのは、突き刺した女だけである。
「受付は一人で結構ですわ。あなたはいらない」
ここで殺してしまっては、彼女の求める被験体が一つ減ることになるが、彼女はそれをわかっていて殺した。理由は”シトリン”と名付けた毒薬の温存である。これから大量に用いる予定だった。
詰所の受付で人が倒れる音がしたとなれば、もう一人の詰め所にいる兵士が様子を見に来るのは当然だった。そして倒れた同僚を見たときには、すでにシトリンを吹きかけられていた。
「あなたはそこに寝ている同僚を片付けてください。そのあとは、私が次の命令をするまで受け付けをのお仕事をしていてくださいね」
女はそう命じて去ろうとして、すぐに、彼女の人形になり下がった兵士に声をかけた。
「ああ忘れていました。ここ以外の門の場所と、この町の冒険者のお店の場所を教えてください。そのあと、睡眠中の同僚さんたちを殺しておいてくださいね。それが終わったら、先ほど言ったように受け付けのお仕事をしていてください」
片付けようと持ち上げた同僚を、彼はどうでもいい物のようにドサリと落とし、受付机の下にある町の地図を取り出し、女の知りたい場所の位置を伝え始めた。
発音やイントネーションはいつも通り、しかし感情の一切こもっていない話し方を、女は少し不快に感じていた。聞きたいことをすべて聞き終えると、女はさっさと西門へと向かった。
「さてと、これで3か所すべての門を制圧しましたわ。次は冒険者の店ですわね」
西門と南門を訪れて、受付の方と門番の方をシトリンで人形にして、残りの兵士さんは殺してしまう。私が被験体を補充するときのいつものやり方ですわ。この町は東側が海なので門がありませんから、内陸の町の時より門が少なくて楽ですわ。
あとは冒険者のお店を制圧してしまいましょう。邪魔されるかもしれませんからね。
北門の兵士さんに場所を聞いておきましたから、あとは人目につかないよう向かうだけ。簡単です。
夜だというのに開いているお店がいくつかありますわね。冒険者の店以外でこの時間となると、なんでしょう? よくわかりませんわね……ああ、近づかなればよかったです。ここは娼館ですわね。匂いがでわかりましたわ。とりあえず離れましょう。服に匂いがついてしまったら最悪ですわ。
……ふぅ、とりあえず匂いがつく前に離れられましたわ。人間の淫臭なんてかぎたくありませんもの。
「っと、ここですわね」
私はこの町の冒険者の店の一つ、緋色の鱗亭にやってきました。ルイアで一番冒険者の多い店だそうなので、真っ先につぶしてしまおうと思います。
ここでは目立ったほうがやりやすいかもしれませんね、外套はここで脱いでおきましょう。
私は脱いだ外套を小脇に抱えて、店に入ります。
お店に入る前からワイワイとうるさかったのですけど、実際中に入るともっとうるさいですわね。でも私の姿は目立ちますから、私を見て静かになる方もいらっしゃるようです。そうそう、私の少なめの魔力をちょっとだけ纏っておかないと。こうしておくと強い魔法使いに見えるそうです。
テーブル席に座る彼らにはわき目も振らずにカウンター席まで歩いて行って、すごく真剣な声と表情で店主の方に注文をします。
「トマトジュースをください」
私の方を見ている方も、見ていない方も、私の注文が聞こえた方は全員大爆笑し始めました。
「ブハハハハ、トマトジュースって! ここが何の店だかしってんのかいお嬢ちゃん」
「おいおいおいおい、ここはそんなおしゃれなランチの店じゃないんだぜ」
「あっはははは、あひぃ、あひぃ、笑いすぎて死んじまいそうだぁ」
店主の方も、私から顔を背けて肩を震わせています。私の十八番のジョークなのですけれど、お酒の入った方は毎回これで笑ってくださいます。
私の隣に男性の冒険者の方が座って、話しかけてくださいました。
「いやぁ笑わせてもらったぜお嬢ちゃん。俺はザイルってんだ。この店はトマトジュースは置いてないが、甘くて飲みやすい酒を置いてる。お近づきに奢らせてくれないか?」
あらあら、とても親しみやすい方ですわね。お酒で赤くなったお顔に渋い声、無精ひげがとても気持ち悪いですわ。
「うふふ、それではお言葉に甘えちゃいましょうか。私はヘレーネと申します。魔法を得意としております」
「それだけ強い魔力をまとってれば、強い魔法使いだって誰でもわかるぜ。俺は見ての通りの槍使いだ。まぁまぁ稼げるぐらいには使えるし、見ての通りのガタイだ。前衛としての自信はあるぜ」
ふむ、この方はもしかして私とパーティを組みたいのでしょうか? 気持ち悪いのでお断りです。そもそも私は冒険者でもないですし……おや?
