半ヴァンパイアはまた怒らせる
「ただいま」
夜も遅くなって、私は家に帰ってきた。
「エリー、おかえりなさい。帰りが遅いのでちょっと心配しました」
「ごめん」
マーシャさん、やっぱりちょっと怒ってる? こんなに遅く帰るつもりはなかったんだけど。
「夕飯、食べましょう」
うん。ちょっと怒ってるかな。というか晩御飯食べずに待っててくれたんだ。
「うん」
「マーシャさん、なんでベッドに行くの?」
「疲れてるでしょう? こんなに遅くに帰ってきたんですもの、疲れています」
「えっと」
「エリーは疲れています。だからすぐ休めるようにベッドで食べます」
「そ、そんなには疲れては」
「疲れています」
「……はい」
―怒ってるマーシャさん……というか、怒っていなくてもなぜかマーシャさんの言葉には逆らえない。
町中をちょっと歩き回ったり、セバスターやアーノックみたいな悪人と話したくらいでは疲れたりしないけど、私は疲れているということにして、ベッドに誘導されておく。怖いから。
「横になってていいですよ。私が食べさせてあげます」
「え、そこまではちょっと……さすがに自分で食べるよ?」
「食べさせてあげます」
「う、うん。食べさせてもらいます」
一旦来ていたポンチョとか雑嚢とかを外して、ベッドのそばに置く。
「あれ? 武器を買ったんですか? 鞘だけ持ち歩いていたのに、いつの間にか剣が」
「買ったんじゃなくて、返ってきたの。無くしてたんだけど、今日行った知り合いのお店で返ってきた」
「へぇ、そうですか。食べながら詳しく聞きましょうか」
―あれ? 心なしかマーシャさんから感じる怒気がちょっと増したような……?
数日前もよく似たことがあったような気がする。あの時は確か、むりやり激辛の鶏むね肉を食べさせられたんだっけ。
―大丈夫だよね?
「はい、あ~ん」
そう言って、お皿から取り出したものを私の口元に差し出してくる。
―赤い! 赤いよその……なにそれ。
マーシャさんが差し出してきたのは、真っ赤なソースにコーティングされた何か。表面が真っ赤でドロッとしたソースに覆われていて、中身が何かわからない。
「え、その……お、怒ってる?」
「怒ってないです」
「それは、何?」
「食べてみればわかります」
そう言いながらつかんだソレをゆっくり私の口に近づけてくる。
「ま、待って! 自分で食べるから! んぐっ」
マーシャさんの腕をつかんでみるけど、そのまま口にねじ込まれた。案の定辛い。そしてモチッとした触感のそれがドロドロのソースを舌にこすりつけてきて、もうすでに辛い。後からくる辛さが最初からきてる。
「んんんんんんんんんんんっ!」
―辛い! 辛いよ! どうして、どうやってこんなに辛くしたの?! 口押さえないで!
そのまま手のひらで私の口を塞ぐようにしてくるから、息を吸って辛いのを紛らわせることができない。
「んふー! んふー!」
鼻で何とか息をしながら、辛くてモチモチしたそれを噛んで飲み込む。
「小麦粉にジャガイモとネギを練り込んでゆでたお団子です。エリーの好きな辛いソースに漬けてみました。おいしいでしょう?」
―こんなに辛いソースは好きじゃないよ!
「お、い、し、い、ですよね?」
そう言ってやっと口から手を放してくれる。前食べた鶏むね肉より断然辛くて、辛すぎて、”かひゅ、かひゅ”という変な呼吸になっちゃう。
「か、かりゃひゅいるよ」
マーシャさんはもう一つお団子をお皿から取り出して、また差し出してくる。
「今日はどこで何してたんですか?」
「待って! んぐっ」
辛すぎてパニックになりそうなのに、マーシャさんは食べさせるのをやめてくれない。あと頭の中が”辛い”でいっぱいになってるのに、どこか冷静に”これ、尋問とか拷問みたい”とか考えてる私が居る。
「ん、ん」
「今日はどこで何してたんですか?」
私がなんとか飲み込むタイミングで、さっきと同じ質問をしてくる。
「し、しりあいの、おみせを、た、ずねてた」
「なんでこんなに遅くなったんですか?」
すかさず次の質問をしながら、またお団子を取り出す。思わずマーシャさんの腕を掴んでる手に力を入れ過ぎそうになって、慌てて掴む手を緩める。そしたらまた口にお団子をねじ込まれた。
―がらい、っからい辛いカライ! も、無理!
