青年は地雷を踏む
かなり走った。ユルク爺さんを抱っこして走るメイドさんとは、気が付けばはぐれてしまったようだ。俺は追いかけてくるエラットにいろいろ抵抗しながら走ってるから、メイドさんより遅いみたいだ。
今俺はどこに向かって走ってるんだろうな。メイドさんとはぐれたせいでどっちに行けば何があるのか全く分からん。とにかく走る。何か使えそうなものがないか探しながら走る。
砂利、壁、雑草、何にもねぇ。普通こんなもんか。
首だけを回して後ろを見る。エラットのやつが鬼の形相で追いかけて来てやがる。酒瓶や手のひらサイズの石、開けっ放しの窓から拝借したカーテン、いろんなもので足止めしてやったからイライラしてるんだろうな。
……ふざけんな。一番機嫌が悪いのは俺だ。エリーがもし死んでたら、お前が殺したのだとしたら、絶対に後悔させてやる。
さて、次の角を曲がるまで、何とかもう一回足止めしたいところだ。今あるのは酒瓶一本だけ。普通に投げつけてもたぶん意味がない。どうしたもんか。
「コロス、オマエモ、ジジイモ」
後ろでエラットがなんか言ってる。聞き取りずらいが、怨嗟の声だな。頭に血が上ってるのがよくわかる。好都合だ。
もう一度路地に何かないか探してみる。
狭くて暗い路地だからか窓は見当たらない。さっきみたいにカーテンを拝借するのは無理だな。
お、木箱発見。中身が何かはわからんが、何かに使えそうだ。
そしてもう一つの発見。この先行き止まりだ。袋小路ともいう。
やべぇ、逃げ道がなくなった。人目もないから助けも呼べない。
木箱のすぐそば、行き止まりの壁まで走ってきたはいいが、ここからどうすればいいんだよ。
「サンザンテコズラセテクレタナ。モンド君」
振り返ってみると、獣じみた顔で笑うエラットが立っていた。よく見ると本当に肉食獣みたいだ。足なんかまさに四足獣のそれだ。
「ああ、おかげで爺さんとメイドさんは逃げ切ったぞ」
意図して逃がしたわけじゃないけどな。普通にはぐれただけだ。
「今頃近くの冒険者の店に避難してるところだろうよ。お前はもうおしまいだ」
強がりだが、笑ってそう言ってやる。予想通りというか、エラットの笑顔がゆがんで不機嫌そうになった。そして体が縮み、毛深かった体が人間っぽい感じに変化し始めた。
「……ドイツモコイツモ、ドウシテ邪魔スルんだ。僕はスティを助け出したいだけなのに」
助け出す? こいつの言う助け出すって、ユルク爺さんや使用人たちをみんな殺してしまうことなのか?
「助け出すって、何から助けようって言うんだ?」
「君は知ってるはずだろう! ユルクのジジイが! スティを! 屋敷に! 監禁してるって! 知ってるだろ!」
監禁? そういう風には見えなかった。
「ステラが外出を望んでなかっただけに見えたぞ。無理やり家から出さないようにしてるわけじゃなかった」
護衛付きで俺んちに来たりしてたしな。2回くらいだけど。いや、1回だけだったか?