「ちょっとザイル! あんた顔怖いんだからいきなり女の人に話しかけないで頂戴。パーティメンバーの私まで怖いと思われるでしょ!」
この気持ち悪い方のパーティメンバーが話しかけてきましたわ。健康的な肌色で、しかもおそらくお酒を飲んでいないようですわね。この方にしましょう。
「私、トマトジュース以外にも飲みたいものがあるのですけれど……ザイルさん、奢っていただけませんか?」
私がそう言うと、無精ひげは嬉しそうに笑ってくださいます。
「もちろんいいぜ! 何が飲みたいんだ? 言っとくけど、アップルジュースとかオレンジジュースとかはなしだぜ」
私のジョークに合わせようとしてくださったのかしら? 全然うまくないですけど。
「いえいえ、私が飲みたいのは……生き血ですわ」
言い終わると同時にザイルさんから近い順に、鳩尾に蹴りたたきこんでいきます。格闘なんて大の苦手なのですけれど、油断している冒険者を一撃で殺すくらいなら簡単ですわ。
7人目くらいから私が脅威であると気づかれ始めましたが、おなかいっぱいでお酒も飲んだ方の動きは緩慢ですから、警戒していようが逃げようとしていようが、私の敵ではありません。
1分かからずに、お店の中で生きている人間は、たった一人を除いて誰一人いなくなりました。
「ザイルさんと話しているときから、あなたと決めていました」
その方はザイルさんのパーティメンバーの方です。このお店の中で一番おいしそうですから。
でもこの方、恐怖で震えて悲鳴も上げられずにいるようです。それにとても良い表情をしていますわ。お可愛いですね。
「健康的なお肌をしていますし、お酒を飲まれないのでしょう? ですから、あなたにしました」
震えながら後ずさっていますが、その分私が歩いて近づいてあげます。
「それではいただきます」
首筋に噛みつくと、柔らかく張りのある肌を、私の牙が”プチュリ”と貫く感触が伝わります。この感触はヴァンパイアなら例外なく誰でも好きだと思うのですが、私は特に女性の首筋が好きですわ。
そして牙を引き抜くと、とろとろと熱い血液が流れ出てくるのです。不健康な方だと、とろとろというよりダラダラと出てくるのですが、私は断然とろとろが好きですね。
衝動に任せて傷口から血を吸い込みます。やはりこの方の血はあたりですわね。満たされていく幸福感が、お酒をたくさん飲む方よりおいしいですし、のど越しも違いますもの。
最初こそこの方……お名前を聞くのを忘れていましたね。ザイルさんのパーティの方は、短い悲鳴や、”助けて””許して”って言っていましたが、みるみる弱っていって、今はもう死んでしまいました。
「おいしかったですわ、最後にいっぱい笑えてよかったですね」
私は一言だけそういうと、緋色の鱗亭を後にしました。
長くしすぎたかもしれません、読むのが大変だったなら申し訳ないです。
次話もヘレーネの話になります。