付き添いは最期を知る
少しひどい表現があります。
呆然と立ち尽くすエリーから離れ、エラットはゼラドイル家の西にある3番倉庫に向かっていた。
「はぁ、クヒュ、ハァ、フュウ、ハァ」
3番倉庫に向かい始めてすぐ、不規則な呼吸を繰り返すようになった。激痛を訴える右胸を押さえ、走ることも難しい。エリーの言葉に激怒し、ドバドバと分泌していたアドレナリンが収まったためだ。
「スティに、クハ、会いたい」
エラットの頭の中には、ステラに会いたいという気持ちでいっぱいだった。会って確かめたい。エリーの言葉を否定したい。不安を打ち消したい。ユルクやモンドのことなど、今のエラットにとってはどうでも良かった。
「僕は、、僕は、スティのためにぃ……フヒュ、ハア」
つまずきそうになり、倒れないように必死に足を動かし、やっとの思いで3番倉庫にたどり着いた。
いくつもの倉庫が密集した倉庫群の中の、3と書かれた建物。クレアがステラを抱えてここにきているはずだ。
出血が止まらず骨折したままのエラットがここまで早くたどり着いたのは、ひとえに想いの強さだろう。
「スティ……僕と、一緒に、いて、ほしいんだ」
倉庫裏には角材が積み上げられており、角材の陰には人がぎりぎり通れるだけの大きさの穴が開いていた。扉は施錠されている時間であり、その穴はエラットが使える唯一の出入り口だ。
「ジジイも、モンドも、どうでもいい。君さえいれば、僕は、もう」
右手を壁に突き、ゆっくりと穴を潜り抜け、倉庫内に入る。倉庫の中には廃材ばかりが積みあがっていた。
折れた材木、ひび割れ砕けたレンガ、穴の開いた陶器や瓦、それらが種類ごとに分けられ小山のように積みあがった倉庫内は、一見すると誰もいない。
だが、いるはずなのだ。ステラと、ステラをここに連れてきたクレアがいるはずなのだ。そう信じているエラットは、廃材の小山に囲まれた倉庫の中心に向かって歩いていく。
「ど、どこにいるんだい? スティ? ぼ、僕だ。エラットだよ。君に会いたいんだ」
返事はない。だた、エラットの声だけが倉庫内に反響する。
―スティは僕を覚えている。忘れるわけない。だって君は、モンドにちょっとほだされていたけれど、僕との約束を忘れたりしない。君を守るというあの約束は絶対に覚えている。クレアは僕のことを警戒するかもしれないけど、お嬢が僕を、味方だと言ってくれれば問題ない。
「スティ? ああ、お嬢って呼べば、思い出してくれる、かな? 僕だよ。君を守るって約束を……」
待っていても出てきてくれないかもしれない。そう思ったエラットは、周囲の気配を探る。
そして、倉庫内にある無数の気配に気づいた。ステラとクレアの2人分の気配ではない。どう考えても5人以上いる。
「す、スティ? スティ!? い、いないのかい!? グ、、僕を、僕を」
「お嬢様は、ユルク様の下におかえりになりました。あなたが屋敷を襲った賊、なのですね」
背後から聞こえた声に、エラットはバッと振り返る。
「クレア……シンフォード……」
クレアは手にした機械弓を構えもせず、ただそこに立っていた。
「なぜだ? ここでほかの使用人やジジイを待てと、執事長に言われていたはずだ! なぜスティを、どうやってジジイの居場所を知った!?」
「わかっているでしょう? 私の仲間が、ここにきて教えてくれたからです」
クレアの答えを裏付けるように、廃材の小山の陰から7人のエルフが姿を現した。木製の弓を油断なく構え、いつでもエラットを打ち抜けるようにしている。
「なぜ、エルフの冒険者が……あのジジイ! エルフの冒険者を雇いやがったのか!? どうやってここを知った?!」
「あなたには関係ないことです」
「ガアアアッ」
クレアが”ここで死ぬのですから”と続ける前に、エラットが動き出した。一瞬で獣化し、体中の痛みを無視し、まずクレアを仕留める。エラットは何としてもステラに会うと覚悟を決めた。
エルフの冒険者たちは、エラットが真っ先にクレアを狙うことは予想していた。倉庫に残った8人の中で、唯一機械弓を持つのはクレアだからだ。
「フグァアアアア」
それゆえ、エラットの動きを先読みしたエルフの冒険者たちの矢は、エラットの全身に直撃した。返しの付いた矢じりが、エラットの肥大した胴体、腕、足に次々と突き刺さっていく。
「アアアアアアアアアアアアアアアアア」
それでもエラットが動きを止めなかったのは、エルフたちの予想を超えていたと言える。
目の前まで迫った巨大な肉食獣を相手に、クレアはひるむことなく対処した。
地面を這うかの如く姿勢を低くし、エラットの前に出ている右足首に機械弓を引っ掛け、振り抜く。