「嘘だ! 君はスティに外出の自由を与えるために! ジジイを説得した! そうだろ!」
「あれは爺さんがステラが迷子になったことをきっかけに外出を禁じようとしてたから止めただけだ。ステラが黙って一人で出たからそうなった。ステラが屋敷の誰かに外出を求めれば、叶えられていたと思うぞ」
「ジジイはステラを監禁してるんだ!」
平行線というか、こいつは思い込みが激しい感じだ。俺の言うことは全部否定しようとしてる。
「なんでそう思うんだ?」
とにかく会話できるうちに会話しておく。こんなところで死にたくない。なんとか時間を稼いで、生き延びる方法を考えないと。
「スティは絵本を読むことしか許されてなかった。それ以外の自由はなかった」
「単純に絵本が好きだったからだろ。あいつは聞かなくても絵本の話してくるぞ」
「……んで」
なんだって? 声が小さすぎて聞こえないぞ。
「なんで、君なんだ。なんで僕じゃないんだ! 僕の方が君より、スティを愛してる! 僕が聞くはずなんだ! スティの話は! 君じゃなく! 僕が、僕が僕が僕が誰よりスティの話を聞いて誰より理解して誰より幸せに……なのに、その場所は僕の場所なのに、どうして君がそこにいるんだ……」
エラットは激しく頭を掻きむしりながら、叫ぶようにそう言った。地雷踏んだっぽいな。
こいつの言うその場所とやらが何のことかはよくわからない。その場所に俺がいるとか言われてもさっぱりわからん。だが、こいつがいるよりは俺がいるほうがステラにとっていいと思う。確信に近い。
「お前より、俺の方がいいからだろうよ」
エラットは頭を掻きむしるのをぴたりとやめて、俺の顔を見る。絶望したかのような、憎しみをあらわにしたような、ひどい顔だった。地雷を踏みぬいた後もう一回踏みつけてやったんだし、そんな顔にもなるか。
「うああああああああああああああああああああああああ!」
エラットが手に持った槍を構え、全力で俺を殺しに来た。予想通りだ。狙いは俺の顔面だな。俺にも軌道が読めるってことは、怒りに任せた稚拙な攻撃……なんだろうな。
「おらぁ!」
俺は中腰になりながら隠し持っていた酒瓶でエラットの顔面をぶっ叩いてやった。さっきまでのでかい獣のような姿なら身長が足りなかったが、今なら届く。
「ゴハッ」
派手な音を立てて割れるビンと、鼻血を吹き出しながらひるむエラット。ざまぁみろよ。
だがこれで油断したりはしない。むしろ今は好機だ、逃してたまるか。
槍を持つエラットの右手を掴み、そのまま頭突きで仰向けに押し倒す。
「貴様ぁ!」
ジタバタと暴れるエラットに馬乗りになり、割れたビンを逆手に持つ。
人を殺した経験なんてない。殺すつもりもない。もちろん殺されるつもりもない。そもそも戦ったことがない俺だが、殺す気満々のこいつに追われ続け、攻撃をギリギリで躱して、反撃に出て……そういう戦闘、殺し合いに酔った俺は、逆手に持った割れた酒瓶を、躊躇なくエラットの喉に振り下ろした。
「しねえええええ!」
鋭く尖ったビンがエラットの喉に突き刺さろうとする瞬間、エラットが高速で右にずれた。
「え?」
そして俺の左半身が壁に激突して、気が付いた。
ずれたのは俺の方だ。
右のわき腹が重いと感じて触ってみた。
「いって……」
感じていたのは重さではなく痛みだと気づいた。
エラットの方を見てみると、さっきと変わらず仰向けに寝ている。違うのは、奴の左手だけが肥大化して、毛深くなっていることだった。あの腕で右わき腹を殴られたらしい。
「危なかったよ。とっさに殴るのが遅れていたら、さすがの僕も危なかった」
さっきから、呼吸ができていない気がする。”いって”とか言った後から、うまく息が吸えない。
「油断しなくて正解だったよ。冷静になレタ。エリーサンノ仲間ナンダカラ、タダノ人間ヨリ警戒スベキダッタネ」
立ち上がったエラットの姿は、俺を追いかけていた時と同じ、二足歩行の肉食獣のようだった。
ワービーストって全員こんなふうに変身できるのか? すげぇな。
「君トハ仲良クナレルト思ッテイタンダ、スティノコトヲ大事ニ思ウ者トシテネ」
ふざけんな。俺をお前と一緒にするな。
「無理に決まってんだろ、この、ロリコンの、ストーカー野郎」
エラットは一瞬不機嫌そうな顔になった。が、すぐににやりと笑って、俺に槍を突き付けた。
「サヨウナラ、モンド君」
ここまでか。
そう覚悟を決めたとき、路地の端、俺やエラットが走ってきたほうから、二つの赤い光を持った何かが飛び込んできた。