半ヴァンパイアは取り逃がす
少し長くなりました。時間のある時にゆっくり読んでください。
「……エリー、か?」
俺の目の前にあるのは、槍の穂先。それも血を滴らせた切っ先が目の前にある。そして、それはエラットから俺を庇うように立つエリーの背中から生えていた。
エラットはエリーの背中に遮られて見えないが、エリーの体が槍に貫かれてからうんともすんとも言わない。
俺が壁を背に座ったまま唖然としていると、エリーの体に刺さった槍が無造作に引き抜かれた。ジュボッという嫌な音とあふれ出る血、鉄の匂いがして、俺のせいでエリーに致命傷を負わせてしまったと思った。
俺ももちろん驚いたが、一番驚いたのはエラットだったようだ。
「オマ、オ前ハ、イッタイ」
そこから先は、一方的な蹂躙だった。
エリーは一言もしゃべらずに素手でエラットを圧倒した。真っ黒に染まって鋭く尖った指を殴るように突き刺し、膝蹴りを急所に打ち込み、エラットの攻撃をすべてわずかな動きで躱し続けていた。
戦闘の知識なんて持っていない俺でも、ひどく一方的な戦いなことは解った。エラットの短い悲鳴と、エリーの指が刺さる音、膝蹴りが当たる鈍い音、エリーの踏み込みやエラットの後ずさる音……聞こえる音も、見える光景も、すべてエリーがエラットを追い詰めるものだった。
「エリー、いったい何が……?」
俺もエラットと同じようなことをつぶやいていた。俺が一番気になったことはエリーの強さじゃなくて、エリーの体のことだ。
ついさっき俺を庇って槍に貫かれた傷が、治っている。時折見える目が真っ赤になっていて、一瞬だけ残る眼光の残像が俺の目の錯覚ではないと言っているように感じた。
あっという間にエラットはズタボロにされ、体中あちこちから血を流し、腕もあらぬ方向に向いている。それでもエリーは容赦なく攻撃し続ける。時折見えるエリーの横顔は、俺が今まで見たこともないほど切羽詰まっているように見えた。
「ガアアアアアアアアアアアアアア!」
エラットの叫び声、エリーや俺への怒りを内包したような怒鳴り声とともに、エラットは槍を地面に突き刺した。
槍の穂先の根元にある膨らみから、強烈な光が放たれた。
たぶん普通に光を直視していたら視力を奪われていたと思う。もしかしたら失明していたかもしれない。だが発光する直前、またエリーが俺を庇ってくれた。とっさにこっちを振り向いて、一瞬で俺の目の前まで近づいて、俺の頭を抱えるようにして守ってくれた。
「モンドさん、ごめんね」
光が収まってすぐ、小声でそう言われた。謝られる覚えがない。だが俺が何か返事をする前にエリーは俺から離れ、エラットの方に向き直った。
「エリー、」
エラットは、いなかった。光を目くらましに使って逃げたようだ。
「エリー、その、大丈夫か?」
もっと聞くべきことやかけるべき言葉があったんじゃないかと思う。だが、なんて声をかけていいかわからなかった。
「……大丈夫。モンドさんこそ、苦しそうだよ?」
エリーは俺に背を向けたまま、そう言った。俺はその言葉でわき腹の痛みを思い出して
「あ、そう、だった……」
そのまま痛みで気を失った。
エラットはいつも屋根の上から私たちを観察してたんだと思う。だからモンドさんたちを追いかけるときも屋根の上から追いかけるんじゃないかと思って、私も屋根の上に上ってみた。
―おっきな建物ばっかり。道が狭くて探すのは難しいかも。