「ウグァアッ、ハグァアアアアア」
エラットは派手に転倒し、ゴロゴロと転がるしかなかった。全身に刺さったままの7本の矢が地面に押されて深く突き刺さり、バキバキと折れながら傷口を抉る。普通なら失神するほどの激痛がエラットの全身を襲う。
「クソガアアアアアアアアアア!」
だがそれでも立ち上がる。ひるんでいる暇はない。止まっていれば矢の的になるだけだ。
エラットがクレアに向き直ったとき、クレアもエラットを見ていた。
機械弓を引き絞り、槍のような矢をつがえている。
「ハッ」
短く息を吐きながら、矢を放つ。放たれた矢は通常の矢とは比較にならないほど早く、一直線にエラットに向かう。訓練を積んでいようが、獣化していようが、反応できる速度を超えていた。
直後、エラットが感じていたのは、右腕が後ろに引っ張られるような感覚。あまりに強く後ろに引かれるので、思わず体制を崩してしまう。
そして、肘から先がなくなった右腕を見た。
「ハ、ハァ? ナンデ腕ガ……ア、ア、アアアアアアアアア」
機械弓に撃たれた。威力が強すぎて命中した部位がなくなった。それだけのことだが、エラットの脳は理解を拒んだ。唐突に自分の右腕がなくなるなど、受け入れられなかった。
折れたままの左腕で、右腕の肘から先の無くなった部分を触ろうとする。虚しく空を切り続ける左腕を、エラットは止めることができないでいた。
「ハッ」
自分の叫び声にかき消され、聞こえるはずのない音。クレアの吐いた短い息の音を、エラットは聞いた気がした。
エラットはワービーストの戦士だった。通常、ワービーストは獣化した際四足歩行の獣、普通の四足獣のような姿になる。だがエラットを含めた数少ない何人かは、獣化しても骨格が二足歩行に適した状態になる。この希少な性質を持つ者は優れた戦士だとされていた。
エラットを含めた数名は非常に厳しい訓練を積み、獣戦士という職に就くのが一般的だ。エラットもその獣戦士の一人となった。
だが、エラットは獣戦士の中での地位が低かった。それは、エラットが対人不安を抱えていたからだ。
「は、は……ぃ」
上司への返事は、それが精いっぱい。
「僕ぁ……僕、は、そ、ぁ」
後輩の質問の返事は、それ以上続かない。
そんなエラットに、上司は本国ではなく交流特区に行くように勧めた。いわゆる、左遷だったのかもしれない。だがエラットにとってその異動は幸運だった。その異動がステラに出会うきっかけだった。
当時5歳のステラは、祖父ユルク、使用人、護衛、誰に対しても同じ態度で接していた。言葉がうまく出てこなくても、人前でおどおどとした態度であっても、ステラは普通に接した。
ステラの付き人兼護衛として雇われ長い時間ステラと行動を共にする。それはエラットにとって自信につながった。
自分でも普通に接してくれる。当たり前に話しかけ、頼り、ありがとうを言ってくれる。他者に対して巨大で漠然とした不安の中に、一本の太い筋が入ったように感じた。少しずつ、エラットは会話がスムーズにできるようになっていった。
ある日、エラットはステラに言った。
「僕が、ス、ススティを守るよ。これから、ずっと。や、やく、そくする」
言葉がつっかえるせいで、少し不格好だったかもしれない。だがエラットは心の底から、言葉通りの誓いを込めて言った。
その日から、自分以外のステラの周りにいる人が悪人に見えた。
食事を作る係が新しい料理を試す姿は、その食事に毒を入れる機会をうかがっているように見えた。
ステラの部屋のそばに使えるメイドは、自分がステラのそばを離れ、ステラを殺す隙を伺っているように見えた。
祖父ユルクは、ステラに絵本を買い与えた。それは絵本を読ませることで自室から一歩も出さないよう拘束しているように見えた。
だから、ステラを連れ出した。
連れ出して一夜明けて、ステラが家に帰りたいと泣き出した。エラットは必死に説得した。
”あの屋敷にいる連中は君にとって害になるんだ””僕と一緒に、安全なところで2人で暮らそう”
何度言葉がつっかえても、何度でも言いなおし、誠心誠意説得し続けた。だがステラが泣き止む前に、エラットはユルクの雇ったワービーストの冒険者たちにつかまり、ステラは屋敷に連れ戻された。
腹に犯罪者の焼き印を押され、激痛に悶えながらエラットは思った。
”憎い”
クレアの放った矢が首に直撃した。
頭だけで空中を舞いながら
―あの時、スティが僕の説得を受け入れてくれていたら……
そう、思った。
もう少しエラットを痛めつけてから死なせてもよかったと思っています。ただクレアの印象が悪くなりそうなので止めておきました。