「いやいやしてもダメです」
「んぐぅ! ――――っ!」
―ほんと、もうこれ以上は無理……許して……
「で、なんでこんなに遅くなったんですか?」
「ひょ、ひょれは、い、いらいの、はなしが、ながくなっひゃて」
すると、マーシャさんがぴたりと動きを止めた。正直、ちょっとでも辛いのを食べるのを休めて助かった。
「依頼、受けたの?」
「ちが、その、わらひはうけたくなくて、でもその、ことわりきれ、なくて」
「どんな依頼?」
「お、おうとの、きぞくのところに、いって、その」
「行って、何するんですか?」
「わ、わかんない」
マーシャさんの私を見下ろす目が、スッと細くなる。
「なんでそんな怪しい依頼を……いえ、いいです。その依頼はいつ終わるの?」
「それも、わかんない」
「……へぇ?」
マーシャさんはお皿からお団子を3つまとめて掴んで、そのまま
「まって! そんないっぺんにはむり! たべられない!」
私の口に
「ま、ゆるし、んむっ、んーー! んーーーー!」
無理やりねじ込んできた。
―ひどいよ! そんなに入らないよ! 無理に押し込まないでよ!!
という私の心の声を無視して、”たべろたべろ”と言わんばかりに押し込む。思わず私の口にお団子を押し込む腕を押し返そうとするんだけど、やっぱり力を入れられなかった。力み過ぎたらマーシャさんの腕を折っちゃいそうで怖かった。
「どうしてエリーは、また私のところからどこかに行っちゃうようなことをするんですか」
―違、私は受けたくなくて、でも、でも!
”でも”の続きが浮かばなかった。浮かんでも言えなかっただろうけど、とにかく浮かんでこなかった。
「私と一緒に暮らすのが嫌になっちゃったんですか? 嫌だからそういう、いつ帰って来るかわからない依頼を受けたんですか?」
―違うよ。違うのに、そうじゃないのに!
違うと言いたい。口の中のを吐きだして、馬乗りになってるマーシャさんを突き飛ばして、否定したい。でも、しない。できない。
だって、私が悪いから
マーシャさんが怒るのは、私のせいだから
―魔女の入れ墨亭で依頼を受けさせられようとしたとき、大声をだして暴れてでも、依頼を受けないと宣言すればよかったんだ。この依頼を受けたらマーシャさんが怒るって、嫌がるってわかってたのに、そうしなかった。できなかった。なんだかんだで流されて、うやむやのまま受けることにされて、そのまま帰ってきちゃった。だから、
私が悪いんだ
だから、マーシャさんが怒るのは私のせいで、こうやってマーシャさんが私に馬乗りになって、すっごく辛い物を口に無理やり詰め込んでも、それはマーシャさんが悪いんじゃなくて
私のせいなんだ
視界が滲む。
涙がこぼれる。
カラくて泣いてるのか、自分が情けなくて泣いてるのか、わかんない。
「あ、エ、エリー、私、その、、、泣かせるつもりなんてなくて、ついカッとなって」
「んぐ、、ヒグッ」
ふとマーシャさんがお皿を置いて、その手で私の頬を撫でる。さっきまでの怒気が消えて、私にもたれるように体を倒す。
ようやく口の中のお団子を飲み込んで、整わない息を何とか整えようとしてみる。だけど、喉がヒンヒンていう変な音を出すばっかりで整わない。
「ごめ、ごめんなさ」
「いえ、いいんです。私もやり過ぎました。エリーが優しいから、つい調子に乗って、変に卑屈になってました」
「でも、ごめんなさい」
「エリーは私のところに帰ってきてから、謝ってばかりですね。私が責めてばかりだからですよね」
―でも、それは私が悪いから、悪い私を責めるのは、間違ってないよ。
「そんな、違うよ。私が、悪いんだよ」
「エリー」
「明日、依頼断って、くるね」
「いえ、断らなくていいです」
「でも」
「私も一緒に行きます」
「……え、どこに行くの?」
「王都にいる貴族のところに行くんですよね? 私も一緒に行きます」
―それはダメ。危ないから、絶対ダメ。
「ダメ」
私が即断すると、マーシャさんはゆらりと上半身を起こした。消えていた怒気がまた復活してる。
「……へぇ? なんでダメなんですか?」
「あ、あぶないから、だよ」
「ピュラの町は王都のすぐ近くじゃないですか。馬車で1日どころか、半日もかかりません。私は1人で行ったこともありますよ。何が危ないんですか?」
「危ないのは道中じゃなくて、一緒に行くと、他の冒険者が」
「うん? エリー1人で依頼を受けたんじゃないんですか?」
―あ、4人で受けた依頼だって言ってなかった。
「うん。私以外に3人いるよ。その中の2人が、危ないというか」
「危険な人なんですか?」
「うん。だから一緒に来ちゃダメ。その2人についてちゃんと説明するから、一緒に行くのはあきらめてね」