私やモンドさんの家があるあたりはもう少し道が広い。というか建物自体が小さいのが多いんだけど、この辺りは大きなお屋敷ばかりが建っているみたいだった。
―でも障害物を無視して動き回れるし、屋根の上から探そう。
やみくもに動くんじゃなくて、まず気配を探ってみる。
―……よくわからない。狭い路地の音は屋根の上まで届きにくいのかな。
音以外だと匂いなんかでも気配を探れるけど、距離があるだろうし厳しいと思う。とりあえずエラットが走っていった方向に絞って、モンドさんを探すことにしよう。
屋根の上を飛び回りながら耳を澄ませていると、離れたところからガラスが割れる音が聞こえた。
―あっち? とりあえず行ってみよう。
ガラスが割れる音が、モンドさんたちの出した音だという保証なんてない。けど、そもそもこの辺りは人の気配が全くしない。だからモンドさんたちが立てた音だと決めつけてそっちに行ってみる。
―いない。けどガラス片がある。ちょっとお酒臭いから、酒瓶だね。2ついっぺんに割られてるってことは、ここでなにか……
よく見れば少し血がついてる。ちょっと獣臭い血。
―エラットの血かな。じゃあこっちで間違いない。
もう一度屋根に上って、酒瓶が割れていた方向を中心に飛び回ってみる。
しばらくしてもう一度、ガラスが割れる音が聞こえた。近い。
―あの辺りかな。
音の聞こえたほうに全速力で向かう。細い路地がいくつかあって、飛び越えながら誰かが、モンドさんたちがいないか確認しながら走る。
「しねえええええ!」
―モンドさんの声? モンドさんがそんなこと言うなんて、どうして、
そこまで考えたとき、見つけた。エラットに馬乗りになって、割れた酒瓶を振り下ろすモンドさんが見えた。そしてモンドさんが殴り飛ばされるのも。
頭の中で何かの音のが聞こえた。壁を背に座るモンドさんにエラットが近づいていくのが見えて、なんども頭の中でその音が聞こえて、私はその音が聞こえるたびに、エラットを殺してやりたいって思った。
―なんでこんなにエラットが憎いのかわからない。けど、許せない。
モンドさんに槍を突き刺そうとしているのが見えて、とっさに2人の間に割り込んだ。
ズブッて音がして、私のお腹に槍が突き刺さる。
―痛い。けど、モンドさんまでは届いてない。
さっき血を飲んでから、死人の血を飲んでからずっとお腹の奥が痛かった。槍が刺さった痛みも、お腹の奥の痛みと混ざって気にならない。
痛み以上に、エラットが憎かったからかもしれない。
「……エリー、か?」
―よかった。モンドさん生きてる。殴られて大けがしちゃってると思うけど、意識はあるね。
ちょっとだけ、ほっとした。けどまだやっぱりエラットが許せなくて、とにかく殺してやりたくて……槍が刺さったままだと動けなくて、にらみつけることしかできなかったけど。
エラットは突然現れた私に驚いたのか、それとも私の真っ赤な目が不思議だったのか、一瞬固まってた。けどすぐに槍を私のお腹から引き抜いた。もう動ける。怪我で動けないだろうって思ったのかな。でも、今の私にとっては大した怪我じゃない。
―あ~あ、抜いちゃった……もう、止まらないから!
「オマ、オ前ハ、イッタイ」
何か言おうとしてたけど、聞かない。
―指尖硬化。
久しぶりに使ったけど、ちゃんと使えた。両手を貫手に構えて、突く。
「アグァ」
―変な悲鳴。獣みたいな姿になってると、悲鳴も変になっちゃうのかな?
今度は左手で、ぶっとい太ももを、刺す。
「イギッ」
今度は痛みをこらえて、槍で攻撃してきた。けど遅すぎて当たる気がしない。心臓狙いの刺突をギリギリで躱して、さっき指を刺したばっかりの太ももを膝で蹴り上げる。
「フギャアア」
すごく痛そうな悲鳴だった。どうやら一度刺したところを何度も攻撃するのが効きそうな感じ。
でもエラットは当然反撃して来るし、私の攻撃を避けようとする。だから攻撃する場所は選ばず、とにかく何度も攻撃する。
突いて、刺して、抉って、貫いて、打って、蹴って……隙さえ見つければ鳩尾や喉を狙って攻撃する。
そんなとき、後ろから小さな声が聞こえた。小さかったけど、はっきり、モンドさんの声で
「エリー、いったい何が……?」
そう聞こえた。
―モンドさん、さっき私が割り込んだ時、私の目を見たよね。今も、私の指、見えてるかな……どうしよう、人間じゃないってバレちゃったかな……どうしよう、どうしたら、なんで、全部こいつの、エラットのせいで私、、、。
滅茶苦茶に攻撃してたら、私の頭の中までぐちゃぐちゃになっちゃって、モンドさんに今の私の目や指を見られたって思ったら、すごく大きな喪失感を感じて……全部エラットのせいにして、八つ当たりみたいに攻撃した。
「ガアアアアアアアアアアアアアア!」
突然エラットが叫んで、ハッとした。体中傷だらけのエラットが、槍を地面に刺そうとしてるのが見えた。
―ここで地面に槍なんか刺しても意味ない……違う、何かあるんだ。
とっさに私はエラットに背を向けて、モンドさんの方に飛び出した。
―ヴァンパイアレイジを使ってる私はともかく、モンドさんは危ないかもしれない。私がなんとか守らないと!
お腹にある槍が刺さった傷ももう治ってる。たぶんあの槍がどんな攻撃をしてきても、たぶん私は大丈夫。だから私が盾になってモンドさんを守らなきゃって思った。
座り込んでるモンドさんの頭を抱え込んで、エラットから隠すようにする。すぐにエラットの方から激しい光が発せられて、モンドさんの顔をおなかに押し付けながら私も目をぎゅっと瞑った。
―モンドさん、私のこと、人間だって思ってくれてるかな。人間じゃないってわかっちゃったかな……私が今まで人間のふりして騙してたって思って、私のこと……
さっきまでのグチャグチャした思考と不安で頭の中がいっぱいになって
「モンドさん、ごめんね」
それだけ言った。
光が収まって振り返ったら、エラットが居なくなってた。
―さっきの光に乗じて逃げたみたいだけど、今すぐ追えば追いつける。殺せる……けど、モンドさんをほっとけない。
モンドさんはエラットに殴られて吹っ飛んでた。ずっと座り込んで動いてない。大けがしてるだろうし手当しないといけないのに、私はモンドさんの方にもう一度振り向くことができなかった。
「エリー、」
モンドさんが声をかけてきた。すごく苦しそうな感じだった。でも私は体が固まっちゃったみたいに動けなかった。
―声がでない。なんて言われるのか、聞きたくない。
”お前は何なんだ?”
”人間じゃないのか?”
”ずっと騙してたのか?”
そんなふうに言われるんじゃないかって、もう人間じゃないってバレてて、問い詰められるんじゃないかって、怖かったから、振り向けなかった。
「エリー、その、大丈夫か?」
―なんでそんなこと聞くの? 気づいたんじゃないの? 私の傷、さっき槍が刺さった傷が治ってるの、見えてるでしょ……?
私が背中を向けてるんだから、見えてるはず。でもモンドさんはそこに触れずに、私を心配してくれた。モンドさんの方が重傷のはずなのに。
「……大丈夫。モンドさんこそ、苦しそうだよ?」
いつものモンドさんの声に比べて、すごく苦しそうな声音だったから、振り返らずにそう言った。
「あ、そう、だった……」
モンドさんがそう言った後、トサッって倒れる音が聞こえて、思わず振り返った。
座った姿勢から気を失って横倒れになったモンドさんが見えた。
「モンドさん!?」
モンドさんは右わき腹を殴られてた。服をまくって殴られたところを見てみた。真っ赤になってはれ上がってたけど、死ぬような感じじゃなかった。本当に大丈夫かは分からないけど、とりあえず一旦冷静になれた。
「どこか、安全なところに連れて行くからね」
意識のないモンドさんにそう言って、抱え上げて、強い振動を与えないようにしながら屋根の上にジャンプした。
ヴァンパイアレイジの効果時間が減ってしまうけど、私は気にせずそのままモンドさんを抱えて屋根を走った。治療が受けられそうな施設を探し出してたどり着くまで、ずっと使い続けることにしたから。